第十章

「Id」



























―――ようやく、ここまで至ったか






























『Id』…心理学用語で”欲望の源泉”という意味を持つ言葉。”自我エゴ”、”超自我スーパーエゴ”と共に精神を構成する三要素の一つでもある。



































……それは、はじめのうちはなんでもないただの組織だった。


























「―――先ず、最初に確認しておくね」

そう、リューネは告げた。

黒髪の調律士は人差し指を立て、

「ひとつ。みんなは何人の”守護者”と遭遇したの?」

全員を見渡した。

脳裏にフラッシュバックするのは、必滅の槍手と灼爛の炎帝。

「セロと名乗る槍使いと、ザラットラという炎使いだ」

代表する形で祐一が答えた。

この場で唯一”守護者”と遭遇していないフィア以外、全員が首肯する。

そして、

「その2人は知らないけど、モスクワに来たのはラヴィスとかいう人形使いだったわよ」

「……三人目、か」

第五位、「転法蓮華」ラヴィス

これで現在確認した”守護者”は三位から五位までの総計三名となった。

つまり、未だ確認されていない一位と二位を加えて、少なくとも五人の”守護者”がいるということだ。

「まだ一位と二位には出会ってないんだ。うん、よかった」

リューネが安堵の息をつく。

「どういう意味だ、それは」

そこへサクラの問いがかかった。

リューネは立てていた人差し指を下ろし、

「それはね。守護者の中でも、実力のランクがあるからなの」

「ランク? 序列そのままのことじゃねぇのか?」

「あ、そういう意味じゃないよ。この場合のランクってのは、”オリジン””アドヴァンスト”って意味なん だ」

”原型”オリジン?」

なんだそりゃ、とヘイズが疑問符を発した。

「んとね、簡単に言うと、”原型”アーキタイプ”量産型”コピーの違いってコト」

一息。

そして、







現在の・・・第三位から第五位はね、―――一要するに、劣化コピー品なの」







「なに……!?」

ざわめきが全員に走った。

あの、セロやザラットラが、”劣化コピー”だって……!?

”絶対穿孔”の異名を持つ『神の子殺し』ミストルテインの槍を持ち、わずかながら祐一をも上回る身体能力制御を有するセロが、

並みの炎使いを遥かに超え、岩盤をも蒸発させかねない熱量を操るザラットラが、劣化コピーだとリューネは言 う。

「奴等が、コピーだと言うのか。貴方は」

サクラの声にも色が無いように思える。

「うん、まぁいきなり来られたら混乱するかもしれないけどね。しっかり落ち着いて構えてればふつーの敵だ よ?」

心配ないない、と笑うリューネ。

「落ち着いてって言うけどね。普通の魔法士はゴーストハックで巨人なんて構成しないわよ」

月夜がそうぼやく。

シティモスクワを蹂躙し、今もなお猛威を馳せている可能性のある守護者、ラヴィス。

彼は杖の一突きで”天意の宿り木”ギガンテス・オリジンを構成して見せた。

あの最技を目にして、どうして彼らが普通の魔法士だといえるだろう。

だが、






「ん、あれ裏技使ってるだけだから」






あっけらかんと、リューネはそう答えた。

「裏、技?」

「そ。ラヴィス自身の能力じゃないの、あれ」

ただの手品よ、と言い放ち、リューネはくるくると指を回す。

「現在の守護者の中に”天意”を丸ごと受け止め切れるヤツなんていないわ。所詮は宿り木、寄生だもの」

そのまま指を鳴らし、

「錬たちが会ったのは皆アドヴァンストタイプね。オリジンたる魔法士のデータを流用したクローン体。

―――『黄金夜更』の時に言ったこと、覚えてる?」

そうだ。あの時リューネは言った。

魔法士である、という情報が遺伝子に刻まれるならば、そのクローンを作れるのもまた道理だろうと。

「覚えてる。……うん、確かに言ってた」

「その例が、あいつらだってのか?」

「そゆこと。当代の”守護者”は五人、






第一位、「天災の御柱」ヴィルゼメルト・モアブラック

第二位、「神焉斬刹」イグジスト・アクゥル

第三位、「灼爛炎帝」エゾート・DE・ザラットラ

第四位、「留まる破滅」ビアナ・ルイス・エルト・セロ

第五位、「転法蓮華」ラヴィス・シュルネージュ






―――天高く世界を回る欲望の全能機関、その天蓋を守る細胞よ」

淡々と、告げられた”守護者”の全容。

天意の宿り木を駆り、シティを砕く者達。

彼らこそが、倒すべき敵なのか。



「―――でも、さっき言ったとおり、三位から五位までは紛いものなの」



その思考を、リューネの声がすっぱりと断ち切った。

語る言葉にはわずかな苦渋がある。

それを隠そうともせずに、リューネは語った。

「本来”守護者”と呼ばれた者は7人いたのよ。……いえ、そのうち2人は”呼ばれるはずだった”のだけど」

昔語りは遥か遠く。

たかが数年。されど数年。

瞬きの如き刹那の生き道だろうと、積み重ねてきたものは千を重ねて結晶となる。

黒髪の調律士は己が同胞の記憶を紐解いてゆく。








「守護者が7人とされたのは、単純に数の問題。一人一殺、―――シティを一人ずつ滅ぼすため・・・・・・・・・・・・・








「……!」

理由など、たったそれだけ。

無駄なく、浪費無く、どこまでも合理的に。

余分な者などいらぬと。

たったそれだけの理由だったのだ。

「”天意の宿り木”を用いてシティを滅ぼすのが守護者の役目、―――でもね、本来は、そんなこと必要なかった のよ」

「それは……」

「そう、オリジンたる”守護者”なら、近接に特化した第二位以外、その身一つで大量破壊を引き起こせる」








第三位、「灼爛炎帝」ザラットラがオリジナル、―――”夜明けの炎” エレナブラウン・ツィード・ヴィルヘル ミナ

第四位、「留まる破滅」セロがオリジナル、―――”憂える開闢” 弧峠雷我ことうげらいが

第五位、「転法蓮華」ラヴィスがオリジナル、―――”六道輪廻” 桟逆嵐さんざからん








……それが、今は失われし守護者たちのオリジンだ。

”代行者”に”騎士王”に”焔使い”に”掃除屋”に”濯ぎ手”。

そして、

「でもそれだと五人じゃない? 七人いるんでしょ?」

残る、二柱は

「後の2人は、皆も知ってるよ。……ううん、2人とも知ってるのは錬とフィアだけかな」

「え?」

それは、つまり、

「聞き流されちゃったと思うからもう一度言うね」

一息、









「私の名前はリューンエイジ・FD・スペキュレイティヴ。―――守護者の第終位、”千陣壊し”の字を持つ世界 の紡ぎ手よ」









……そうだ。

始まりに告げたじゃないか。

それに、うすうすとは気づいていたはずだ。

もう一人、未だ明かされぬ最後の守護者。

そう、セロやザラットラがなんだというのだ。

自分達は、あんな奴等など及びもつかぬ、途方も無く狂った賢者を相手に――――――

舌が乾く。

最後の破片が埋め込まれる。

あれこそが、あの事件こそがはじまりだったのだ。

それをようやく理解することが出来た。

”番人”だと、あいつは言っていたじゃないか。

どこまでも孤高、どこまでも最強。

思い返せば、あの戦闘ですら茶番に思える。

リューネの力を見た今、どうしてあれがあいつの本気に思えよう。

……の、前に、何か今さっきとんでもないことを聞いたような気が。



『―――ちょっと待った』



この場にいる全員の声がハモった。

ん?とリューネはそれに首を傾げる。

「……お前さん、今、なんつった?」

あまりにも自然に言ったせいで何も疑問に思わなかったが、今、リューネは、



「む。また聞き流したの? いい? わ・た・し・は、―――”守護者”の第終位だよ、って言ってるの!」



…………………………守護者?

「ええええええええええええええッ!!!?」

「……や、何で全員聞き流してるのよ」

むぅ、とリューネがむくれる。

「お前さんがあんまりにも自然に言うからだろーが」

なんてこったと頭を掻くヘイズ。

サクラと祐一は気づかなかった自分に自己嫌悪でもしているのか、ばつの悪そうな顔をしている。

「まったく……。緊張感足りないわね」

「控えめに言うけど半分くらいリューネのせいだよ」

控えめに言わなかったら全部リューネのせいだけど。

「でも、リューネさんが守護者って、どういうことですか?」

「そーそー。リューネって第一『黄金夜更』に攫われてたんじゃないの?」

フィアとファンメイが口々に問う。

「その辺はちょいとややこしいから後でね。―――で、どこまで言ったっけ」

「”守護者”の全容だ」

「あ、そうだったそうだった」

「…………」

……どうにも、緊張感が無いような。

「守護者というものがいて、現在の三位から五位が劣化クローン体というのは理解した」

祐一が一歩、前へ出る。

「だが今聞きたいことはそれではない。……何を懸念しているのかは知らないが、本題へ入ってもらおう」

時間が無い、といったのは君だろう、と付け加え、祐一はその眼光をより鋭くした。

……リューネ、躊躇してる?

初めから「Id」の話に入ればいいようなものの、何故か彼女は枝葉である”守護者”の話から始めた。

それもとても重要な情報であるということは理解しているが、しかし優先順位としては低い。

その意思を込めて、錬はリューネを注視する。

「…………はぁ」

と、リューネは何かを諦めたように息をついた。

自分を見つめる錬たちを一通り見回し、

「あー、もう……馬鹿ばっかしなんだから」

苦笑交じりに、しかしどこか嬉しそうにそう言った。

……もしかして、僕らを気遣ってたのかな。

あまりにも強大な敵。恐るべきその全容を、枝葉から明かしていったのはそのためなのだろうか。

リューネは一度髪をかき上げると、人差し指を立て、

「百聞は一見にしかず。聞くより見る方が速いわ」

ヘイズのように、ぱちん、と鳴らした。





―――瞬間。世界が切り替わった。





極彩色の世界。

世界樹の内部に居たはずの錬たちは、一瞬にして絶えず色が移り変わってゆく奇妙な空間の中に居た。

「!?」

「だいじょうぶ。皆のI−ブレインに私の思考を投射しただけだよ」

「思考投射? では」

「うん、実際に見てもらった方が早いでしょ? だから」

極彩のグラデーションが収束を始める。

……一種のVRみたいなものか。

I−ブレインを一つのサーバにみたてて情報伝達を行うプログラムは確かに存在する。

というよりフィアの力がまさにそうだ。

なら、「天使」アンヘルをも越える「調律士」ワールドチューナーにこの能力が備わっていてもなんの不思議も無い。

……というか、よく考えるとリューネって”同調”使えるんじゃないかな?

「これから見せるのが、『Id』の全て。……でも、私の主観が混じってるから、少しくらい違ってるかもしれな い。そこは注意しておいてね」

「わかった」

「それじゃ……、始めるよ。―――遠い遠い物語。遠い日の理想が歪んでしまった、悲しい組織の物語を」

―――――その言葉と共に、世界が、再び、反転した。






















      *
























―――そこには、色というものしか存在しなかった。





極彩色の空間。

絶えず煌き、移り変わり、まるで万華鏡のよう。

無色の空間であったはずのここに、そんな変化が起きたのはつい先ほどからだった。

「まぁ、仮初とはいえな。一応”俺”を現出させちまったんだし、変化が起きるのも当然か」

その空間の主は、そう呟いた。

腕を組み、やれやれと溜息をつく。

「あーまずったまずった。刹那だったとはいえ、あの時にこっち側へ引き込んどきゃよかったんじゃねぇか」

視線の先には、『凍れる世界』フローズンハートの干渉を受けて静止した一式の―――食事の用意がなぜかあった。

「あんにゃろ、本気で餓鬼道になっちまうじゃねーかよ……。くぁー、ままならねぇなぁ」

てか意識だけで腹減る俺ってどーなんよ、と誰ともなしに悪態をつき、声の主は再び溜息をついた。

それと共に、極彩のグラデーションがさらなる加速を見せる。

「……チ。こりゃ完全に目覚めちまったなァ。『眠りの森』ラ・ヴェルん中の肉体の方どうにかせにゃならんっつーのに」

意識内の動きとは、それすなわち覚醒を意味する。

世界のハザマにて意識体として現出させるくらいならば問題はなかったが、今や彼の意識は完全に”起きて”し まっていた。

それはつまり、今は”凍っている”肉体とのギャップが生まれるということ。

「自動制御にも限界があんだがなぁ。……どうしたもんかね」

空間の主は、イメージの中で腕を組む。

外界の様子は全くわからない。

ただこの意識に伝わってくるものは”凍れる世界”を超えてくるもののみ。

すなわち、同種の”世界”よりの波動だけであった。

「………………」

ああ、あの感覚だけは忘れることは無い。

”世界”を戒める唯一の楔、―――『戦いの口上』

第一段階開放の波動でこちらのI−ブレインが二重に誤認したのが目覚めの原因だろう。

その後、なんの因果か偶然■■と再会を果たし、幾分か時も過ぎたが、あれ以来まだ次の動きは無い。

「……『Id』、か」

欲望の全能機関。

五つの守護者を纏う天蓋の監視人。

その組織は、本来ならば人類の叡智の結晶となるはずであった。

「フリードリッヒ・ガウス研究所で魔法士第一号が完成されたと同時に設立された機関。情報制御理論の最古参、 だったんだがなぁ」

今や見る影もねぇ、と青年は呟く。

「ここに至るまで15年。……伸びた枝は天ではなく光を目指すようになるが如く、お前らの理想もまた、伸びる 方向を変えちまったってことだな」

始めは天へ。どこまでも高みへ。

けれども、末節は光差す方へ誘われてゆく。

重力屈性を振り払い、ただ蛾の如く光を追い求めるだけのモノになる。




「今再び蘇ったもの。それは天下を貫く風。―――なぁ、”探求者”達よ。一体お前らは、いや”俺達は”ど こぞで道を別ったんだろうな……?」




原色を交え燃え続けていたかつての理想。

それは今や、ドス黒く濁り始めてしまっている。

叶えたい夢があった。

全てを投げ打ってでも、それを見たいと思った。

誰しもが夢見る、本当の結末。

―――始めは、ただそれだけだった。

「……へ。お前が逃げ出したのはある意味良策だったのかもなァ、―――ミーナ」

銀色の髪、紅の瞳を持つ少女を思い浮かべる。

自分達を除けば、世界に残ったたった一人のオリジン。

イグジストと互角の死闘を繰り広げ、互いに手足を一本失うことになり、痛み分けとなった後、彼女はどこへ行っ たのだろう。

「炎鳳零式を奪ってったのも、まさかこれを見越してってことかね」

まさかな、と独語する。

あの時、行方くらい把握しておけばよかったか。

「……どっちゃにしろ、変なヤツが迷い込んできたせいでそうもいかなかったんだがよ」

ミーナと似た口調の、和服の少女。

あの邂逅もまた、ある種の運命であったのだろう。

「―――けったくそ悪ぃ」

呵呵、と吐き捨て、意識だけで天を見据える。

「気に入らねぇ。ああ、気に入らねぇよこんな茶番ファルス

……それは、懇願するような毒吐きであった。

忘れたくらいで誤りやがって・・・・・・・・・・・・・・……チィ、動けねぇ自分が悩ましいぜ、ったく」

三流。三流。三流だ。ああ、ド下手糞だともこんな戯作。

しかしそれに参加できない自分はもっと哀れだとも。

「早く来いっての。待たせるのは男の役目だろうによ。なぁリューネ」

メインキャストが未だ表舞台に立たないなど愚かにもほどがあろう。

決着ケリをつけるのは俺達でなければならない。

あの怨恨を、あの理想を、あの願いを。

無に帰すのは自分達でなければならない。

零から生まれた物は、なべて零から生まれた者の手で叩き潰す。

そのためにも、






「…………八卦より出で、四象を通じ、両儀へと至り、太極を掴まん…………」






この身は、表舞台へと戻らなければならないのだ。

誰にも責任の無い、愚かな聖戦を、その所在ごと完膚なきまでに叩きのめすために。

それに、





「そろそろ待ちきれねえぞ。男をじらすにゃまだ年が足りんってのはわかってんのか、アイツ」





……あの大馬鹿共の意気を見届けてやらにゃならんし、な。

どこまでも愚直。いつまでも愚策。

たった一つの理由だけで、世界を決める戦いにすら首を突っ込んでくる稀代の大馬鹿。

しかしそれは―――好ましい馬鹿だ。




















「くかか。柄じゃねえな。まァ、そのうちお呼びがかかるだろうさ―――――――」





















――――――その時こそ、欲望の源泉を叩き潰す「世界」が本領を発揮するのだから。

























       *






















――――初めに見えたのは、ただただどこまでも広がる天の蒼穹。












見ているだけで吸い込まれそうな大いなる空の映像だ。

何だ?と思う間もなくその情報は弾けて暗転して消え、次なるスライドに切り替わる。

次の映像は、先ほどとは逆に大海の風景だった。

波打たれる岩にかかる飛沫までもが鮮明に映し出され、しかしそれがどこの場所なのかを特定させない。

そして再び暗転。

一瞬の暗闇から映し出されたのは今度は大地。

どうやら俯瞰図であるらしいその視点からは荒涼とした砂漠が一望できる。

ノイズ交じりの風景。

一体■は何を見ている→観ているnoか。  に   を? ――    

圧 的な情報の奔ryuuに身も■も千々に千 れ飛び、摩り下ろ■れて漂白←調理。

脳髄に菜ばしをつっ んで き回せ。

瞬くヒカリ。その熱は九千年の悪性? 善性?

脳内を駆けま■る秒速340mの情報乱流。―――ああ が観得る。

















                    風の吹く荒野



                                                 巡り巡る大いなる空



          鳴動する大山



                                                       荒れ狂う大海



                        地に穿たれた三つの穴



                                                              得体の知れない気配渦巻く密林



                                         騎士



        人のいない部屋



                                                         朱で書かれた文字



             乱雑に並べられた本の山



                                      天に向かって流れる川



点滅する街灯



                                                                           炎使い



                               子供のいない公園



                                             墓に刺さるカッターナイフ



   鈍く光を宿す鏡



打ち捨てられた銃―――?



















「――――――そこまで! それ以上観ちゃダメだよ!」



















「っ……!?」

その声に、錬の意識は混沌から引き戻された。

一瞬にしてノイズ交じりの風景―――風景?は掻き消え、代わりに目の前にはリューネの顔が間近にあった。

「うわわっ!?」

慌てて飛びのこうとし―――そこで、ここが自分のI-ブレインの意識の中だと確認した。

シティ・神戸の巨人の意識に潜ったときと似たような感覚。

以前と違うのは、回りが極彩色に包まれているということ。

いや、それよりも

「リューネ、今のは……?」

まだ残像として脳に焼き付いているようだった。

圧倒的な情報の乱流。

リューネの声で我に返らなければ脳組織が焼きついていたかもしれない。

それほどまでに凄まじい情報流であった。

「今のは、なに……?」

対してリューネは、苦い顔をして答えた。

「…………”天意”の、一部」

「え?」

「気にしなくていいの。今は関係ないから」

「そうなん、だ?」

「そうなの」

押し切られるカタチでその疑問はとりあえず引っ込めておく。

リューネは苦い顔を一瞬で消し去り、

「……先ずは、『Id』がいつ出来たか、から話すね」

強引に、本題へと入っていった。

指を鳴らす音と共に、周囲の極彩色に映像が生じる。

「これは……」

どこかの研究施設だろうか。

白衣を着た人達が所狭しと建物の中を駆け回っている。

それは、どこにでもある研究所の風景だ。

「リューネ?」

これは何?

そう聞こうとした時、リューネが鋭く言い放った。









「―――これが『Id』なの」









「…………え?」

その言葉を理解するのに、数瞬が必要だった。

思わずリューネの顔と、周囲に展開されている風景とを見比べる。

「これが、『Id』だって!?」

こんな、まるっきり普通の研究施設が……!?

どこからどうみても異常など見つからない。

動いている研究員達は、誰もが未知の事柄を発見することに期待を溢れさせている。

どこまでも純粋に、どこまでもひたすらに。

ただ知らないものを知りたいと。そこにある意思はそれだけであった。

「『Id』が設立されたのは戦前。フリードリッヒ・ガウス研究所で魔法士第一号が”公式に”生まれた年」

2883年。つまりは、およそ15年前ということか。

情報制御理論が世界に発表されてから3年。

それが意味するところとは、

「『Id』は、情報制御理論の明日を担う、新進気鋭の組織として設立された」

天上知らずの伸びを見せていた人類の叡智。

その最高峰の時代に、最先端として生まれた組織。









――――――それが、『Id』の原点であった。























       *
























「だが、俺は『Id』などという名を聞いたことが無いが」

「当時はまだそう名乗ってないわ。設立された当時の名前は、『グノーシス』っていうの」

祐一の問いに、リューネは即答する。

「『グノーシス』……。天樹博士やばあさ、―――七瀬将軍から名前だけは何度か聞いたことがあるが……あれが 『Id』の前身ということか?」

唯一大戦前の世界を知る祐一には、その組織名は聞き覚えがあったらしい。

「しかし、あれはアフリカへ研究所を移転させた後、大戦の”グラウンド・ゼロ”によって跡形も無く消滅したと 聞いていたが……」

グラウンド・ゼロ。最初にして最後の、そして最大の”魔法士災害”

アフリカ大陸が消し飛んだのに合わせ、数多くの研究所、シティ、魔法士が散った事件。

祐一の記憶によれば、「グノーシス」はその事件によって消滅したはずであった。

しかし、目の前の黒髪の調律士は、目を伏せて首を振った。

「確かに、地上の組織はそれで消滅したの。けれども、大戦の始まる少し前に、『グノーシス』はもう一つの拠点 を作っていたのよ」

「拠点……? そんなものをどこに作るというのだ」

『グノーシス』は当代最高峰の機関のひとつだ。

そのような大組織が新しく拠点を作ればたちまち衆目に晒される。

それを問うた祐一に対し、リューネは一拍の間を置いて人差し指を突き上げた。








「―――空に、よ。龍使いの「島」の建造を隠れ蓑にして、ひそかに空中要塞を作り上げたの」








「空に、だと?」

祐一の眉が険しく寄る。

「―――不可能だ。俺はその『島』とやらのことは知らんが、百歩譲って資材の搬入などはそれを隠れ蓑にしたとしよう」

一息。

「だがそこまでだ。実際に建造に成功したとて、今の今まで見つからないわけがない」

”雲”によって世界が遮断されてからも、単純に雲の向こうを探るだけの調査などは多く行われてきた。

そも、雲の上をのぞき見るだけならば、風任せとはいえ、FWeyeがあれば事足りるのだ。

それが、何故――――――










「簡単なことなの。その空中都市はね、『島』みたいに一所に浮かんでるわけじゃなくて―――――上空2万mを 周回しているのよ・・・・・・・・・・・・・・










「…………!」

それが答え。

見つからなかったのは、探した場所にいなかったから・・・・・・・・・・・・・

たったそれだけの単純な答えであった。

「上空2万mを周回する空中都市、あの空中庭園「ワイズ」のオリジナル。名前は、『アルターエゴ』

欲望の全能機関が本拠。

天蓋組織とは、こういう意味であったのか――――――

























       *























「…………とんでもねぇな」

搾り出すように、ヘイズはそれだけを漏らした。

錬たちと出会って以来、そんな言葉ばかり吐いている気がする。

上空2万mを周回する空中都市。

そんなSFにも似つかぬものが、まさか本当にあろうとは。

おまけに、それはつまり、

「その『アルターエゴ』ってのは、大戦前に作られたんだろ? なら、―――大戦前の技術力をまだ・・・・・・・・・・持っている のか・・・・・・・

最早失われし人類の叡智。

あの輝かしき絶頂の栄華を、未だ保っている可能性が大きい。

それを、

「―――うん」

リューネの二文字が、即答で肯定した。

「大戦も、雲も、『グノーシス』には何の影響も及ぼさなかった。ただただ彼らは”未知を知るために”研究を続 けていたの」

知りたい。

知りたい。

知りたい。

まだ見ぬものを。未だ知らぬものを。この世界そのものの答えを――――――

「そして」

どこまでも純粋な欲求は、しかし、







「―――そして、『グノーシス』は、ついに道を誤った」







地上において栄えては滅びていった数多くの国と同じように、狂った道を選んでしまったのだ。



























      *





























「道を誤った、ですか?」

「そう。……大戦が地上で終結してから、三年とたたないうちに、『グノーシス』はその在り方を大きく変えてし まったの」

必死に話についていこうと、頭を働かせるセラに、リューネはどことなく諦めの混じった笑顔で答えた。

「大戦によって地上は荒廃し、技術レベルは大きく後退した」

栄華の座から一転、一気に転がり落ちた人類は、種としての限界を迎えたのだろうか。

戦力も気力も枯れ果てた人類に、『雲』を突破する術は存在しなかった。

「……でも、『グノーシス』だけは、戦火を免れた」

「あ……」

何かに気づいたのか、セラの目が丸く見開かれる。

聡い子だと、そうリューネは思い、しかし語りは止めない。

「全てを失った世界の中で、たった一つ、かつての栄華を保つ天の要塞。

―――それに気づいた以上、選民思想が 芽生えるにはそう時間はかからなかった」

「…………」

人は聖人に非ず。

人に性善は在らず。

どこまでいっても、私達は、この輪から抜け出すことはできないのだろうか――――――。























     *



























「そんな、こと……!」

「醜いでしょ? 信じたくないけれど、これが現実なのよ、フィア」

自分達のみがこの世界で最高の技術を持つ機関なのだと自覚した瞬間に、『グノーシス』は欲望の権化と化した。

「もとより”知らないものを知りたい”という欲求が並外れて高かった彼らは、箍が外れたように暴走を始めた の」

我は”学求者”

我は”探求者”

我は”追求者”

その望みだけは何よりも純粋だったが故に―――その反動は凄まじいものとなった。

「もうなんでもありよ。人体実験なんて当たり前だったもの」

「……っ」

『ワイズ』にて見た研究所の様子が脳裏にフラッシュバックする。

まさか、あの時ウィズダムに見せられたあれこそが、『Id』だったというのか。

「新しいカテゴリの魔法士研究。空間そのものに干渉する装置の開発。全長1kmを超える巨大戦艦の建造……」

まだまだだと。

まだ世界には知られていないことが沢山あると。

ただそれだけを理由に、『グノーシス』は修羅の道へと身を投じたのか。

「……魔法士のクローン体形成の研究。第二の空中都市の建造――――――そして」

リューネの声に緊迫感が混じる。

黒髪の調律士は、一拍の呼吸の間をおいて告げた。












「そして――――――”世界”そのものへの干渉研究」

























      *























「”世界”……! じゃぁ、そこで」

「うん。そこで、”私達”は生まれたの」

”守護者”のルーツ。

欲望の全能機関を守る七つの星。

彼らの原点が、ここにあった。

「君の事はまだよく知らないけれど……、そうか。ウィズダムは」

「実際に生まれたのはもうちょっと後よ。”世界”を見つけた『グノーシス』は、そこでついに最大の転機を迎え るの」

独語したディーをやんわりと押し留め、リューネはついに中核へと話を移らせた。

「”世界”を把握した『グノーシス』は、ついに最後の研究へと進むに至った」

「…………」

ディーは何も言わない。

ただ、その透き通るような目でリューネを見ている。

そして、

「最後の研究。それは、行き着くところまで行き着いた願望が最後に望む、人類の永遠の夢」

リューネの口から、









「―――『不老不死』。始皇帝の時代から悠久叶う事無く、しかし色褪せる事無く脈づいてきた究極の願望よ」









その目的が、語られた。


























    *




























「不老不死だと!? そんなたわけたことを……」

「それは貴女が、貴女達が泥にまみれる人間だからよ、サクラ」

「なに……?」

サクラの顔に険が宿る。

リューネは意に介した風もなく、語りを続けた。

「貴女や錬たちは”生きる”ことと”生き抜く”ことの違いを知ってる。……けれどもね、世の中、皆貴方達のよ うに強い人間ばかりじゃないの」

……それは、リューネが始めて見せる、悔しそうな呟きだった。

「その強さとは、マザーコアに頼るか頼らないかなんかじゃない。魔法士を犠牲にするかしないかなんかでもな い。ただ――――――」

一拍。








「――――――ただ、誰かのために笑ったり泣いたりできるだけでよかったのに」








「――――――」

何も言わず、サクラは目線で続きを促した。

……そう、今は、何も言えない。

リューネは一度だけ強くまばたきをし、

「『グノーシス』は研究の結果、人間の肉体ではどう遺伝子を操作しようと必ず100年もたたないうちに劣化が 起きてしまうという結論に至った」

「それは、当然だな」

絶命遺伝子を操作して寿命をどれだけ延ばそうが、それは所詮延命に過ぎない。

肉の身を持つ以上、劣化からは逃れられるわけがないのだ。

逃れられるわけが無い。故に、―――それ以外の方法が必要となる。

「……まさか!?」

その可能性に思考が辿り着く。

辿り着き、サクラは戦慄した。






「……肉の枷に囚われているなら、それを外せばいい。

―――そう、『グノーシス』は、人間の”意識”を無機物 へ宿らせることによって不老不死を実現しようとしたの」























      *





























「こころ、うつす……?」

「そういうこと。荒唐無稽に聞こえるけど、要するにゴーストハックの技術の延長上でしょ?」

世界樹に意識を移したのもその応用だとリューネが言うと、エドは無表情のまま頷いた。

「それぞれから意識を抽出し、無生物に宿らせて悠久を得る。―――それが、『グノーシス』が選んだ道だった」

食事。

睡眠。

運動。

成長。

それらをわずらわしく思った『グノーシス』は、後戻りの出来ない道を選んだのか。





「複数人の精神体を”一個”として統合させ、世界の終わりまでを知る叡智と為す。―――組織としての『グノーシ ス』は、ここに死んだ」





最早一つの研究機関などではない。

彼らは全にして一。一にして全。

世界の終わりまでを知りたいがために、その身を求道へと委ねた”一個”のモノ。

「それはいと小さき人の身において、肉の鎖から解き放たれ、神にも等しい地位についた探求者達」

そして、それは人にして神ならぬ、欲望の全能機関。

































「――――――故に名乗るは『Imitation deus』 神の模造品

欲望の源泉の字を冠し、世界の終わりを見定めんとする”欲望”イドの塊よ――――――」



































 あとがき

「えーと……二ヶ月ぶりのあとがき、だよね」

月夜 「死刑」

「結論早ッ!? 罪状も審査もなしでッ!?」

真昼 「まぁ、毎回更新を先月途切れさせてしまったからじゃないかな」

「やー、流石に先月は部活の全国大会とかち合って無理ですヨ」

月夜 「そこを通すのがプロでしょ」

「プロじゃねぇ。……てか、あれ。今回は君らだけ?」

リチャード 「私もいるが」

「ははぁ、てことは今回は一般人キャラね」

カール 「(故)もつける必要があるな」

「……ぅわ。このコーナーに絶対似合わないダンディ二人」

月夜 「無視して行くけど、……ようやくこの設定を説明できたわね」

「ああ。『Id』は”あの空”が終了した時点でもう考えてあったからねぇ。「deus」中も早く書きたい気持ちを押さえ込むのにもう必死で……!」

真昼 「悶える男は気持ち悪いから視界から排除するよ? ―――さて、ついに『Id』の正体がここでわかったわけだ」

カール 「ふむ。栄華からの没落を逃れた末路としてはある意味ではステレオタイプかもしれんな」

リチャード 「同感だ」

「おぅ。なんか普段とは違って会話に重みがあるんだが……」

真昼 「いつもが軽すぎるんだと思うよ」

月夜 「これに祐一と静江さん交えてみたいわねぇ」

「それはまた面白そうだが書きにくそうでもありそーだねぇ……」

リチャード 「人の意識を無機物に宿す。……すなわち、ゴーストハックの仮想精神体によって無機物を擬似生物化させることだが」

カール 「”常に思考し続けなければ構造を維持できない”というゴーストハックの弱点を補ったものともいえるな」

リチャード 「そうだな。人の意識ならば”思考し続ける”ことができる。妙手とも言えるだろう」

「……えーっと。オジ様ズだけで話が進んでるので、そろそろ入っておかないと作者としての面子がたたないというか」

月夜 「ゼロには何をかけてもゼロよ?」

「何その酷い一撃! ってか今回の君話の途中はしょりすぎじゃないかねッ!?」

月夜 「うるさいわねぇ」

「条件反射でごめんなさい。―――てか、いい加減マジメにやります」

カール 「ふむ。では本業に譲るとしよう」

「恐縮千万でアリマス。さてさて、この章によってようやく『Id』の正体が明かされたわけだが」

真昼 「それさっき僕が言ったよ」

「ぬがぁー! 細かいところは気にするな! ……泣くよ?」

リチャード 「いいから続きへ行け」

「あい。―――全体の流れからすると、次章辺りからが後半戦って感じになりますね」

月夜 「反撃開始、ってわけね?」

「応。最早タネは知れた。後は真っ向、叩き潰すのみ」

カール 「だが、敵は雲の上だろう? 雲上航行艦三隻だけで攻略はできるのか」

「チッチッチ。甘い甘い。それを使わなくても雲の上へいける方法はあるんだな」

リチャード 「そうなのか」

「……や、もうちょっと反応欲しいかなーとか思ったり」

月夜 「反応返すだけカロリーの無駄ね。さぁ、とっとと次回予告よー」

「……最早返す言葉もねぇ」

真昼 「では、次章は11章、『振り上げる拳』。お楽しみにー」





























本文完成:11月11日 HTML化完成:11月11日


written by レクイエム



                                            








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