終章
「あの空の向こう側へ」































――――風が吹いている。
まるで何かを悲しんでいるように、風が吹き荒れている。
錬作り出した擬似ブラックホール・『終わる世界』エンド・オブ・デイズによって生み出された重力異常により、局地的な暴風が荒んでいるのだ。
荒れ狂っている。
唐突に主を失ったことを悼んでいるように。
轟々と風が鳴り響いている。
青い青い空の下。それだけが意義であるように風が吹き荒む。
と、その強風の中、空間の一点が歪み、人影が現れた。
『次元回廊』より抜け出した祐一たちだ。
「あの・・・・・・・大馬鹿っ!!」
「っ、暴れるな月夜、構成が維持できん!」
『紅蓮』を片手に何とか『自己領域』で全員を包んでいる祐一、その両腕にそれぞれ天樹兄弟が捕まり、
そしてその下からはフィアとセラの重力制御で浮いているディーが支えている。
三分足らずの短い時間だったが、何とか『自己領域』を発動できるレベルまではI−ブレインが復帰してくれた。
そうでなければ『次元回廊』脱出直後に墜落していたことだろう。
錬が『次元回廊』内で祐一たちのI−ブレインを休ませようとまで考えたのかはわからないが、とにかく少しは回復できた。
辛い体勢であったが、今はそんなことを気にしている必要はない。
「錬・・・・!!」
端正な顔を乱し、泣きそうな顔で必死に月夜が弟の姿を捜し求める。
だが、視界にそれらしいものは見えない。
月夜の顔が歪み、ついには嗚咽で言葉がかき消される。
「・・・・・・・錬、さん・・・」
フィアの目には既にうっすらと涙が滲んでいる。
固く、固く拳と唇を握り締め、フィアはともすれば泣き出しそうになる自分を押さえ込む。


・・・・・・私、怒ってます。

錬さんが言ったとおり、私、怒ってるんですから・・・っ。

だから、だから・・・・・・

だから、帰ってきて、怒らせて下さい・・・・っ!!


少女の背中から羽が飛び散り、周りに感情を振りまく。
それに月夜の顔がさらに歪み、真昼が顔を伏せ、ディーとセラもいたたまれなくなったように目をそらした。
祐一にはかける言葉が見つからない。
この目の前の状況で一体何を判断できるというのだろう?


・・・・・・あの『巨人』が、跡形もない。


そう、そうなのだ。
シティ・神戸の時の暴走体とは違い、完全無欠に”時間経過”以外に弱点のないあの純白の巨人が、消え去っている。
「・・・・・・錬、・・・何をしたというんだ?」
まさか、あれを一人で滅ぼしたというのか?
祐一が確認できたのは、錬が自らのI−ブレインに自分たちの演算素子を仮想移植した、ということのみだ。
あんなことをしたのならばスペックオーバーでI−ブレインが焼ききれてもおかしくはない。
だがしかし、それに関しては祐一は確信を持っていた。



――――天樹錬は、その程度のこと・・・・・・・など、意志の力でねじ伏せることができる、と。




どんな無茶でも最後には解決に持ってゆく理不尽とまでいえる行動力。
そして、自分を犠牲にしてでも他人を思いやることができるのならば、決して仲間を残して消えたりはしないはずだ。
その点だけは、確信している。・・・いや、そう思わなければならない。
あの少年は祐一に向かって確かに叫んだ。

――――大事な人を、大好きな人を守りたい、と。

対して自分はこう言ったはずだ。

――――どうせ犠牲が出るならば、より多くの救いを望んで何が悪い、と。

錬はその問いには答えなかった。
否、答える必要が無かったのだろう。
あの問いに答えなどは無い。
どちらも等しく正しく、そして間違っている。
けれど、錬も自分もこれだけは信じていたはずだ。
正しくなくとも、間違っていようとも、


――――決して誤ってはいない・・・・・・・・・・ということを。



そうして錬はやり遂げた。
確かに犠牲も出た。
しかし、”救われなかった”者は誰一人としていなかったはずだ。
皆、自分の進むべき道、来る運命、破滅を前に、ちゃんと『覚悟』を持って向き合った。
月夜の話した悲痛な真実に耳を傾け、確かに彼らは”納得”したはずだ。
たとえ誰から罵られようと、どんなに苦しい選択だろうと、天樹錬は絶対にやり遂げる。
自らの信じた道を覚悟とともに行き、馬鹿げた選択をしようと最後には周りを笑顔に変える。
少なくとも、黒沢祐一が感じた錬とは、そうであった。
あの少年はきっと最後には周りを笑顔に変える。
だから、この信用は揺らぐことは無い。
それより今はむしろこの現状だ。
この目の前の状況、判断がつかない。
台風並に荒れ狂う暴風と、明らかに自然のものとは思えない重力異常。
いったい・・・何を、した?
俺たちにはわからない”なにか”を持ってお前はあれを滅ぼしたのか?
戦士である祐一にとって、今はそちらの方が気にかかっている。
と、

「――いました!!」

唐突にセラが叫んだ。
一瞬の硬直の後、皆が色めきたった。
「どこにですか!?」
「見つけたの!?」
フィアと月夜が凄まじい勢いで問うた。
その勢いに少しひきながらも、セラは答える。
「ここより上空、です・・・・・・重力異常に上に弾かれた、みたいです。」
未だ回復しきっていない、それも慣れていないI−ブレインの疲労に顔を歪ませ、
しかし究極の空間知覚能力を持つ『光使い』の名に恥じぬ計測をもってセラは錬の位置を割り出した。
「上?」
祐一は叫びの中、目を凝らす。
逆行が目に入り、I−ブレインが瞳孔を狭める。
「・・・・・・自由落下、始まります。」
目を閉じ、集中して瞑目するセラが告げた。
「位置、は・・・・・・ここから西に25m、・・・・っ、です。」
「セラ!」
I−ブレインと肉体の疲労が限界に達したのか、くた、と少女の体が力を失う。
慌ててディーが抱きとめる。
そして、刹那の間もおかず、フィアが最後の力を振り絞って天使の翼を振るわせた。
「・・・・・・っ!!」
続く動作で翼が大気を打ち据え、フィアの体を前へと飛ばす。
そのときには、もう全員が探し人を視認していた。
上空およそ100mの高さより、紅色を纏いて世界に抱かれるように落下してくる黒髪の少年。
それは紛れもなく――――









「錬――――!!!」









月夜と、真昼と、フィアの声が重なった。
それが不可視の力を成したように、天使の翼の領域に入った錬の落下速度が著しく減衰し、
そして、ゆっくりとその小柄な体が下で待つ天使の少女の腕の中へと降りていった。
細い腕が、しっかりと、少年を抱きしめる。
「錬さん・・・!!」
生きてる。
生きてる。
「暖かい・・・・・・!」
フィアはしっかりと少年を抱きしめる。
この温もりを離さないように。
もう二度と、目の前からいなくならないように、と。
「やれやれ・・・・・・これで、終わり、か。」
「そうです、ね・・・・・・流石に、疲れましたよ。」
安堵の息を漏らす祐一と消耗したディーの声。
「あん、の・・・ばか・・・絶対に、起きたら、殴っ・・・・てやるんだから・・・!」
「泣きながら言うセリフじゃないと思うよ。嬉しいならそう言わなきゃ。・・・・・・でも、月夜らしいね。」
嗚咽する月夜と、やさしく宥める真昼の声。
それらに包まれて、フィアたちはゆっくりと、地上に向かっていった。
「・・・・・・え?」
そこで、気づく。
『雲』・・・は?」
自分たちが地上に降りるまでに必ず通る障害、帯電する遮光性気体の雲が、無い。
もうすでに、『雲』の領域には達しているはずなのに・・・?
「フィア、横を見てみなよ。」
真昼が言う言葉に従い、フィアは横を見た。
「え?」
今度こそ、絶句した。
横に広がる円柱状の空間。
自分たちを黒い気体が取り囲んでいた。
「『雲』・・・・・・でも、何でここだけ!?」
ぜんぜん気づかなかった。
自分たちが降りてゆく道だけ『雲』が切れている。
どうして・・・?
「・・・・・・最後の最後まで、勝手なヤツ、だな。」
ぼそり、と祐一が呟いた。
え?とフィアは三度問う。
だが、それに答えた声は腕の中からだった。
「・・・・・・『世界』、だ・・・よ」
弱弱しく、だがしかしはっきりと聞こえた声の主は、

「――――錬!」

全身の痛みに苛まれながら、I−ブレインの警報に体を軋ませながらも、天樹錬がしっかと目を開けていた。
錬さん・・・!
視界が霞んだ。
頬に湿り気を感じる。
「あは、は・・・は」
涙が止まらない。
こちらの様子に気づいた錬が動かぬ体ながら慌てて何かを言おうとしているが、それすら知覚の範囲外。
感極まったフィアは錬を抱く腕に一層の力を込め――
「ちょ――フィ、あ!――僕まだ、っつぅかく・・・・っ!!!」
「フィア!!」
「ご、ごめんなさいっ!」
月夜の叫びでようやく我に返ったフィアは慌てて抱擁を緩めた。
「・・・・・・全く、アンタ死にそうになった恋人が帰ってきたっていうのにそれを絞め殺す気?」
「す、すみませ――」
ん、と続けようとしたとき、足に感触。
あれ?と思って下を見ると、
「大地・・・・・・・」
足元にあるのはいくら踏みしめようと決して揺るがぬ大いなる大地。
万物を育み育てる世界の母。
「あ・・・・・・」
終わったんだ、という実感がようやく湧いた。
錬をそっと地面に横たえ、自分もそのままぺたんと腰を下ろす。
他の皆もそろって力尽きたように地面に膝をついている。
そこで、ふと何気なしに上を見上げ、”それ”が目に入った。
頭上を遮る薄黒い遮光性気体の雲、そのある一点に、直径50mほどの空白ができ、そこから太陽の光が差し込んでいた。
「え・・・?」
あの穴を通ってきた、それはわかる。
でも、・・・あれは?
『世界』、だよ。」
地に伏したまま、錬が先ほどの答えを繰り返す。
「あぁ、あの部分だけ雲が弾かれている。『揺蕩う世界』ウェイバー・フロゥあたりだろうな。」
と、祐一。
それで、やっとわかった。
「あれって・・・じゃぁ、あの人が。」
「うん、・・・そうだろうね。」
太陽の光に照らされながら、錬が答えた。
直径、ほんの50m程度の、輝く空間。
たったそれっぽちだけど、ここだけは確かに、かつての”世界”を映し出していた。



――――途方も無く狂った賢者ベルセルク・MC・ウィズダムの能力、『七聖界』セブンス・ヘヴン



つい先ほどまで自分たちが死闘を繰り広げていた男の能力が、自分たちを救ってくれた。
最後の最後であの巨人のコントロールを取り戻したのか、それともあらかじめ先を読んでいたのか、
それはわからない。
それを贖罪ととるか、偶然ととるかには、ウィズダムの行動は異常につきる。
だがしかし、見るべきは今この事実。
永久凍土に囲まれ、二度と日が差すことは無かったはずの、枯れ果てた世界。
その死んだ大地に、今また命の息吹が注ぎ込まれている。
まるで、
『世界』から”世界”への、贈り物、とでもいうのかな?」
眩しそうに目を細め、真昼が言った。
「きれい、です・・・・・・」
ディーに抱えられたままのセラも、薄目を開けて呟く。
祐一も、月夜も、錬も、皆、揃って太陽に照らされていた。
そして、その向こうに見えるのは、――青。
失われたはずの、世界の色。
もう、取り戻せなかったはずの、思い出の風景。
青にして蒼、どんな色よりも澄んだどこまでも広がる、青空。
ほんの少ししか見えなくても、まるでそのまま吸い込まれていきそうな感覚。
昔の人たちは、いつもこんな空を見上げていたのだろうか。
普段は何も思わなくても、ふと見上げればいつだってそこにある。そんな空を。
世界を覆う黒い雲の間、陽光と共に降ってくる蒼さ。




































・・・・・・・・・それはまるで、もう忘れかけている僕たちに対して、”ここにいるよ”、と言っているようで――――――








































忘れないで、忘れないで、





















気づかなくても、気にしなくても、それはいつだって、あなたの上にある。





















ふと上を向いたときに気づく、世界を覆う物言わぬ聖域。





















どこまでも、どこまでも高みに広がってゆく、無限の蒼穹。





















いつの日かまた、青空を取り戻せる日は来るのだろうか。





















いつかまた、世界中の人たち皆で、笑って空を見上げられる日は来るのだろうか。





















――――ほら、見上げてごらん。





















見えなくとも、確かにそこにあるのだから。





















あるありふれた歌を歌おう。





















夜明けを祝い、明日を照らし、今に捧げる歓喜の歌を。



















辛くとも、苦しくとも、きっとこの”いま”は届くはずだから。



















『I love this perfect world』



















この一瞬を信じて、希望の手を伸ばそう
――――










































――――あの空の向こう側へ――――
















thanks for reading!!