ウィザーズブレイン・サーカス回想録
戦争が終結した2188年、キリエはまだ17歳だった。
最後に見た彼女は文字通り空っぽだった
空虚にとりつかれた目はうつろで、なにを聞かれても要領の得た答えは期待できなかった。
いや、人のことはいえまい。
当時の僕も、似たような状況であった。否、僕の方が深刻であったのだろう、精神的に参っているにもかかわらずキリエが僕の看病にきていたからだ。
(もっとも、そんなキリエを見ているのは誇張ではなく死ぬほどつらかった)。
そんなわけで、キリエ,僕は君とはもはやどこで分かれたかすら覚えていない。だから、僕はすべてを語っておこうと思う。
わかってるさ。
わかってる。君はそんなことは望んでいないし、これが第三者の目に触れられることを拒むだろう。
だが僕は信じる。僕のこの懺悔こそが君に事実をもっとも真実に近い形で伝えられると。
さあ、はじめよう。
大戦の英雄といえば思い出すのは誰だろうか。
たった一年で数々の伝説を作ったあの紅蓮の魔女か。
アフリカですさまじい戦いを繰り広げたあの黒衣の騎士か
それとも多大なる戦果を挙げた光使いたちか
上記の彼らはなるほど確かに語られた。少なくとも世界各国の軍隊で彼らを知らぬものはいないだろう。
だが、僕は違う。では、誰か?
ゼイレンだ。
この名前を聞いても誰かわかるものはもはやまずない。キリエ、おそらくこの名前にすぐに思い当たるのはもはや僕と君くらいなものだ。
それでもかまわないさ。
さて、聡明なる読者諸君、物語の導入としてまずはこのゼイレンについて語らなくてはならない。
ただし、その名が示すのは「絶望」であると前置きしておこう。
軍の訓練施設の中でゼイレンといえば一種の変人だ。
戦闘訓練における成績は中の下、10人と戦って3勝7敗という戦績だ。
ほめられたものではない、ふつうならば。
問題は、3勝の方にある、3人がすべて騎士だったことだ。
なぜか?ゼイレンの能力がゴーストハック、つまり人形使いだからだ。
人形使いは騎士に勝てない。
これは、ほとんど定義である。というより、対魔法士戦において騎士という存在はほとんどジョーカーの役割を果たす。
事実、のちの大戦でも人形使いは騎士によってほとんど駆逐されていった。
相性の悪さと一言で言ってしまうには、両者には戦力にあまりにも差がありすぎる。
それだけ騎士とは強力であったのだ。
ゼイレンはそのことを誰よりも知り尽くしていた。
だから自分が人形使いであることを知らされたとき彼は激怒した。しかし、当時は一般兵相手にどう戦うかの効率を考える
ことこそ最優先とされたために軍部のみの責任とはいえなかったろう。
ゼイレンの所属していた部隊は、結局、大戦の中盤で騎士の少数部隊に壊滅させられることとなる。
それから、ここの訓練施設に部隊の残党が戻ってきた頃だろうか。ゼイレンたちは負傷した体を引きずりながら
シミュレーションルームに閉じこもっていた。軍の人間たちは一室が占拠されるのを好まなかったようだが
今後の戦争に大いに役立つという部隊長の鶴の一声で黙った。
ああ、あのころの僕を思い出すと今でも後悔する。あのころは軍部に対しても意見を通せる彼らを
僕はたしかに羨望と嫉妬とあこがれを持って見つめていた。
そう、嫉妬していた。
僕は当時、訓練でもいい成績を修めていた。正直、実戦でもすぐに対応できる自信があった。
そんな僕ですら頭の上がらない軍部に堂々と意見する彼らは嫉妬の対象だった。
だから僕は訓練のカリキュラムに人形使いとの戦闘を再びプログラムした。
実力で証明したかったのだ。自分が優れていることを。
そこでの結果は、ゼイレンの3勝のうちの相手だった騎士の一人が僕であったと記すだけで十分だろう。
お互いに無事ではすまなかったけどね。
戦いの詳細については後述するが、ゼイレンはそのときの戦いで頭部に大きな傷を負った。
僕はゼイレンの戦術によって10日間も意識を失った。
「やあ、やっと目を覚ましたのだね」
目の前に現れた人影は・・・・・・・・・・ゼイレンだった。
「・・・・・・・・何の仮装大会だ?」
「容赦がないな。これでも気に入ってるんだが。」
それはそうだろう、黒いコートに身を包み、顔にはペイントを施し・・・・・・・・ついでに顔半分の髪の毛は剃り上げて
僕のつけた傷がむき出しなっている上に、どういう訳かその上に不思議な文様がかかれている・・・・・・・いや。
「論理回路か、それ。」
すると彼はおや、という顔つきになった。
「その通りだ、一目見てわかるとは思わなかったよ。」
「はあん、なるほどね、そのペイントに偽装した魔法陣が対騎士用の切り札ってわけかい。」
その問いに答えず、彼は目線をはずした。
「へへ、だったら簡単だよな、論理回路なんて正確なもんを体にペイントしてんだから、新陳代謝でペイントがくずれんのを待てばいいんだ。」
「残念だが、それは無理だな。」
「なんでさ?」
「それは教えられないな。機密事項だ。」
「へーいへい、わかりました。」
そうだろうな。そんな中途半端なもので戦うわけがない。僕は話題を変えることにした
「ところでなにしに来たのさ?」
「君の移動命令を伝えに来た。」
「・・・・・・もしかして、正式に軍に配属?」
「そうだ」
渡された書類をひったくって目を通す。待ちに待った配属だ。
「・・・・・・・・・なんだこれは?」
「君はうちの部隊に配属となった」
「なんで?」
「さあ?案外君の素行が関係してるかもしれない」
よけいなお世話だ。
結局のところ、配属が決まったことに変わりないので、不平を言っても始まらない。
そう、軍部は僕にとって絶対だったのだ。
Iーブレインは理解を助けることはしてくれない。
僕はその日も軍の図書室から借りた本を読んでいた。
古典である。
部隊に所属してわかったことだが、この部隊の人間たちは引用を非常によく使う。
はっきり言って言ってる意味が分からないことが多い。
そのことをゼイレンに言ったところ。
「一般常識だ」
と、苦笑混じりに返された。
腹がたったので。今こうして本を読んでいる。
黙々とページをめくる僕の目の前にゼイレンがやってきた。
「やあ」
「・・・・・・どうも」
「なにを読んでいるんだい?」
僕は本を渡す。
「シェイクスピアか、いい趣味をしている」
「僕も一般常識がついてきましたかね?」
「読むだけなら誰でもできるさ、読んだだけではいけないだろう」
やれやれ、といった口調。
「この世は部隊であり、誰もがそこで一役演じなければならない」
「・・・・・・・・・ヴェニスの商人」
「正解、よい文句だと思うね」
こんな事をそのペイントした顔で言われてもなあ。
「なにもしらんほうがいいことありますよ、満足な豚よりは不満足な人間である方がよいってね」
「それを言うなら愚かな哲学者より賢い愚者たれだ。ミルとごちゃ混ぜにしてはいけないな」
彼は肩をすくめ僕の騎士剣「冥王二式」を抜いた。
「ちょっと、なにするんですか」
「少し見せてくれ」
彼は柄から刀身にかけて、じっくりと観察した。
「・・・・・・君は、デュシャンを知っているか?」
「デュシャン?あの・・・・便器の?」
彼は愉快そうに笑った、ただ、仕方ないと思う。デュシャンといえば過去のデータを見たときにそれくらいしか頭に残るまい。
「その言い方はよくないな、あれには泉という立派な名前がある」
あれはレディメイドという作品なのだと聞いた。
既製品という意味だ。
デュシャンはプロペラを見て「絵画の歴史は終わった」と宣言したそうだ。
事象を写しとることが目的の絵画は、数学の「精密さ」にかなわないと判断されたのか。
それは芸術が科学に敗北した姿だったのかもしれない。
だからかれは既製品に自分のサインを入れただけの作品を作ったのか。
「私は論理回路を見ていると、デュシャンの気持ちが分かる気がする」
戦争が激化していく中で、シティが次々と閉塞感を増していく中で、彼は嘆き続けていた。
なにを?芸術の損失を。
電子化された記号による保存を人一倍嫌っていた。
電子化され誰がどこからでも見られる環境は人間をものぐさにする。
そんな人間たちの芸術保護を訴える声など、きっと彼は信用しないだろう。
デュシャンの時代からはるかな年月を経たこの時代で再び芸術は科学に敗北している。
すでに世界各国の有名美術館、教会、遺産の多くは姿を消した。
否、この戦争が終われば後にくるのは劣悪な世界だけだから、現存する芸術たちも姿を消してゆくのだろう。
しかし、その代償によって科学はついに最高のレディメイドを手にすることとなった。
情報制御理論。
その中でも論理回路はきわめて芸術性が高いと思われる。少なくともこの時代の芸術家気取りの連中はそう思った。
ゼイレンは言う「情報制御理論はあくまでも借り物だ」と。
世界は情報でできている。情報制御理論はそれを操る術だ。
だがそれは、世界の中心が人間の手の中にあることを意味してはいない。
所詮それは、世界からの借り物だからだ。
元からあるものに人間がサインを入れただけのレディメイドにすぎない。彼はたびたび説教した。
読者の諸君の中にはいわゆる戦闘シーンがないことや原作のリズムに似つかわしくない展開が語られることについて
うんざりしている者もいるだろう。しかし、僕は語り部としての役割を果たす上で、どうしてもさけられないと考えたのだ。
キリエ、それが君への誠意だと考えてほしい。
君は彼らのすべての戦いが、君やあの子供達に捧げられていたことに薄々気づいてはいるのだろう。
そのいやな予感は残念ながら本当なのだ。この残酷な事実をさらすのは気が滅入ってくるが致し方ない。
だって、約束したろう?真実を話すってさ。
やってしまった。
そう思ったのは僕だけではなかったろう。大失敗だ。
黒衣の騎士、黒沢裕一。
ついに地雷を踏んでしまった。
対騎士用のプログラムを構築してからというもの。僕たちの部隊はあまりにも簡単に勝利を重ねすぎた。
たぶん調子に乗りすぎた。
多少の無茶も力押しで何とかしてきた。
しかし、だ。
これはまずい。
「まさか貴方とここで出会えるとは・・・・部隊を辞めたという噂は間違いでしたか。」
「やめるさ・・・・これが終われば。」
「私ももう少し待つべきでしたね。」
「そうだな、だが敵である以上最後だろうが仕事は終わらせる。」
作戦は失敗だった。
前線への中継基地の強襲。
基地に護衛騎士がいたことへの誤算。
運悪くそれが黒衣の騎士の部隊だったこと。
先日紅蓮の魔女が前線を退いたという情報による油断もあったろうか。
全滅。
頭をよぎる。
相打ちになっても相手を倒そうとする騎士たち。
気がつけば広間は僕とゼイレン、そして黒衣の騎士のみが息をしていた。
「おまえたちの戦い方はわかった、もはや通用せんぞ。」
黒衣の騎士はあっという間にゼイレンの懐に入る。
運動速度は果たして僕の何倍だろうか?
僕は動かない体の代わりに、必死で視覚を加速して黒衣の騎士を見つめる。
自己領域がはずされる。これを解かなければ騎士は攻撃できない。
騎士剣「冥王三式」がゼイレンの騎士剣に伸びる。
ゼイレンは何とか首をかばったまま、あっけなく死体の山に突っ伏した。
口から血が漏れる。
そのまま黒衣の騎士はとどめを刺そうとする。
しかし次の瞬間、吹き飛んだのは黒衣の騎士の方だった。
だが騎士を殴り飛ばしたのはゼイレンではない。それは・・・・。
「あ・・・・・。」
呆気にとられた。それは黒衣の騎士も同様だったらしい。
殴ったのは、死体となってた筈の騎士の一人だった。
いや、死体だった。死体は数秒すると再び崩れ落ちる。
「貴様あああああああ!」
僕より先にことの次第を悟った黒衣の騎士が叫ぶ。
ああ・・・そうか。
ゴーストハックだ。
おそらく、I-ブレインから一時的に肉体を操作したのだろう。
今、ずいぶんあっさりと書いてしまったが、そう簡単にできるものではないということを断っておく。
人間が論理構造として非常に堅いことは当然ながら読者もご存じであろう、それは真理だ。
しかしこの場合真理とはなにか?それは経験的に観察された事象の集合である。
いわゆる経験論というやつだ。静止摩擦係数や重力加速度などのように実験によって観察されるものだ
重ねて言うが、自然な世界において人間の論理構造が堅いのは真理だ。
そう、自然な世界においては。
勘のいい者はもう気づいただろう、そう、情報の堅さ、つまりやりにくさは別としても魔法士はその世界の論理構造を書き換えられるのだ。
人間を情報解体することは不可能ではない。このことは僕らの関わることのないあのオリジナルの小説と相反する(なぜなら、あちらの方では不可能と断定してあるからだ。
赤い髪の空賊が使ってたような気もするが、まああれは特別だろうから深くは詮索しない)。
不可能ではない、ただ、普通は限りなく不可能に近い。理由は、通常のIーブレインの演算能力をもってしても遅すぎることだ。
だから普通は人間本体に対して直接的な情報による攻撃はまずしない。するのは物理的な攻撃だろう。
しかし、ゼイレン達が機転を利かせたところはそこにあった。
彼らに言わせれば「外からの攻撃兵器」から「中からの攻撃手段」への切り替えである。
「人間を外側から情報解体するのはまず不可能だが、機能中枢を一転突破で破壊することならなんとかなる」これを基本とした。
特に騎士に至っては攻撃を騎士剣で行うことから、接触したわずかな時間に相手の脳にリンクできる。
この一瞬にも満たない時間が最強のカウンターをたたき込むチャンスだった。
なぜ相手の脳にリンクできるのか?答えは相手がIーブレインを持っているからである。そのデバイスとなる騎士剣はいわば露出した脳に等しい。
I-ブレインに直接打撃を食らえば、どんな相手も戦いようがない。そして、それにもっとも適したのが物質の変異を可能とする人形使いだったのだ。
これが、人形使いが騎士に勝つために生み出した切り札である。
そして
ゼイレンはさらにその能力を一歩進めた。
彼の顔や手のペイントに使われている染料は、実ははただの染料ではない。
細かな論理回路を施した粒子の結晶なのだ。
これを彼らはある宗教にのっとって「ゾンビパウダー」と呼ぶ。ゾンビパウダーは元々相手とのリンクの補助をする媒介として開発された。
つまり、騎士の騎士剣のように都合よくリンクをつなぐことのできない魔法士の対策として作られ、普通は手につけて相手につかみかかるという使い方をされる。
さらに、体に彫り込んだ論理回路の文様によってさらに演算速度を増す。
これらによって支えられるゼイレンの能力、それが「ゾンビメイカー」。
古代から「屍体操作術」や「ネクロマンシー」とよばれた、ある意味では想像性の少ない能力ではあるが、具体的には圧倒的な速度の演算によってI-ブレインを持つ対象の脳を直接支配するというものだ。
「破壊」と「支配」。
数がものを言う戦闘において、どちらがよりアドバンテージを得られるかは言うまでもない。
現段階の欠点は、死亡した肉体を使っているためゴーストハックが数秒で消えてしまうことと、演算の関係で一度に操れるのがせいぜい数人が限度であること。
それでも十分だった。
話を戻そう。
黒衣の騎士は再び間合いを詰める。
先ほどは全く反応できなかったゼイレンが、今度は腕を伸ばした。
床に手を当てると、腕に刻まれる論理回路が水に泥を流し込んだようにずるずると床に浸食していく。
巨大化した論理回路の固まりは顔を作った。
人間に近い、顔
あごを開いて黒衣の騎士を飲み込む。
「くだらん!」
顔の喉を一閃し、黒衣の騎士が顔を出す。
こけおどしのゴーストハックなどはもはや役に立たない。だがゼイレンが狙ったのはこの一瞬だった。
好意の騎士の両目が開かれる。
数十センチまで近づいたゼイレンが壮絶に笑い、口を開く。
インプラントで埋め込まれた論理強化チタン合金の歯が開かれる。
「!!」
噛みつきは原始的であるが、生物のもっとも強力な攻撃手段だ。
とっさに首をかばって体をひねる黒衣の騎士。
それでもチタンの牙は額の横あたりを傷つけた。
まあいいか
必要なのは接触だ。
ゼイレンの文様が輝きを放つ。
ゾンビメイカーがスタートした。
「まだ生きている」魔法士に向かってこの能力を使うとき、ゾンビメイカーに過大な効果は期待できない。
できるのは末端に多少のエラーを作り出すこと。
すなわち手足の運動に影響が現れる。脳の情報が伝わりにくいことでは「他人の手症候群」とあまり変わらない
「・・・・・・・・・・・」
黒衣の騎士が顔をしかめる。どうやらそのことに気づいたようだ。両腕が痙攣し動作がぎこちない。
「さて、交渉に入ります。」
うちの血をふき取り、先ほどの野獣のごとき動きに反してゼイレンは穏やかに言う。
「我々の任務はここの占拠ですが、もう私たち二人では意味がないでしょう。しばらくすればあなた達の仲間がここに来るでしょう、
さすがに私も一個中隊以上を相手にするのはつらい。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「そこで、今生きている仲間の撤退を認めていただけませんか?貴方の方にもそれなら迷惑はかかりませんし、外にでて襲撃される分にはかまいません。」
黒衣の騎士はギリリと歯をならす。よほど悔しいのかと僕がぼうっとしていると・・・・・・・・・・・・。
ゼイレンが後ろに飛び退いた。
同時に、彼がいた場所に騎士剣の一撃が飛んだ。
「油断も隙もないですね」
再び歯をならす黒衣の騎士。
それと同時に再び一撃がみまわれる。
反射反応と直感する。
脳からの命令を脳でじゃまされるのなら脊髄から命令を送ればよいと言うことか。
まったく・・・・・・・・・・
「めちゃくちゃだな」
思考がゼイレンとかぶったようだ。
そこで僕の意識はとぎれてしまったためにその後なにがあったかはわからない。
少なくともゼイレンが何かしらで黒衣の騎士の撃退をしたことは確かなようであった。
また、僕たちの部隊がなくなってしまったことも事実だった。
ゼイレンの協力以外、さしてすることもなかったので顔を覚えていたくらいの仲間だったが、形ばかりは黙祷を捧げた。
後にゼイレンは語った
「あの戦いはすべてが生け贄だった」と
なにを言われているのかはそのときはわからなかった。
そうだよキリエ。
もう君は僕が絶望と言った意味がわかってしまった。
それでも僕は続ける。続けるしかないのだ。
先天性の魔法士が美しい顔立ちをしているのは当然だがその少女を見たときは絶句した。
ゼイレンが「ピエタ像の聖母マリアのようだ」と評したのは誇張でも何でもなかった。
だから隣にいる男は何とも不釣り合いで、いたたまれない不気味さがあった。
「なあ・・・・・・ゼイレンよ、その子は誰なんだ?」
「新しく我々と行動を共にする仲間だ・・・・キリエという」
言い忘れたが、あの戦いの後、僕たちは単独行動チームとして組まされることになった。
どうやら、ゼイレンが部隊への編入を拒否したらしい。
なぜか彼は、彼の部隊が作り上げた戦術の報告を出し惜しみしている節がある。そのことで彼とたびたび口論になっていた。
「キリエ・エレイソンといいます。」
キリエ・エレイソン、意味はたしか「主よ、哀れみたまえ」
「・・・・・・・・珍しい名前だね」
「みなさんそういいます」
素っ気ない。
何となく彼女の資料に目を通す。
「・・・・・・・・・・・・・ふーん」
経歴、抹消済み。
普通もうちょっと遠慮しないだろうか、バレバレでも偽の経歴作って乗っけることが最低限のマナーじゃないか?
「・・・・・・・・・なんだよ?」
笑うなよゼイレン。ああ、わかったわかった、こんな物騒なやつどっから連れてきたなんて野暮なこたー言わない。
もう取り替えしつかねーんだろ?せいぜいお供しますよ。
全く生来の考えなさはどうしようもなく損ばかりしているが、このときもう少し考えるべきだったかもしれない。
まったくなあ。
キリエはとても優秀だったが、魔法士の筈であるのにいっさい魔法を使えなかった。
I-ブレインの欠陥。
つまり、彼女は失敗作であると聞かされた。そのため廃棄処分される寸前にゼイレンが助けたらしい。
「ヒューマニストだね」といった僕の言い方は、多少皮肉に聞こえてしまったろうか。
だが、それは本当か?
結論から言うと、キリエはゼイレンの能力に関わるある秘密を持っていたため,
彼女を手元に置いておく必要があったというのが真意だ。
その理由は追々説明していくが、この時点で僕は自分の立場が軍かゼイレン達かのどちらかしか残されていないようだった。
キリエを含めた僕たち三人は、主に偵察や斥候の仕事が多くなっていった。
このころになるとたびたびゼイレンは軍と対立していた。
軍は軍でゼイレンの能力の秘密の公開はミリタリーバランスを大きく変える可能性があるのでどうしても必要だ。
それでもゼイレンは拒んだ。
軍は彼をスパイの容疑だので何度もつれていったが、絶対に口を割らなかったという。
それはそうだろう。
僕は軍の風当たりが強くなってきたこともあって軍の官舎を引っ越して郊外の小さな施設に引っ越した。
キリエ、今思えば君たちと過ごしたあのときがその後の僕をどうするか決めたんだ。
僕がいる施設は、表向きは軍の無線支部の一つだったけれど、人間なんて僕たちしかいなかった。
ゼイレンはこの中ではペイントを落としていた。色の黒い肌に驚いたが、論理回路の文様は消えなかった。
君はいつもゼイレンから情報処理を習っていたけれど、僕は魔法の使えない君がなぜそんな事をするのかわからなかった。
食事は君たちが作っていたけれど、僕が作ることもあった。交代で作らせなかったのは、やっぱり僕の料理は下手だったんだろう。
ゼイレン、貴方が僕を利用していることはわかっていたんだ。僕はあえてだまされ続けた。そして貴方の思うように動いたのだ。
施設には、培養槽があった。
合計七つ、I-ブレインを搭載した少年少女達。
「キリエの子供達だ」とゼイレンは言った。
僕は恐怖を感じた。
なぜって、彼らは鉛色をしていたからだ。
ゼロ・アマルガムでできた子供達。
ホムンクルスだ。
当時、ゴーストハックに最適な金属はメルクリウスではなくミスリルと水銀の特殊化合物である
ゼロ・アマルガムだった。
「これが私が軍に能力をいえない理由だ」
それはそうだ。
ゾンビメイカーを正直侮っていた。
まさかこれほどまでとは。
ゾンビメイカーの、対象を操るという能力は死体であれば数秒で終わる筈だ。
だが、脳を無理矢理動かして体を維持させつづければ・・・・。
背筋が凍る。
死体がねずみ算式にゾンビとなる。その光景は笑えないだろう。
「戦闘はあくまで実験だ。この能力が人体にどこまで影響するかを見極めにすぎなかった。わかるな、こんな異常な力を戦争に使ってはいけない」
僕はゼイレンがこの能力者であったことにひどく絶望した。
あまりにも救いがない。
ゾンビメイカーは、ゼイレンが予想したよりもはるかに強力で異常な能力だったようだ。
ミリタリーバランスの問題ではない。
下手をすれば死体で一個大隊さえ作れてしまうのだから。
ホムンクルスは確かに、生きている。
体のほとんどが異常な物質でありながら、生きている。
顔をこわばらせてのぞき込む。
子供が笑った。
そのほほえみは、どこまでも無邪気で、人間らしくて、それ故に不気味だった。
「なぜだ?ゼイレン、君はなぜこんな事をするんだ?」
「その子達は、I-ブレインの埋め込みに失敗した子供達だ」
「ならばどうして死なせてやらなかった!この子達を待っているのは実験動物として飼われる日々だ!」
「彼らはそれでも生きることを選択した。」
「・・・・・・・・・・キリエもか?」
「彼女は特別だ」そう言って、彼は出ていった。
「・・・・・・・キリエ」
「はい、何でしょう?」
僕は君に聞いてみることにした。
「前から気になってたんだが・・・・君の脳のIーブレインは本当に欠陥なのか?」
「ええ、全く魔法が使えません、普通の人と変わりなくて寿命が削られただけ損でしたね」
「君の記憶は・・・・・」
「それも埋め込みの失敗でいくつか失われてしまいました。子供の頃のこととかは、残念ながら覚えていないんです」
「・・・・・・・・そうか」
「じつはここの仕事もけっこう辛いんです。でもゼイレンに恩返しをするためにがんばってるんですよ」
頼むからそんな悲しい顔をしないでくれ。
それからキリエに関する資料をあさってゼイレンの部屋を訪ねた頃はもう夜中だった。
「ゼイレン、俺はどうすればいいんだ?」
単刀直入に言う。もはやお互いに牽制する必要はない。
「キリエを連れて軍に戻れ、彼女はもう完成品だ。問題はない。その後は元々いた看護科に戻ればいい」
「それはキリエの記憶じゃない」
この発言にはかれも驚いたようだ、「それはそうか」
「おまえはどうする」
「何にしても、ここの秘密を守る方法をとる、君はその前に軍に戻るんだ」
「わかった、おまえは悪人になるのか?」
すると彼は苦笑して「そうだ」と答えた。
「ゼイレンは君を利用している」はいくらなんでもだめだったか。
せめて「妾にするつもりだ」とか、もっと精神的嫌悪を催す言い方をすべきだったのかもしれない。
キリエにはきっぱりと「私には利用する価値すらありません」と言われてしまった。
「嘘が下手なんですね、でもゼイレンにも考えがあるんでしょう」
「そうだ。なにも言わずについてきてくれ」
「わかりました・・・・・・ゼイレンにお別れを言ってもいいですか?」
まあ仕方ないだろう。
ゼイレンはやれやれと笑っていたが、僕に手紙を渡すと
「ためらいはいらない、そのときが来たら迷うな」と言った。
そして僕らが戻ってから一週間後、ゼイレンは軍に宣戦布告をした。
僕が討伐部隊に選ばれたのは偶然ではない、軍の嫌がらせだ。
好都合だった。
彼を殺すのは僕でなくてはならなかった。
あれから僕は、ゼイレンの立てこもっている施設にいる仲間の数について嘘の報告をした。
その報告を疑うことなく討伐部隊は十分な数の魔法士で組まれた。
情報を与えるのではなく、完全に消滅させる。
それがゼイレンのねらいだ。
だから自分がいるところで戦闘を起こす必要があった。
そして軍は、おもしろいように僕らの思惑にはまったのだった。
あっけないものだった。
無人警備機のレーザーは、一般兵に有効でも魔法士には通じない。
ことごとくを破壊して突破口を開く。
僕は培養槽に向かった。
手紙は語る。
「この手紙をあける頃は、私は軍に対して反旗を翻している頃だろう、もし君が協力してくれるのなら
私にとどめを刺すのは、君であってほしい。
キリエのことは君は気づいているだろうが、彼女は人間ではない。
あの培養槽にいた子供達と同じく、肉体は作り物だ。
だが、彼女には他の子供達と違う点がある。
彼女こそオリジナルであり、キリエの脳と精神は違うものであることだ。
よく聞いてほしい。
彼女は元々、情報の海で作られた一種のよくできたコンピューターウイルスだった。
彼女を作ったのが誰かは私も知らない。
だが、作られたプログラムが何らかの形で自我を持った存在となったのだ。
所謂、疑似人格以上の存在だ。その完成度は他を圧倒している。
彼女を拾ったのは、初めて君と会った研究施設で、騎士に対抗する手段を血眼になって探していたときだ。
はじめは浸透性の高いプログラム程度の認識しかなかった。
だが、その完成度の高さを見たときに、私たちは戦慄を覚えた。
そして、彼女から作ったプログラムでひたすら戦闘をしてデータをそろえていった。
結果、やはり彼女はとんでもない能力を持つことがわかった。
私のゾンビメイカーという能力もほとんど彼女のデータから流用したにすぎない。
結論として、彼女をそのまま放置するわけにはいかなかった。
彼女を肉体という入れ物に閉じこめる。
それが一致した見解だった。
そこで、I-ブレインの被験者のデータを操作して一人、失敗して亡くなった被験者の脳を利用させてもらい、肉体はゴーストハックで作り、脳の記憶領域に偽の記憶を刷り込んだ。
こうして生まれたのがキリエだ。
キリエは未だそのことを知らない。時が来たら話してくれ。
彼女は今、I-ブレインのすべてを肉体構造の維持に使っている。そう、魔法を使えないのではなくもう使っているのだ。
だが、彼女は本来ならもっとすばらしい目的のためにその能力を使ってしかるべきなのだ。いつか彼女は再び情報の海に帰ることだろう。
そのときに、彼女が力を使う目的が戦いであってはならない。
君に頼みたいのは、軍部に私が多大な戦力を持っていると報告してほしいことだ。
私が抹消しなければならない記録は山のようにある。
それを軍に始末してもらいたいのだ。
私の「ゾンビメイカー」という能力は少しばかり人類には持て余す力なようだ。
最後に、君が私に協力してくれたことを光栄に思う。
キリエを頼む。」
培養槽に再び対峙した僕は、すぐさまキーボードに質問を打ち込んだ。
返ってきた答えは、すべて同じものだった。
「わかった」
僕は用意していたプログラムを作動する。
この日のために用意したものだ。
うなじのあたりに接続したI-ブレインが正常に作動したことを告げる。
すると、眠るように子供達が目を閉じた。
そして培養槽のランプが緑から赤に変わる。
「じゃあな」
すべてを確認した後、培養槽につながるケーブル類を切断した。
そして出ていく。
後は、ゼイレンだけだ。
「やあ、ずいぶん遅かったじゃないか」
穏やかなものだ、と僕は思った。
「ああ、だけど約束は果たせそうだ」
僕は騎士剣を構える。手加減はしてくれないだろう。
(知覚速度を15倍で定義)
ゼイレンの能力はわかっているから、一挙に近づくことはしない。
「さあ、来たまえ」
キリエを頼む。と言う一言の重さはすさまじいものだった。
あのあと一度キリエのI-ブレインを調べた。
想像以上の化け物だった。
こんなものを頼む?
冗談ではなかった。
だが、ならば越えなくてはならない。
責任を果たす力があることを、証明せねばなるまい。
片腕に騎士剣を構え自己領域を展開する。
ゼイレンの腕が伸びる。
(遅いな)。
自己領域を解いて、腕をかわす。
その勢いで、腹にけりを突き出す。
あばらに直撃した。おそらく2本はいったろう。
そして再び自己領域を広げて逃げる。
ヒットアンドアウェー。
それが考え抜いた末の戦いかただった。
だが、痛覚処理はその程度の傷では停止されないだろう。
その後、数回の攻防のうち、すべて僕が勝っていた。
ゼイレンは両腕を垂らす。
ゴーストハックがくる。
単調な攻防に癖のついていた体ではうまくよけられなかった。
右腕、肩、足に痛覚処理のメッセージ。
やばい。
ゴーストハックの基本攻撃である「槍」に貫かれてしまっていた。
慣性がついて転び、僕の頭部にゼイレンの腕が伸びるのがわかった。
その一瞬に、いくつかのことが起こった。
まずゼイレンは、僕に気を取られ過ぎて反応が遅れた。
討伐軍の騎士達がゼイレンめがけて無数の突きを放っていた。
それから・・・・・・僕は自分の騎士剣を手にした。
串刺しになった。
ゼイレンの口から血が漏れる。
さらにとどめを刺そうとする騎士達を押しのけ、僕は自分の剣でゼイレンのI-ブレインに突きをはなった。
突きは寸分違わず、ゼイレンのIーブレインに接触して・・・・・・・・・・・・。
脳を、貫いた。
それから、君はあまり戦火の激しくない地方に逃げてもらったね。
あのときのことは、僕が逃げたこともあって、うまく伝わってなかった。
かろうじて、ホムンクルスの脳が何かの実験標本として持っていかれたことは知っていたろうか。
僕はあの後、軍に戻って狂ったように戦った。
それから、互いに会えないまま、終戦の時を迎えたね。
だが君が無事だったことは知っていたし、それでよかったと思う。
そして、戦争が終わって再会して、もう片足を失っていた僕を看病してくれた。
そのときだったね、僕があのことを告げたのは。
ゼイレンと、ホムンクルス達はあの場所で死んだんだ・・・・・と。
それから君は、空虚にとらわれてしまった。
僕がそれから君にあったのは・・・・・・・・・・
キリエ、ごめんよ。
僕が告げなくてはならないことはもうほとんどが終わった。
だが、君に嘘を突いたことを謝らねばいけない。
ゼイレンとホムンクルスは、生きているのだ。
あのとき、ホムンクルス達に起動したプログラム、あれは、彼らの意識を情報化して情報の海に帰すものだった。
何とかうまくいったらしい、その後調べたところ全員元気に(と言うのもおかしな表現だが)しているそうだ。
そして、ゼイレンは。
彼は元々、あのときに死ぬつもりなどなかった。
では、今はどこにいるのか?
それは、僕の頭の中だ。
そう、彼は僕の中で、いまだに生き続けている。
あのとき、騎士によってとどめをされる瞬間に、彼は肉体を放棄して生き続けることを選んだ。
全く思わせぶりだろう?
今は君との再会の時を待って眠っている状態だ。
再び君が彼らと再会したいのなら君の今ある肉体を捨て去ればいい。
無理強いはしない。
だが、君に秘められている能力はすばらしいものだ。
そして君を支える仲間もいる。
君がこれから歩む道は希望に満ちあふれているとは僕は思わない。
だがそれでも世界は君のことを放っておかないだろう。
だから心してほしい。
同時にわかってほしい。
それが、君の生きる世界という舞台なのだ、と。
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