終章

「グレート・マザー」



























――それは、一人の少女の物語――






















全てを終え、錬たちは寒風荒巻く荒涼の大地に立ち尽くしていた。

『アレイスター』は完全に大破。

『終わる世界・虚の太陽』エンドオブデイズ・ステナトンによって時空防壁を剥ぎ取られたところに『虚無の領域』の直撃を受け、問答無用で機体の半分以 上が粒子と化して墜落している。

エドとヘイズも地上へ降り、錬たちと一緒に佇んでいる。

この場は少し小高い平原。

少し向こうには天を貫いて屹立する世界樹の姿が望める。

そして、五人が見つめる先は、少し土が盛り上がった丘のようになっていた。

それは、墓だった。

墓石も、供え物も、何も無い単純な墳墓。

けれどそれは、リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴという少女が走りきった人生の証。

もういなくても、確かに彼女がこの世界を生き抜いたという印だ。

いずれこれも風化し消えてゆくだろう。

それでも、確かに証だけは残るのだ。

たとえ色褪せようとも、それだけは確かだと信じてきたい。

「・・・・・・・・・無駄、だったのかな。・・・・・・わたし達のやったこと」

ぽつりとファンメイが呟いた。

そんなわけはない。

そう言ってやりたかった。

でも、そんな簡単に片付けられる問題ではないのだ。

錬だって、ともすれば悲しさと悔しさで涙が溢れそうになる。

守りきれなかったのは自分も同じ。

だからそんなこと言う資格なんてありはしない。

いや、それを言うなら、今この場にいる全員がそれを痛感していただろう。

いつもどおり無表情に見えるエドも、やはり顔に陰が落ちている。

ヘイズは腕組みをしたまま目を閉じているし、フィアは俯いたままだ。

沈黙。

重苦しい静寂が満ちた。

後悔と悔恨だけが残る、結果。

自分の頭をハンマーで殴りつけてやりたい気分だった。

と、その時。

「・・・・・・・・・」

「エド?」

唐突にエドが顔を上げた。

いきなり何かに気づいたように、きょとんとした目が丸く見開かれている。

エドはそのままきょろきょろと周りを見渡し、世界樹の方を向いて止まった。

「エド・・・・・・? どしたの?」

「・・・・・・エドさん?」

フィアとファンメイが問うが、エドは答えず、代わりに、



「――――よんでる」



立った一言を返した。

「え? よんで、って――――うわぁ!?」

聞き返す間もなく地面が揺れ、白銀の鳥がその首をもたげ始める。

「ちょ、ちょっとエド――――?」

慌てて転びそうになったフィアを抱きかかえてラグランジュを起動する。

けれどエドは振り向きもせずに、繰り返すだけだった。

「よんでる。――――いく」

「うわわ!?」

言うが早いか錬たちを捕らえる白銀の腕。

問答無用でウィリアム・シェイクスピアの中へと引きずり込んでゆく。

「ってちょっと待て俺もか――――っハリー! 後追って来い!」

引きずり込まれる直前にヘイズが慌てて音声認識でHunter Pigeonの制御権をハリーへ渡す。

それを確認して、ウィリアム・シェイクスピアは空へ身を躍らせた。

余程急な発進だったのだろう。

前みたいに直通ではなく、ジェットコースターのように無茶苦茶な道を通って錬たちは中枢ハッチへと投げ出され た。

「いててっ。エ、エド?」

途中で何度かぶつけた頭をさすりながら錬が立ち上がる。

小柄な錬でこれだ。

より長身のヘイズは横で悶絶している。

エドはそんなこと意にも介さずに有機コードで自身とウィリアム・シェイクスピアを直結。一躍速度を上げる。

「ね、ねぇエド? いったいどこいくの?」

「よんでる」

「や、それはわかったから――――どこへ?」

その問いにエドはす、と前を指差す。

と同時に投影ディスプレイが現れて映像を映し出した。

船外カメラが捉えたものだろう。

そこに映っていたのは、

「・・・・・・・・・世界樹?」

山と見紛うばかりの幹。

軌道エレベーターとしても通用するかもしれないほどの全長。

そのディスプレイに映っていたのは、紛れもない『世界樹』だった。

「世界樹が、どうかしたんですか?」

「まさか、暴走の気配感じた、とかじゃないよね?」

「ちがう」

ふるふると首を振るエド。

だったら、何が・・・・・・?

と、考えているうちに到着してしまったらしい。

ウィリアム・シェイクスピアが減速し、ゆっくりとそんな高くなかった高度を落としてゆく。

そして着陸。

それもシティ・ロンドンの世界樹研究施設のド真ん前に。

いきなりの着陸に驚いた研究員たちが次々に飛び出してきていた。

「・・・・・・・・・・」

「おりる」

「・・・・・・・・・はい」

なんとなく後ろめたさを感じながら地上へと降りる。

「エド、それで一体――――」

「こっち」

「え? ってちょっと待ってって!」

わき目も振らず、エドは小さな体で世界樹の内部へと走ってゆく。

「あぁもう一体なんなんだ!?」

がしがしと頭を掻くヘイズを先頭に、錬たちも慌てて走り出した。

世界樹の中へと入り、複雑に絡み合った蔦や枝を足場にしてひょいひょい進んでゆくエドを追いかける。




途中、

「何を急いでるエドワード・ザイン――――と、お前さんらまで一体何の騒ぎだ?」

「あ、せんせー」

「さっき途轍もない量のフラックスが中枢付近で観測されたんだが何か知らな」

「――――悪ぃ先生! また後で!」




目を丸くしたリチャードとすれ違ったが話している暇はない。

煙草ではなく禁煙パイプだったのは何かあったのか気になったが。

ともあれエドを追う。

十五分ほど走っただろうか、絡み合った蔦の網を抜けると、開けた場所に出た。

広いドーム状の空間。

その中心には瘤状に寄り集まった植物組織とその周りに連結する機器群があった。

・・・・・・・・・ここって。

「世界樹の、中枢?」

となるとあの機械がエドの代わりに中枢を制御するやつか。

「・・・・・・で、ここがどうしたの?」

見たところ何の異常も無いように思えるが。

「よんでる。ここから」

その中枢を見上げ、エドが繰り返す。

「や、だから誰が?」

なんか初めて会ったころのやり取りみたいだなぁと思い、












「――――りゅーね」












一瞬で思考が硬直した。

・・・・・・今、何と言った?

フィアも、ファンメイも、ヘイズも絶句している。

「エ、エドさん今なにを――――」

深呼吸して息を整えたフィアがどもりながら確認しようとし、















「――――やっほー、みんな」















同時に現れた一枚の投影ディスプレイに、とんでもなく脳天気な声と共にリューネが映し出された。

「へ・・・・・・?」

「えええ!?」

「リューネぇ!?」

「な、ん・・・・・・っ!?」

思わず間抜けな疑問符を上げる錬・フィア・ファンメイ・ヘイズ。

「あは、揃って幽霊でも見たみたいだね?」

それが面白かったのか、リューネは満足そうに笑み、ウィンクを一つ。

そのままくるりと回って見せた。

「リューネ・・・・・・なの?」

「もち。ってか他の誰に見えるのよー?」

呆然と聞く錬にあっけからかんと言い放ち、あまつさえむぅ、と膨れてみせるリューネ。

その仕草のどこにも暗い影は無く、満面の笑みに溢れていた。

「お前さんは・・・・・・」

・・・・・・死んだはずだ。

ヘイズはそう言おうとして、

「うん。私は、確かに死んじゃったよ」

当の本人に明るく肯定されたのはどう反応するべきか。

リューネは一つ二つ頷き、

「そう。確かに私の体はあの時完全に死んだ。これ以上無いくらい、完全無欠にね」

「なら」

「――――話は最後まで聞く。私はあの時死んだ。けど、その前に何かおかしなことがなかった?」

「おかしな、こと?」

記憶を掘り起こす。

あの時は、リューネの力がどんどん無くなっていくことに動揺して、他のことにはあまり注意を払えていなかった が・・・・・・

「えっと、・・・・・・変なノイズが、なかった?」

不安げにファンメイが言う。

それで思い出した。

確かに妙なノイズがあった。

今わの際にリューネの周りを渦巻いた不可視の”なにか”。

世界の根源のようでもあり、あるありふれたものでもあるような、そんな”なにか”。

リューネはその答えにうん、と頷いて口を開いた。

「あの時ね、私はギリギリのところで自分を、リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴっていう人間を構成す る意識データを転写したの」

「・・・・・・・・・は?」

ぽかん、と口を開けるヘイズ。

いや、それはこっちも同様だ。

意識を、データ化して送る・・・・・・?

「な、なんだそりゃ!? お前さんそんなことまでできるのか!?」

リューネはへへん、と胸を張り、

「忘れたの? 私のカテゴリは『調律士』ワールドチューナー。この世の全てを統御する存在よ? ”永久改変”に比べたら”転 写”なんて寝起き前よ」

だからそれはまだ寝てるのではないか。

「でも、ホントならこんなこと成功しない。”私”って言う意識は普通の魔法士の一万倍にも匹敵するの」

受け入れ先がそんな馬鹿でかいデータを受け入れきれるわけがない、と。そうリューネは言った。

「けれどね。幸運なことに、ここには『世界樹』っていう偶然があった」

「・・・・・・そう、か。『世界樹』の情報構造体は物理的にも情報的にも完璧なシロモノ」

「そ。だから”私”を容れるには丁度いいものだった、ってわけ」

リューネはそこで言葉を切り、

「それでも、ホントに急なことだったから、まだしばらく安定には時間がかかるの」

一息。

「――――実際、あの『アレイスター』の防壁見てなければ、こんなこと思いつきもしなかったし」

「? そりゃどういう意味だ?」

あの『キタヴ・アル・アジフ』と意識の転写には何の関係も無いように思えるが。

けれどリューネは首を振った。

「うぅん。直接的に関係があるわけじゃないの。ただ、あの 『 I d 』 おおバカたちが何をやってたか思い出しただけ」

「?」

またもやわけのわからない説明。

首をかしげる錬たちに、こっちの話、と断ってリューネは話を再開した。

「要するに、私の意識の収束が安定するまで後三日くらいかかるってこと」

「それじゃあ――――」

それなら、望みが叶うのではないか。

フィアの同調能力でリューネの意識を適当なものに移せば、彼女は”日常”を手に入れられるのではないのか。

と、こちらの視線の意味に気づいたか、リューネは少し物悲しそうに頷いた。

「うん。意識を集めて、”入れ物”があればフィアの力で私の意識をそこへ移すことはできる」

「なら」

やり直せる。

リューネは、ありふれた幸せを手に入れることができる。

そう確信した錬たちだが、リューネは静かに首を振った。










「――――でも、ダメだよ」










「!」

一瞬にして走る動揺。

「ど、どうして――――?」

『黄金夜更』は潰した。

もう逃げ回ることなんて無い。

もう、リューネは普通の人間として生きていいんじゃないか・・・・・・!

どうしてだと、目で問いかける。

リューネは寂しげに、しかし誇らしげに微笑んで答えた。

「忘れちゃダメ。私は、もう死んだの」

錬を、フィアを、ファンメイを、ヘイズを、エドを。

一人一人をゆっくりと見回しながらリューネは言う。

「それは取り返しのつかないことだし、何より無かったことにしていいことじゃない」

いくら切望していようと、それだけはやってはいけないこと。

死んでしまった。だからといってやり直しを望むのか?

それは違うと思う。

そう、リューネは語る。

「とってもステキだと思うよ。私だって、もう一度みんなと一緒に遊びたいし、何より生きてゆきたい」

一息。













「――――それでも、死んじゃったことをやり直すのは、おかしいんだと思う」













「そんな簡単に行っていいことじゃない、そうでしょ? それだったらあいつらと変わらない。命を軽く見ちゃう ことになるから、ね」

だから、望まないと。

この身に宿る信念と、あの時誓った決意にかけて、そんなおかしいことは望めないと。

リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴははっきりとそう言った。

「・・・・・・・・・」

誰も、何も言えない。

そう、自分たちの勝手な思いで、この少女の覚悟をどう踏みにじれよう。

あの誓った生き抜くという決意。

結果は残念に終わってしまったが、確かにリューネは”生き抜いた”のではないか。

・・・・・・それなら、自分たちが口を挟めることではない。

リューネは笑って告げた。

どこまでも誇らしく、どこまでも笑顔で。

「結果はこうなっちゃったけど・・・・・・、今、これが必死で生きてきた”私”のゴールなんだと思う」

錬たちに出会って、毎日の楽しさを知って、運命に抗い続けてきた結果がこれなら、それがどうであれ決意は果た された。

「それを無かったことにするなんてできないよ」

それは、みんなの思いも、行動も無にしてしまうものだから。

「みんなが必死で助けてくれたこの”私”こそが、リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴっていう人間な の」

これが、私。

これが、必死で今まで走り続けてきた本物の私。

それだけは、何があっても譲れないものだと思うから。

「どんな小さなことでも、それらは全て今の自分につながっている。――――そう言ってくれたよね。ファンメ イ」

「うん・・・・・・っ」

精一杯頷くファンメイ。

それに微笑み、リューネは紡ぐ。

「それといっしょだよ。だから私はそんなことは望まない。この、天高い大樹の中で、ずっとみんなを見守ってる から」

それだけで十分だよ。

・・・・・・だって、もう一度みんなと会えたんだもの。

「・・・・・・うん。ちょくちょく、遊びにくるよ」

錬が、

「はい! 絶対に行きますから!」

フィアが、

「みんなでいくからね!」

ファンメイが、

「あぁ、当然だ」

ヘイズが、

「ひとり、ちがう」

エドが、その少女の決意に、確かに応えた。

ここに、全ての誓いは果たされた。

後はたった一つだけ。

最後に言わなければいけない言葉があるだけ。

だからリューネは今までの中で最高の笑顔で告げた。

たった一言。


























「みんな、本当に――――――――ありがとう」





























           *















「・・・・・・・・・これで、よかったんですよね」

帰路に着き、フィアが言った。

リューネと再会を約束し、世界樹を出てから錬たちもそれで解散することにした。

ヘイズとファンメイはまたシティ・ロンドンに少しばかり滞在するらしい。

錬とフィアは少し長くの仕事となったこともあり、月夜たちが待つ町へとんぼ返りだ。

その帰り道。

後ろの世界樹を見上げてフィアが呟いた。

「それは、僕らが言うことじゃない。リューネ自身が決めたことだから」

・・・・・・本当は、リューネともう一度みんなで過ごしたかった。

けれど、あれが彼女が選んだ道のなら、何も言うまい。

「答えなんて無いし、善悪なんてあるはずない。――――なら、僕はせめてリューネが出した答えを信じたいん だ」

一息。

自分も後ろを振り返る。

天高く聳え立つ世界樹を、その中で世界を見守っているであろう少女を見て、告げる。

「大丈夫。ずっと、見守ってくれてるから」

「・・・・・・・・・はい!」

二人して、世界樹を見上げ、リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴという少女を思う。






















――――それは、一つの物語。
















逃れられぬ運命を前にしても、決して足を止めなかった一人の少女の物語。
















それは、刹那の輝きに彩られて、確かに「いま」に証を刻んで駆け抜けた、一人の少女の物語。
















泣いて、転んで、倒れて、傷ついて。
















それでも、絶対に諦めることはなかった。
















走って、走って、ただ走って。
















届かぬと知りながらも手を伸ばした。
















眩いばかりの輝きに満ち、残酷で大切な一瞬を駆け抜けた、そんな少女の物語――――――――































・・・・・・・・・風が、吹いた。

一陣の風は大樹を揺らし、さらさらと吹き抜けてゆく。

それはまるで、大切な人へ手を振っているようだった。

風が送るメッセージ。

絶望の闇の中で、たった一つ煌いたものへ。

それは、”ただそこにある”だけの、小さな小さな心の寄る辺。

さらさらと揺れる音は、たった一言を伝えていた。








































――――――――「ありがとう」と―――――――――



















THANKS FOR READING!!