第七章

「絶望の海から」



























――手を伸ばせ 答えはすぐ傍にある――































ディーは小型のバイク型フライヤーをロンドンの格納庫より奪取し、 『自己領域』中を疾駆させていた。



「ディーくん、ディーくんっ!!」



背中から声。

なんだか部屋を飛び出したときから聞こえていたような気がする。

ああ、意識に極細の網がかかっているようだ。

情報量の多さにI−ブレインの処理が追いついていないのか、それともただ自失しているだけなのか、それすらも 今のディーには判断がつかない。

ただ駆ける。

『自己領域』内部での飛行はどう足掻いても15分が限界だろう。

だが、それだけの時間があればマサチューセッツまでの距離を半分は詰めることができる。

I−ブレインを通じてフライヤーの演算処理に自分のそれを付け加え、ありえない速度で天を往く。



「ディーくん……っ!!」



……あぁ、幻聴が聞こえる。

騒がしい。

邪魔をするな。

助けに行くんだ。

僕が、僕であるために。

もっと速く。

もっと速く。

もっと速く、だ――――――!








「ディーくん―――――――――ッ!!!」








脳を刺す声。

引き止める声。

―――誰を?

そんなものは決まっている。

息が上がる。

―――誰が?

鼓動は32ビートを刻み、上下する肩は無様極まりない。

思考が加速している。

―――どうして?

耳元での叫び。

ああ邪魔だ。






「――――――ぁああああああッ!!」






「きゃぁっ!?」

背筋を反らせて咆哮する。

その反動で背中の重みが消えた。

途端、形容し難い喪失感が脳を襲った。

例えるならば大黒柱を失った家屋。

精神の中心をブチ抜かれた。

「ぁ、――――――」

なんのことはない。

”中てられた”自分の精神をかろうじて留めていたのは、■■の呼びかけだったのだ――――――





(『自己領域』内外の時間単位に矛盾発生。強制解除)





「ッ……!」

一瞬で、意識は普段の自分を取り戻した。

狭窄した思考は一気に広がり、視界が実像を結ぶ。

『自己領域』が消え去ったのは、”なにかが”範囲空間から出てしまったからだ。

異なる時間単位が同時に一つの空間中に存在することになり、”世界”とI−ブレインはそ の矛盾を排除するために領域を消去した。

そして、その”なにか”とは、



「セ、ラ―――――――――ッ!!」



翻る金の髪。

視界の下部にそれが残像を伴って流れ落ちてゆく。

それを視認した刹那、再び『自己領域』を起動。

今度は矛盾は発生しない、セラの体が完全に領域から落ちたからだ。

ディーは光速の99%の加速を得てナノセコンドはおろか、指弾すらおぼつかぬ一瞬で再びセラを『自己領域』内 に取り込み、安定。

「セラ……、ごめん!」

少女の体を抱きしめる。

今になって、自分はこんな高度で少女を叩き落そうとしたのだと理解した。

ディーのI−ブレインで演算速度を上げているため、フライヤーの演算機関の効率はそんじょそこらの戦闘機レベ ルにまで及んでいる。

シティ内巡回用、一人乗りの小型バイク型にして巡航速度は時速5000km近くまで達していた。

そこで、さらに気がつく。

風防の無いこのフライヤーでこんな速度を出していれば、『自己領域』から出た瞬間に風圧で跳ね飛ばされてしま う。

だがそれが無かったのは、腕の中の少女が重力制御で大気を留めていてくれたからではないのか。

セラは、震えているようだった。

「ごめん、……ほんとにごむぐっ?」

ここが地上だったら土下座すらしていただろう。

が、再度謝ろうとしたとき、セラの手がディーのほっぺたをつまんだ。

ぐにぃ〜……

「シェ、シェラ?」

間抜けな声が漏れる。……なんか、前にもこんなことがあったような。

ぐにぐに、とディーの頬が横に伸びる。

正直、戦闘でのケガとかよりもこういうのの方が痛いと思う。

ぐにぃ……ぱちんっ。

「ぃたっ」

限界まで伸ばされた頬が戻る。

ひりひりするそこを手で押さえ、セラの顔を覗き込む。

まだあどけない少女の顔は、少しむくれているようだった。

「え、っと…………」

所在無く手をさ迷わせる。

何を言うべきなのかわからない。

それに、知っている。

こうなったときのセラは、








「……………………ディーくん」








「はいっ」

直立不動。

セラを抱えて姿勢を正す。

重力制御の不可視の壁の外側で轟々と唸る風の音と相まって、酷く怖い。

冷や汗をたらすディーに目はあわせず、光使いの少女は口を開いた。








「…………ディーくんの、ばか」








「――――――――――――」

意識が凍る。

思考が止まる。

I−ブレインの回転すら停止。

否、デュアルNO,33という存在そのものが凍りついたようだった。

「……なんども呼んだのに、無視しました」

「ぇ、あ……その……」

普段より平坦なセラの声。

何も答えることは出来ず、あわあわと変な言葉しか出なかった。

「……おまけに、わたしを落っことそうとしました」

声が痛い。

針のむしろに座らされているようだ。

ディーはどうすればいいのかを必死で考え、当然の帰結にたった。



「……ごめん、セラ」



小さな少女の体を抱きしめ、精一杯の誠意を込めて、謝る。

それしかできない。

”中てられて”いたとはいえ、自分がセラを突き落とそうとしたことには変わりは無い。

守ると、どんなことがあっても守ると誓った少女に対するそんな仕打ちに、償う方法など無い。

「僕がどうかしてた。ごめん……、もう、普段の僕だから」

「…………」

脳の中に火箸を突っ込んでかき混ぜられたようなあの感覚。

圧倒的な情報量にI−ブレインの処理が追いつかなくなったときと似ているが、それとは全くの別物だろう。

あのような、あのような悪意のある混乱など・・・・・・・・・――――――



「……前にも、言いました」



「え?」

胸の中で、ぽつりとセラが呟いた。

「前にも言いました。……怖い顔してたら、恐いこと考えてたら、ホントに”そう”なっちゃいます」

「あ……」

それは、ウィズダムとの戦いの前に言われたこと。

自分を見失わないで、と。

どれだけ罪を重ねようが、たとえその覚悟があろうとも、自分を投げ捨てたりはしないで、と。

今と同じように、頬を引っ張られて諭されたのだ。

「クレアさんが心配なのもわかります……。でも、落ち着いてください……」

ディーくんがなにかに飲み込まれそうで恐かったと、セラは言う。

「最近、みんなが変なんです。……まるで、何か支えが外れてしまったみたいなんです……」

それは転がり落ちてゆくボールのようだと。

何か取り返しのつかない一線を踏み破ってしまっているようだと、セラは言った。

「……そう。……ありがとう、セラ」

いつだって止めてくれるのはこの子だ。

闇に落ちそうになったとき、絶望に飲まれそうになったとき、いつだって引き上げてくれたのはセラだった。

「……それで、これから、どうするんですか?」

その声に、現実に引き戻された。

ロンドンを飛び出して既に10分以上。いや、そのほとんどが『自己領域』内だから実際には2分と経っていないだろ う。

というか今も現在進行形で飛行中です。

ディーは少し考え、




「…………行くよ。マサチューセッツに」




はっきりと、言い切った。

今さらなのかもしれないけど。

それでも、自分に嘘はつきたくない。

家族を助けに行くことの、どこに責められる道理があろう。

我侭ということは理解している。

それでも、この胸の奥が痛んでいる――――――

「本当に、マサチューセッツがやられたのかどうか、自分の目で確かめたいんだ」

上辺の理由。

けれども、それも立派な理由。

帰るべき場所だった。

たった一時とはいえ、あそこにはディーの望んだすべてがあった。

袂を別った今でも、その過去は変わらない。

セラは、何も言わずに無言で頷いてくれた。

「……行くよ。セラ」

僕らのはじまりの場所へ。

僕らのおわりの場所へ。

はたしてこれは、行くのか帰るのかどちらなのだろう。

胸中に未だ漠然としたもやもやを感じながら、ディーはフライヤーの速度を上げた。




























       *



























――――――そこには、色というものが存在しなかった。





否、それはつまり光というものの存在を否定しているのだろう。

光のない無色の世界。

だがそれは決して暗闇などではなかった。

色が無いのは純粋が故に。

光が無いのは必要が無いが為に。

彼にとって闇は恐れるものではない。

彼にとって夜は震えるものではない。

ここはあらゆるしがらみから切り離された浄土。

ここはあらゆる即物が焼け落とされた焦土。

当たり前だ。ここは意識の中。

壁を望めば壁はあり、床を望めばそれができる。

だがそんなことを思ったりはしない。

思考の主は文字通り身動きがとれぬ状況にあるのだ。

外界の情報はおろか、時間の感覚すらない。

ああいや、それは当たり前だったか。

ここでは何秒くらいたったのだろう。

外では何日が経過したのだろう。

一秒の思考に一日をかけ、一日の思考を一秒で紡ぐ。

ここには何の基準も在らず、 ―――光すらも停滞する凍れる世界・・・・・







…………その何もかもが止まった世界で、ありえない幻を見ている。

凍りついたはずの体が、熱を帯びている。







それは、どうしてだろうか。

ここは変化など生まれようの無い場所。

それなのに何故、この意識に届くものがあるのか。






―――…………アイツか。






ああ、ついに勝手に反応までしやがった。

自分のことなのにままならないというのは本当に鬱陶しい。

思考は断線。意識は朧。

だがそれでも、この身に届く意思だけははっきりと判る。

それは遥か遠く。天を衝く大樹より放たれた世界の祈り。






…………第一段階開放か。やれやれだぜ。






思考から意識は独立している。

放って置いても勝手に反応してくれるとはなかなかにものぐさなことだ。勿論俺が。

おや、どうにも意識だけは覚醒してきてしまったらしい。

それでは少し困る。刹那を永遠に偽装するのももう飽きた。

とはいえ自分ではまだ動けないのが悲しいところか。

全く、いつもすまねぇな。はは、それは言わない約束だろうに。






…………ハン、一人芝居のネタも尽きたな。






一つ試して尽きた。

ワタクシは寂しいのは嫌いなのです。なんてな。

だんだんと調子が戻ってきた。これでこそ俺だ。

徐々に思考を意識が侵食し、取り込み、そして合一する。

要するに寝ボケから醒めたってことだろうに。小難しい。

体は動かず意識は迷走。ああ要するにヒマなんだよ俺ァ。誰かなんとかしてくれないもんかねぇ。

あの分じゃアイツもまだここにゃこないだろうし、どうしたもんやら。






…………ま、これはこれで貴重な体験ではあるんだがな






日がな一日朝から晩まで年がら年中休むことなく。労働基準法よ永遠なれ、ってかクソ食らえ。

退屈は神をも殺すっつーが、そりゃまた贅沢な死に様なことで。流石は我らが御主。磔刑にかけられた子供すら助 けない無慈悲なヤツだ。

そもそも人生ってのはいかに暇を潰すか、だろうによ。退屈男か。全然関係ねーな。

だがまあ、アイツがそのうち来るだろう。それまでは貧乏暇だらけを謳歌しておきますか。
























――――――やれやれ、全く、ままならねぇもんだよな――――――























さて、幕間はこれだけ。

寄り道は忘れ、正当な物語へ戻るとしよう。






























         *































シティ・ロンドン下層。一般住民区域は混沌の坩堝に飲み込まれていた。

”天意の宿り木”の接近を確認してしまった一般住民が恐慌に襲われ、我先に脱出しようと大混雑を引き起こして いるのだ。

「くそ! どけって言ってんだろ!」

「うるせぇ馬鹿! 一人だけ逃げようってんだろお前!」

「何してるんだ! これは俺のフライヤーだぞ!」

「横から入ってくんな! 俺のだ!」

フライヤーの発着所などは最早混雑という言葉で表していいのかすら分からない。

手にもてるだけの家財道具を持った人々が他人を蹴落とし、残ったフライヤーを奪い合う。

「押すな、落ちる! う、うわぁあああ!!」

当然、そんなひしめく群衆を全員を乗せることができる数はない。

かろうじて浮かび上がった機体も、積載限界値を超えてなお乗り込み続ける人の前にあえなく地へ落ちる。

響き渡る怒号と悲鳴。

親を見失った子供達が泣き叫び、しかしそれに目をくれることも無く人々は我先にとひしめき合う。

自治体の制止などあってないようなもの。

それどころか暴徒を鎮圧する役目を持つ筈の彼らの半分以上は、自治軍のフライヤーを駆って逃げ出していた。

それがますます人々の不安を煽り、混乱は広がっていく。






………………錬は、それを目の当たりにして、呆然と立ち尽くしていた。






「あ……ぁ…………」

飛び交う怒号の中、響き渡る悲鳴の中、錬は立ち尽くす。

目の前の状況、平和という秩序が砕かれたこの地獄に。






―――歩くこともおぼつかない老人を蹴り飛ばして走る人がいる。



―――親を探して泣き喚く子供を苛立ち混じりに殴りつける人がいる。



―――混乱を止めようと、喉を枯らして叫ぶ人を踏み潰して逃げる人がいる。






「――――――」

言葉が出ない。

体が動かない。



―――怖い。



ただそう思った。

そう思ってしまった。

理性の箍が外れた人間というのを初めて見た。

欲望イド剥き出しの心がさらけ出されている。

普段笑い会っていた友達を、何の躊躇も無く押しのける姿が、

毎朝顔を突き合わせていた近所の人を見捨てて逃げる姿が、たまらなく、怖い――――――

「あ、ぁ……あ……っ」

震えが止まらない。

……これが……、これが、人間なの……?

恐怖に負け、理性を失った人間が曝け出す本物の感情の奔流。

知らない。こんな”人間”なんて知らない。

両腕で自分の体を抱きしめる。

怖い。怖い。怖い……っ。

生まれて初めて錬が目にする、虚飾の剥がれた人間。

祐一の曝け出した感情とも違う、圧倒的なまでの私欲の暴虐――――――








人は聖人に非ず。

人に性善は在らず。








犯し、食らい、眠る。

そう、人は本来それだけの機能があれば生きていける。

理性などというものは、本来あるべき”欲望イド”を阻む堰に過ぎない。

「ぅえ、っぁ……」

吐き気がする。

まるで体を雑巾のように絞られているよう。

心は必死で、この激情の奔流に耐えようと――――――

「――――――あ」

その時、錬の10mほど前で、母親らしき女性に手を引かれていた女の子が足を取られて転んだ。

拍子に繋いでいた手も外れてしまう。

そして、その後ろからは我を忘れた”人間”の群れが、



「あぶな―――――」



錬は呆けたように一歩前へ出、―――女の子は群集に飲み込まれた。

「――――――」

意識が白く濁る。

何が起こったのか、脳が理解したくないと拒んでいる。

けれど無駄なこと。

ほら、一群が去った後には――――――

「あ、あぁ……っ」






――――――ボロ雑巾のようになった女の子が、無残にも残されていた。






力なく投げ出された手は、いるはずもない母親を求めたもの。誰にでもなく、助けを求めたもの。

それが―――どうしようもなく、吐き気を誘った。

「うぇ、ぁが……っ」

胃酸交じりの吐き気を噛み殺す。

錬は虚ろな足取りで、倒れた女の子へ近づいた。

一歩進むだけで足が崩れそうになる。

こんな近くにいたのに。

こんな近くにいたのに、何もすることができなかった……っ。






いや、違う。――――――”何もしなかったのだ”






女の子のもとへと辿りつく。

まだ息はあるようだった。

けれども、無残に踏みつけられた体は打撲と骨折に覆われており、予断を許さない状況であることは間違いない。

マクスウェルで作り出した水で患部の汚れを洗い流し、氷を押し当てて固定する。

続いて内臓破裂の有無を確認しようとしたとき、




「邪魔だ糞餓鬼! 道塞いでんじゃねえよッ!」




「ぇ、――――――うああっ!?」

走りこんできた三十路くらいの男に、錬は女の子ともども蹴り飛ばされた。

接近を感知できないほどI-ブレインがバカになってしまったのか。

……違う、僕が、気づかなかったんだ……っ。

無防備に腹を蹴られたことで呼吸が上手くいかない。

いくら世界最高ランクの魔法士の肩書きを持とうと、錬が小柄な少年であることには変わりない。

加えて、腕の中の女の子を咄嗟に庇ったため、受身も取れなかった。

衝撃に息を詰まらせる錬など意にも介さず、その男は走り去り、間髪いれず後ろから2,30人の集団が走ってき た。

「ぁぁ、あぁあ……っ」

錬は、逃げることもできなかった。

目を血走らせ、周りの人間を誰彼構わず押しのけて走ってくる集団に、硬直してしまったのだ。

ただ腕の中の女の子を庇って体を丸めてうずくまることしか出来なかった。

小柄な錬の背中を、脇腹を、次々に蹴りつけ、踏み越えて逃げてゆく人々。

うずくまる錬になど目もくれない。

その衝撃の一つ一つが、錬の心を打ちのめしてゆく。












―――ドケ



どうして。

どうして友達や家族を見捨てて逃げれるの。












―――ジャマダ。



わかってる。

でも、ほうっておけないんだ。





















そうして一過。

「あ、く…………」

ボロボロになりながらも、かろうじて腕の中の女の子だけは庇いきった錬は、ふらりと立ち上がった。

……なんで、こんなことになっちゃったんだろ……

体の痛みなら耐えられる。

―――痛んでいるのは、心だった。

昨日まで笑い会っていた人たちが、いきなりいがみ始める。

どうしてだろう。

呆けた耳に、断続的に地響きが聞こえる。



ああ……、コイツのせいなのか。



随分と近くまで接近してきたようだ。

地震のようにシティが揺れている。

その揺れに呼応するように、人々が逃げていった方から悲鳴が上がった。



「く、崩れるぞ、逃げろ――――――!!」



もとよりまともなエネルギー供給がされないせいで定期メンテナンスなど行えていない発着所の一部の外壁が崩れ 落ちようとしていた。

その下には、何十人もの人々がいる。

ついさっき、母親とはぐれた小さな女の子を無情にも蹴り飛ばし、目もくれずに逃げていった人々が。

めりめりと、壁が剥がれてゆく。さらに悲鳴が上がった。

ああ、あのままでは20人くらいが下敷きになるなと錬は思った。

限りなく思考回路は単純に。

余計なことなど今の錬の頭では考えられない。

だから、心に任せるまま行動した。





(マクスウェル・『雪波』)





I-ブレインが回転を上げ、付近の分子運動を制御してゆく。

錬の前3m四方の熱量を根こそぎ奪い取り、指向性を与えて極低温の寒波を作り出す。

氷礫を交えて放たれた『雪波』は、今まさに崩れ落ちようとしていた外壁を覆い隠すように着弾、一瞬にして全て を凍りつかせる。

そして返す刀でたった今奪った熱量を以って崩れかけた外壁のつなぎ目を溶かし、溶接した。

ここまで二秒足らず。

事態の飲み込めていない人たちは未だ悲鳴を上げているが、段々とそれも収まっていった。

その代わりに、ざわめきが広がり始める。

「魔法士……?」

「今、あの子供が……だったわね」

「そうだ、魔法士だ……」

「魔法士!」

「魔法士がいる……!」

あっという間にざわめきはシュプレヒコールのレベルまで発展していった。

決壊寸前のダムのよう。

そして、容易く穴は開いた。




「お前、魔法士なんだろ!?」

「今壁を凍らせるのを見たわよ!?」

「なんでこんなところにいるんだよ! ああいう化け物と戦うためにお前らみたいなのがいるんじゃないか!」

「そうだそうだ! 化け物の相手は化け物がしろよ!」

「早くあれをやっつけてよ! そんな小さい子なんて放っておきなさいっていうの!」




次々にわめかれる、悪意のない弾劾・・・・・・・

戦えと。戦って死ねと。

口々に人々が錬へと叫ぶ。

「――――――」

けれども、錬の心は不思議なほどに落ち着いていた。

先ほどまでの恐慌が嘘のよう。さざなみ一つない水面のように、心は凪を宿している。



……そうか。それだけのことだったんだ。



一点の曇りなく澄み切った心で、錬は先ほどの行動を思い返す。

限界まで磨耗した心。空っぽだったあのときの状況で、錬は無意識の命ずるままに動くしかなかった。

はじめて”人間”の業の深さを見せられ、崩れそうになっていたあのとき、自分はどういう行動に出たか。













「…………うん―――何も気にすることなんて、なかったんだ」













あの時。確かに自分は、あの人々を救うために動いた。

あれだけの仕打ちを受け、罵倒され、それでもなお、ほうっておけなかったのだ。

崩れそうになっていた心の中でもなお残る、たった一つの小さな思い。

そうだ、最初から分かっていた筈だ。

サクラのように、世界の半分を敵に回すような気高い理想なんて持っていない。

祐一のように、何年も積み重ねた尊い誓いも持っていない。

いや、もとより自分はそんな難しいことを考えることはできない。

そう、天樹錬は――――――























――――――ただ”ほうっておけない”から困っている人に手を差し伸べるだけなんだ――――――























ああ、なんて甘く青く矮小な思いだろう。

そんなことはわかっている。

わかっていて、それでもなお、この生き方は曲げないと決めていた。

「馬鹿が難しいこと考えたら終わり。……そうだったね、リューネ」

聞いたはずがない言葉を思い出した・・・・・・・・・・・・・・・・

困っている人に手を差し伸べるのに、なんの理由がいる?

それとも、誰かを助けるのに理由がなければならないほど、人間は悲しい生き物なのだろうか。

それは違う。きっと、違うと思う。

世界に一人くらい、そんな馬鹿がいてもいいんじゃないだろうか。










――――――もう迷わない。この胸には、確かな意思がある!










「…………」

罵声を上げる人々へと歩き出す。

心は痛い。

それは取り繕っても変えられない事実。

けれども、きっと耐えていける。

悲しみ傷つくことになったとしても、天樹錬は、天樹錬を貫き通せるだろう。

小さな小さな心の導。

それを寄る辺に、ヒカリの方へと歩いてゆく。


―――その時、錬の前に一人の女性が進み出た。


年のころは50台というところか。

どことなく月夜を連想させる強い目つきをもつ人だ。

いや、その人ばかりでなく、10人くらいの人が群集から抜け出、錬の周りに集まってきていた。

……なんだろ?

まさか袋叩きにするわけではないだろうが、錬は不審げにその人たちを見渡し、






「―――なにさっきからくだらないこと言ってんだいアンタたちはッ!!」






初めに錬の傍へと来たおばさんの口から、とんでもない声量が放たれた。

「っ!?」

一瞬にして静まり返る一帯。

……み、耳が……っ。

ただ、勿論一番ダメージがでかいのは錬である。

そのおばさんは苛立つように鼻を鳴らし、錬を庇うように前へ出た。

「こんな小さな子とっ捕まえて大の大人がぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと……」

ぽん、と大きなあたたかい手が、錬の頭に載せられ、そのままぐりぐりと撫で回される。

……わわわ。

おばさんの力に負け、ぐるぐると頭全体が回転する。

「この坊主が魔法士だかなんだかは知らねえが、よくもまあ無責任にそこまで言えるもんだ」

今度は、後ろにいた初老の男性が前に出た。

古い日本にいたという任侠―――ここではマフィアとかカモッラというのか?―――を連想させる刀傷を顔に幾つ も持つ、強面の人だ。

その他にも十数人。

静かな怒りを目に湛えた人たちが、錬を守るように取り囲んでいた。

……これ、って……?

思わずきょとん、と見渡してしまう。

錬と目が合った人たちは申し訳なさそうに苦笑を漏らし、その後でしっかりと頷いた。

中には任せておけ、とばかりに親指を立てる者までいた。

周りの人が錬に向かって莞爾と微笑み、そして鋭い顔で群集に向き直った。

「…………ぁ」

その表情。

その表情には見覚えがある。

手本を見せてやる、と傷つきながら言った祐一の顔。

胸を張って行ってこい、と言ってくれたヴィドの顔。

世界樹という死地に飛び込む前に笑ったヘイズの顔。

そして、笑って自ら銃弾へ身を投げたリューネの顔。

そう、それは尊い何かを守ろうと決めた決意の表情。

人として譲ってはならない最後の一線。それを守り通そうとする確かな覚悟の表情だ。

「オイ、おめえさん方」

低く重く、刀傷を持つ初老の男性が一歩を踏んだ。

そのまま彼は錬を指で示し、

「大の大人が揃いも揃ってこんな坊主に責任転嫁たァいいご身分だな。あ?」

ぎらり、と目を光らせた。

その迫力に群集が数歩を退く。

「アンタたちは一体どこに目をつけてんのさ」

ずい、と先ほどのおばさんが後を引き継いだ。

「この子はね、あれだけのことを言われても、アンタたちを助けたんだよ?」

その言葉に、何人かの群集が居心地悪そうに顔を俯けた。

「それどころか、自分がこんなボロボロになるまで他の子を庇ってる」

まだ錬の腕の中には、未だ予断を許さない負傷をした、先ほどの女の子がいる。

と、後ろから肩を叩かれた。

振り向くと、そこには白衣を着たいかにも、という風体の若者がいた。

「見せてくれるかな。見習いとはいえ、応急処置くらいはできる」

既にその手には消毒薬やらガーゼやらが準備されていた。

我流丸出しの錬よりも、きちんと技術を修めた人の方がちゃんと処置はできるはずだ。

是非も無く錬は女の子を青年へと預けた。

…………っ。

途端、それまで忘れていた軋みが体を襲った。

骨折こそしていないようだが、重度の打撲には違いない。

おばさんが目の前で気炎を上げて群衆を一喝している後ろで、錬は大きく息をついた。



(痛覚遮断)



軋みは残るが、やらないよりはいい。

気休めの処置を行い、錬は完全に飲まれている群衆の方へと再び意識を向けた。






「恥を知りな! 年端も行かない子を化け物呼ばわりして戦いに行かせるのがアンタたちの流儀かい!!」






いまや群集は完全に圧倒されつつあった。

それでも瓦解しないのは、心にたまる、矮小なプライドのせいだろう。

「だ、だがそいつは魔法士で―――」

「魔法士である前に人間だよ、我々と同じな」

一蹴。

なけなしの言葉を振り絞ろうとした青年は、杖をついた老人の言葉に潰された。

「マザーコアというものに縋っている以上、我々も君達とそう変わりは無い」

老人は続ける。

懺悔のように。しかし、確かに誇り高く。

「生きるためにマザーコアという名目で魔法士を利用した。それは変えようのない事実だ」

一息。






「――――――だが、それが全ての魔法士を利用していいという免罪符にはなるまい」






静かに、しかしはっきりと。

その声は響き渡った。

「偽善と笑いたければ笑うといい。なにをいまさらと罵ればいい」

錬はそこで気がついた。

杖を持つ老人の腕。

背広の袖から見える色は、肌色ではなく銀色であった。

義手。いや、よく見れば左足も義足だ。

「私は大戦に参加し、炎使いの攻撃によって片足と片手を失った」

錬の視線に気づいたのか、老人は一瞬こちらを振り向いて、袖を捲った。

光を鈍く反射する腕が、衆目に晒される

「魔法士によって私の体は欠けた。―――だが、死に掛けた私を救ってくれたのも、また魔法士だったのだよ」

その姿は今でも思い出せる、と老人は呟いた。

過去を思い返すように目を閉じ、






「―――『紅蓮の魔女』。私を助けてくれたのは世界最強の騎士と恐れられた女性だった」






その名を、しっかりと告げた。

「……彼女は、普通の女の子だったよ」

袖を元に戻し、目を閉じて老人は語る。

「彼女と炎使いの戦いに巻き込まれて重傷を負った私を”ごめんなさい”と泣きながら運ぶ姿は、ただの小さな女 の子そのものだったよ」

それを見て、どうして恨むことができよう。

「魔法士だろうと何だろうと、斬られれば痛みを感じ、下手をうてば死ぬ。そんな当たり前のことを忘れているの ではないか?」

勘違いも甚だしいと、老人は言った。






「”誠意”を知れ。―――その無責任さは腹立たしい」






どんなに窮地に立たされようとも、譲ってはいけない一線がある。

それは誇り。

それは信念。

それは思いやり。

”人間らしく”あろうと、そう思う気持ち。

「………………」

錬は、自分を守るように立ちふさがっている人たちに、目を閉じて黙礼した。

救われた気持ちだった。

まだいてくれる。

他人の為に怒ることができ、理不尽を嫌って走ることのできる人が。

――――――守りたい人たちが、また増えた。

それだけで十分。

「…………ありがとう」

自然と、その言葉が口をついた。

最早震えなど少しも無い。

錬は、ゆっくりと歩を進め、前へ出た。



「空間曲率制御デーモン」アインシュタイン 簡易常駐)



重力を書き換え、浮かび上がる。

見つめるものはたった一つ、―――天意の宿り木ギガンテス・オリジン

推定到達時刻まで、後3分も無い。

錬はすらり、と腰から『月光』を抜き放った。

「ちょっとアンタ。わざわざアイツラの言いなりになることなんてないんだよ?」

「私たちだけでも逃げるくらいならばできるだろう。あたら命を危険に晒すことはない」

「坊主が気に病む必要なんざこれっぽちもねえ。それくらいの気概はあらあよ」

口々に、錬を囲んでいた人たちが言ってくる。

ああ、その心遣いはとっても嬉しい。

安っぽい同情でもなく、打算からくる憐憫でもない、真摯な思いやり。

けれども――――――












「……うん。でも、――――――できることなら、やらないと」












にっこりと、錬は笑った。

もう迷わない。

自分は確かに、在り方を見つけ出したのだから。

そう。こんなに近くに答えはあったのだ。

気がつかなくても、いつだってそれは錬の中にあった。

”ただそこにある”たったそれだけのちっぽけな思い。






―――生き抜くことを始めよう。






”生きてきた”から”生きてゆく”へ。

その最初の一歩を、ここに踏み出す。

そう、この想いは――――――――

























「正しくなくても、間違っていようと、決して過ってはいないんだから…………!」























灰色の空へと錬は駆け上がる。

たった一つの思いを胸に秘め、この空を覆う全てを叩き潰すために―――――――――






























 裏こーなー 

〜燃えろ芸人魂〜






レクイエム 「悲しいときー」(悲しいときー)






「ワードパットからHTML化する際に、間違えて暴走編を上書きしてしまったときー!!」









……シリアスもなにもあったもんじゃねぇ。




あとがき

「第一聯は終了。これより舞台はメインへ向けて加速していきます」

イル 「おーぅ。なかなかにいい具合になやんどんなあ青少年」

「おやいらっしゃいエセ関西人」

イル 「その呼び方やめぃ。つーか関西ってなんや」

「日本の地方のこと。まあいいや。んで、この章では錬が”ふっきれる”んだけど。既に答えを見つけている君としてはどーだい」

イル 「んー。……ちょっち憧れるわな、こういうの」

「? どういうこったい」

イル 「いくら理想論振りかざそうとな、おれはもうシティの魔法士やから絶対に限界があんねんよ」

「ほうほう」

イル 「せやけど。コイツ、錬はどこにも属しとらんが故に、思いのままに動けるってことや」

「ふむ。是非はないか?」

イル 「それぞれの正義があるっちゃそれまでやが……、コイツの場合、大変やで」

「というと」

イル 「お人好しの権化みたいなもんやろコイツ?」

「そうだなぁ。まぁ別にメサイアコンプレックスとかはもってねーぞ?」

イル 「そんくらいわかっとるわアホ。……で、コイツの場合は信じるものが己しかないやろ」

「……? それは、”シティ”とか”魔法士”とかそういった確固とした守るべきものの話かね」

イル 「それでもかまへんよ。おれかて見返り求めて戦っとるわけやあらへんけど」

「なるほど。いつかは折れてしまうか」

イル 「せやな。正直、一番わかりやすいけど一番茨の道や」

「なら大丈夫だろう」

イル 「あん?」

”悩むより殴れ”だ。最後には偉大なる馬鹿が勝つんだよ」

イル 「……はははははっ!。そりゃええわ! 確かにそうやな」

「そういうこと。どうにもこの世界にゃ小難しく考える輩が多くてねぇ」

イル 「あー、ワカランでもないけど」

「だからな、この物語では”偉大なる馬鹿”ってもんを描いていきたいのヨ」

イル 「暑苦しそうやなそれ」

「それでいいんだよ。お前ら年の割りに達観しすぎ」

イル 「さよかー」

「さよだー。っと、この辺で次回予告へ移らんとまたどうにかなる」

イル 「なんやそれ?」

「やー、『七聖界・鏖』からの再生にはさすがに時間食ったゼ」

イル 「まあええわ。んで、次章は第八章「魂に火を入れろ」」

「ついに、”アイツ”が動き始めるぞ。乞うご期待!」












……今現在。「マトモなあとがきを書いてみよう週間」です















本文完成:6月7日 HTML化完成:6月10日


written by レクイエム



                                            








                                                                               ”Life goes on”それでも生きなければ...