第二十五章

「自我防衛機制・反動形成」



























夢、終わるとき






























「――――――」

鳩が豆鉄砲に撃たれたような顔とは、今の自分のような顔を指すのだろうか。

そんなことを考えてしまえるほど、錬たちの意識は驚愕に捕らわれていた。

祐一の横を歩いてくる青年。

蓬髪を振り乱し、緑色のジャケットに身を包み、世界の全てを睥睨しているような瞳を持つ、その男は、

「ウィズダム…………」

「応。覚えてくれてたようで何よりだ、天樹錬と愉快な仲間たち」

”天意の宿り木”の集団のド真ん中を突っ切ってくるその姿は、さながら海を割るよう。

ウィズダムは悠然と歩を進め、錬たちの前までやってきた。

そして、




「――――――うら」




「ぃだっ!?」

脳天にチョップをかまされた。

軽いモーションだったはずなのにずしんと響き、思わず涙目で頭を抱える。

「んな、なにするの!?」

横のディーとセラ、フィアもぽかんとしている。

ウィズダムは呵呵と笑って言った。

「この馬鹿野郎が」

あまりにも自然に言われたため、何も言い返せなかった。

「……え、あ……?」

「この大馬鹿野郎が」

二回言われた。

しかも酷くなってる。

「この大馬鹿野郎共が」

「さらに増えたー!?」

ウィズダムは髪を掻き揚げ、あの時と同じ、人を小馬鹿にしたような口調で言った。

「馬鹿に馬鹿と馬鹿言って馬鹿何が馬鹿悪いんだよ馬鹿」

……わ、分かり辛い。

思わず後ずさる錬。

『ワイズ』のときもそうだったが、どうにもこの狂人の節回しは特殊すぎる。

「しっかしまぁ」

声のトーンが変わった。

馬鹿にするような響きは相変わらずだが、どこか親しみを思わせるような声だった。



「その馬鹿をよく貫いた。誰もお前らの戦いは知らんだろうが、俺は確かに焼き付けた」



「え――――――?」

「ベルセルク・MC・ウィズダムの名において、お前たちに敬意を表する」



世界が静止したようだった。

まさに今、『Id』の統括体を目の前にしているというのに。

まさに今、”天意の宿り木”が周りを囲んでいるというのに。

「世に正義が幾千あれど。世に正道が幾万あれど。貫けなければ意味は無い」

ウィズダムの両腕が掲げられる。

それはまるで、世界全体に自分の声を聞かせようとしているかのよう。

「物事を成し遂げる上で必要なことは三つだ。

―――一つ、心からやりたいと思ったことを実行に移すためのエネルギー

―――二つ、決して曲がらず立ち止まらず、惰性を嫌悪し、常時研鑽を忘れぬ不退転の意思

―――三つ、万難を排し、その道を最後まで突き進める根性と意地」

低いが良く通るその声は、朗々とこの場に響き渡る。

「お前たちはそれをやった。……誰のためにだ? なんのためにだ?」

「それは――――――」

答えようとして、言葉に詰まった。

リューネのため―――何かが違う。

シティや世界を守るため―――そんな大仰なことは考えちゃいなかった。

身近な人々のため―――それもあるけど、根本じゃない。



シティ・シンガポールでのあの惨劇を見たとき。

心の中に湧き上がってきたものがあった。



ザラットラやセロと対峙したとき。

心の中から煮え滾ってきたものがあった。



それがなんなのか上手く言葉で言えないけれど。

きっと、この戦いに理由があるとすれば――――――その”熱”に動かされたからなんだと思う。



「言葉に出来ねぇか? なら正解だ・・・・・

「は――――――?」

いきなり現実に引き戻された。

ぎちぎち、と頭上で”天意の宿り木”の拳が軋んでいる。

しかし動けない。

ウィズダムの『凍れる世界』により時間単位を無限分割された、決してたどり着けないゼノンパラドックスの時空 結界に絡み取られた巨体は静止している。


「見たかったんだよ俺ぁ。小難しい言葉もお題目も必要とせず、ただ譲ってはいけない最後の一線を守るそのため だけに命を賭けれるヤツのことを」


正義である必要も無く。

大義を持つ必要も無く。

人として。そう、人として譲ってはならない最後の矜持を守るそのためだけに。


「強いて言うなら、誰かのために・・・・・・。ここで自分がやらなければ、きっと終わりだと思うから。それだけの理由 で戦うヤツを見てみたかった」


その結果が、たとえ世界を敵に回すことだとしても。

その結末が、たとえ力尽きて倒れることだとしても。


「ああ、それが見てみたかった。その尊さを知りたかった。たとえ報われぬ死が前にあろうと、その先へ進もうと する力を感じたかった」


ウィズダムは語る。

”賢者”ウィズダムの名を含むこの男が、何故か今は何も知らぬ赤ん坊のように見えた。

「そしてお前らはそれを見せ付けてくれた。人が人たるその所以を。傲慢で、独り善がりで、青臭くて、暑苦しく て、されど尊い輝きを」



―――それは誰にも省みられることの無い、ただの”我侭”。



「いいものを見せてもらったぜ大馬鹿共。なんの迷いも衒いも無く、走り抜けた姿を確かに見せてもらったッ!」

その声は、四方を圧する声。

びりびりと、背筋が自然に伸びる声だった。

「此処へ至るまで立場に迷うことがあったか!? 此処へ至るまでに戦う理由に迷ったことがあったか!?」

途方も無く狂った賢者は天を仰いで吼える。

目の前に『Id』の中枢があるのに、そんなものはどうでもいいとばかりに天を向いて咆哮する。

「マザーコアとシティ。敵対している組織。生理的に気の食わないヤツ。そんなことを気にしてたときはあった かッッ!?」

まるで演劇を見ているかのようだ。

ウィズダムの放つ言葉の一つ一つが、棘のように心へと突き刺さっていく。

……そうだ。誰もが必ず、一度は夢見る願いがあった。


何のしがらみも無く、何の懸念も無く、ただ肩を並べて戦えることが出来たのなら、どんなに爽快なことだろうと ――――――


「この瞬間を忘れるな。例えこの先、また無様な争いを繰り広げることになったとしても、この輝きは潰されはし ねぇ」

今は明日へのための通過点に過ぎないけれど。

それでも、確かに力を持っている。

「改めて敬意を表する。お前らの我武者羅な疾走は無駄にしねぇ。この勢いのまま、ラストは俺とリューネが派手 にケリをつける」

「ぁ――――――」

その言葉を聴いて、漠然とこれで終わりなんだなと思った。

訳の分からないまま巻き込まれるように戦って、戦って、此処まで来て。

そしてもう、決着は自分たちの手から離れているのだ。

大戦前より続く妄執の組織。

その幕引きは、ウィズダムとリューネの手で下ろされなくてはならないのだから。



<貴様・は>



此処までの空白に何かを思考していたのか、『Id』のシステムがようやく声を発した。

ウィズダムは片目を細めてそちらへ向き直り、

「おーぅ、相も変わらず陰気臭くて何よりだ親父殿達・・・・。―――まさかこの俺を忘れたとかぬかしはしねぇよな?」



<死亡報告・は・虚偽・で・あっ・た・か>



「信じたのはお前らだろ? 僻地に放っといて何でもかんでも自動制御の連絡に任してるからこういうことになん だよ間抜け共」

あくびまでしながらそう言った。

気楽な表情だが、その実”天意の宿り木”を阻む『凍れる世界』フローズンハートの時空結界は展開が続いている。

だが、それも面倒になったらしい。

プログラム通りに無策にウィズダムへ拳を落とし続ける巨人たちを彼は鬱陶しげに見やり、





「いい加減に――――――」







――――――”暗黒聖典”バイブルブラック――――――







「――――――空気読めや」







――――――”白骨街道ディザスター……!”――――――







指を弾く、ただそれだけの行為の中、六十五に分割された瞬間の一刹那の間に世界が殻を脱ぎ捨てる。

それは世界の負荷。

『凍れる世界』によって時間単位を改変されていた周囲空間に新しい命令が浸透していき、



そして、―――錬たちを囲んでいた”天意の宿り木”は呆気なく崩れ落ちた。



「……ッ!?」

情報解体……?

驚愕に目を見張る。

今の崩壊の仕様はゴーストハックされたものが情報解体で自壊していく様に酷似していた。

しかしウィズダムが展開している世界は時間単位を改変する『凍れる世界』。

ヘイズの「破砕の領域」のような技を出せる世界ではないはずだ。

ざらざらと崩れ落ちてゆく巨人の群れ。

瞬く間に”天意の宿り木”は砂と化した。

「さーて、邪魔はいなくなったなァ」

ゆらり、と歩を進めるウィズダム。



<何・が・目的・だ>



駆動音と共に問う『Id』。

ウィズダムはそれに少しだけ考えてから、

「ブチ殺しに来た」



<そう・か>



錬たちが見守る中、確かにその殺意を叩きつけ、

「―――というのは嘘で協力しにきた」

「えええッ!?」

いきなり掌を返した。

「ちょ、ちょっと―――」

どういうことだよと錬が問い詰めようとした時、



<そう・か>



「え?」

先ほどと何も変わらぬ返答にきょとん、と動きを止める錬たち。

ウィズダムはそれを一瞥すると言葉を続けた。

「んだがそれも嘘だ。里帰りしにきただけだよ」



<そう・か>



『Id』の返答によどみは無い。

錬たちは言葉を失ったまま固まっている。

そうしているうちにも、問答は続く。



「アルの野郎もくたばったぜ?」



<確認・し・て・いる>



「ところがどっこい、実はしぶとく生き残ってたりするんだなこれが」



<確認・し・て・いる>



「そんでもって話ィ変わるが、実はこいつ等はここに攻め込んできたんじゃなくて協力しにきただけでな」



<そう・か>



…………なん、だ、これ……!?

目の前で繰り広げられる支離滅裂な会話。

「ど、どうなってんの!?」

背筋に薄ら寒いものを感じて、錬は思わず叫んだ。

「ディーくん……」

「うん……まともじゃない」

横のディーとセラも同じ思いのようで、額に皺を寄せている。

不安げにフィアが袖を握ってくるのを感じながら、錬は目の前の会話に目を戻した。

そのとき、



「―――言ったでしょ。あれが『Id』の末路よ」



背後から、声。

弾かれたように振り返る錬たち、その視線の先に空色が翻った。

「リューネ!」

ふわりと黒髪をなびかせ、おそらくは外壁を破壊して侵入してきたであろうリューネは静かに降り立った。

そして一拍遅れ、



「ちょっとそこどいて――――――っ!」



「ん―――ぅわぁ!?」

轟音と共にファンメイが墜落してきた。

「ファンメイさん!」

歓声を上げるフィア。

天使の翼が展開され、ふわりとファンメイが着地する。

「よかった。無事だったね」

これで全員。

ヘイズ、クレア、エドは外にいるのだろう。

安堵の息をついて、二秒で気持ちを切り替えてリューネに向き直る。

「どういうこと? リューネ」

未だ、意味不明の問答は続いている。

「どうもこうもないわ」

歩を進め、ウィズダムの横に並ぶリューネ。

まるでそこが定位置だと言わんばかりの自然な行動だった。



”壊れる”ってのは、こういうことよ」



その小さな背中に計り知れない感情を秘めて、リューネは言う。

「『グノーシス』は”諦め”によって思考を放棄し、『Id』に姿を変えた。もう嫌だ・・・何も考えたくない・・・・・・・・って ね」

「有体に言っちまえば、こいつらは何が正しくて、何が間違っているのかの判断すらできなくなっちまってんの さ」

後をウィズダムが引き継いだ。

「だから一度決めたらもうそれを達成するまで暴走するしかなかった。こういう風に外から質問でも浴びせようも のなら、さっきみたくなるってことよ」

さらにリューネ。

世界を名乗る二人の兄妹は、静かな目で前の機械を見つめている。

「って、たったそんだけなの!?」

この戦いの理由が。

世界を巻き込み、崩壊に誘わんとした『Id』の開戦の理由は、そんなことだったのかと。

ファンメイが翼を振り回して言った。

「それだけのことよ。でもね、ファンメイ」



「――――――コイツらにとっては、それが全てだったんだ」



心底やるせなさそうに、ウィズダムは言い放った。

「善悪の、正邪の区別もつかなくなった心。しでかした事こそは低脳極まりないくだらねぇ事だったが、俺は責め ねぇ」

「ウィズダム……」

「このまま、蒙昧のままに終わらせてやるのがせめてもの手向けってやつだろうさ」

す、と手があげられる。

それは紛れも無く、『Id』の方を向いていた。



「なぁ、『Id』」



<何・だ>



「今から、な。テメェをぶっ潰す。泣いても叫んで命乞いしようが、遠慮も躊躇も容赦もしねぇ。塵の一片に至る までこの世から消し飛ばしてやる」



<何故・だ>



「私たちの我侭よ。理由はあるけど言いたくないわ。言っても今さら仕方ないし、第一言い訳にしかならないし ね」



<把握・し・た。防衛システム・を・最終レベル・で・発動・する>



時間にしてわずか10秒足らず。

たったそれだけの時間を以って、宣戦布告は完了した。

それはとても簡素で無感動であり、埋めようの無い隙を感じさせるものだった。

どうしてこうなってしまったのか。

どうすればよかったのか。

そんな後悔や悔恨を全てひっくるめて灰燼に帰す。

「リューネさん。私たちは―――」

「そこで見てて。フィア達には、ちゃんと最後まで見届けて欲しいの」

「ああ、まだお前らは舞台を降りちゃいねぇ。最後まで付き合ってもらうぜ」

二人の歩が進められる。

確実な終わりをもたらすべく。

『グノーシス』が偶然にも作り出した絶対の魔法士が、『Id』に終焉をもたらさんとカウントダウンを開始す る。



















            *
























「……上はもう終わったんか?」

「私が知るか。あと寄りかかるなイリュージョンNo,17」

「一人で歩けんくせして何言いおるねん自分」



世界兄妹が殲滅の歩を進め始めたと同時刻、地上にてサクラとイルは灰色の空を眺めていた。

崩壊しそうな軌道エレベーターから少しはなれ、既に崩壊している地下街の手前で二人、瓦礫を背に座っている。

100mほど先には存在情報を根本から破壊されたゴーストの残骸が散らばっている。

「厄介なヤツやったなぁ」

「発想の違いだろう。私も人形使いの能力にあそこまでバリエーションがあるとは思ってもみなかった」

こきりこきり、と関節を鳴らしながらぼやくイル。

それに冷静な意見を返したサクラは、雲を突き抜ける軌道エレベーターの威容を眺めて息を吐いた。

「……不思議なものだな」

「あ?」

「本来ならば貴方と私は顔を突き合わせたらすぐさま殺しあうくらいの関係のはずだ。……それが、こうして互い に無防備に座りこけている」

ごつごつした瓦礫に背を預け、座り込んでいるのはまさに不倶戴天の敵同士。

「今ならば私の首をとるのも容易いぞイリュージョンNo,17」

「唐突やな。頭でも打ったんか」

今此処でサクラを討ち取れば賢人会議は首魁を失い、以後の活動もままならなくなるだろう。

しかしイルはそんなことをするつもりはなかった。

不倶戴天の敵とはいえ、背中を預けて数分前まで戦った存在を、掌返したように殺せるか。

理性は是と告げている。

自分は殺せる。不意打ちも奇襲も、何の良心の呵責を起こさない。

けれども――――――



「だが不思議なものだ。そんな状況におかれている今でも――――――私は何の危険も感じていない」



憑き物が落ちたようなサクラの横顔。

相手も同じようなことは考えているのだろう。

いくらイルが体術に秀でていようと、この距離で「神の賽子」を発動すれば彼に逃げ場は無い。

おそらくはナイフの一刺しで事は足りる。

しかし――――――



「そうやなぁ。―――――阿呆らしくて危機感も覚えへんわ」



片目でサクラを意味ありげに見やりながら、イルはあくびをして腕を伸ばした。

「…………ふ、ふふふ……」

「…………く、ははは……ッ」

どちらからともなく、悪い笑みで笑い出す。

「あー、あかんあかん。こんなノリでまともな展開になるわけあらへんわ」

考えてもみぃ、と笑うイル。

「シティをバカでっかい巨人が襲ってきてその親玉が世界を滅ぼそうしてるんやで? どこの三流劇やっちゅーね ん」

「加えて本拠地にたどり着くには5人の守護者を突破しなければならない、か。……ふ、確かにゲームのようだ」

にやり、と続けるサクラ。

「しかしそれと本気で戦った私たちもまた、三流劇の登場人物ということだろう?」

「違いあらへんなぁ」

笑みを絶やさない二人。

奇妙な感覚が胸の中に渦巻いていた。

もどかしいようで清清しく、無駄なようで意味を持つ、そんな喜びにも似た感情が生まれている。

シティが幾つか崩壊させられていることを鑑みれば不謹慎極まりなく、そんなことを言っている場合では無いのだ が、



「…………なんでか、爽快やなぁ」



ふと、そんな言葉が口をついていた。

なんでそう思ったのかは分からない。

ただ、今の胸の中を率直に表すとしたら、その言葉が最も適切であるように感じたのだ。

「そうか」

簡潔な答え。

そして、



「―――私もだ」



会話はそれっきり途絶えた。

見上げる灰色の空の向こう。

そこで行われているであろう最後の戦いを思って、イルとサクラは空を仰いだままじっとしていた。





















                *




























宣戦布告を叩きつけると同時に、ウィズダムとリューネは互いに弾けるように跳躍した。

リューネが前、ウィズダムが後ろに。

「え?」

逆じゃないのか。

誰もがそう思った直後、『Id』が重々しい駆動音を響かせる。



<情報制御遮断防壁・を・展開――――――>



同時に周囲300mにわたる巨大な空間を切り取るように、地面から塀が現れる。

それがゴーストハックなのか、設備の一つなのかは確認する術は無い。



<アセイミ改・発動準備完了>



しかしそれはノイズメイカーとしての役割を果たすことは容易に想像が及び、

「させるもんか――――――ッ!」

そして、彼らがみすみすそれを見逃すはずも無かった。

先ほどの陣形はこのためか。

より広域攻撃に特化したリューネが前に出たその理由。

空色の翼が彼女の背中で翻ると同時に、目どころか意識までも眩みそうな閃光が奔った。



―――『同調能力』



現在世界で確認されている中で、最も効果範囲の広い能力である。

情報の海を光速で駆け抜けたリューネの情報干渉は地面よりせり上がる魔法士殺しの結界壁を一瞬にして支配下に 置き、ばかりかその制御権を乗っ取って一角を自壊させた。

かつて『黄金夜更』の軍人らが使用した魔法士殺しのナイフ形デバイス、アセイミ。

それは地面や壁に3点以上刺すことによって、作られた面・空間内にノイズメイカーと同じ効力をもたらすもの。

だからああして一角以上を破壊できれば効力は激減する。

「でも、すぐに直してしまうんじゃ……」

セラの呟き。

確かに。大戦前の技術を未だ有している『Id』ならば、そのくらいは朝飯前だろう。

だが、



<破棄。直接対抗プログラム・を・発動>



その対応を、『Id』は示唆することなく放棄した。

「はぇ? なんで―――!?」

壁をゴーストハックなどで修復し、再度アセイミを起動すれば、いくらウィズダムとリューネとて苦境に陥っただ ろうに。

世界を名乗る兄妹がこの世で最強の矛と盾だろうと、それは情報制御の恩恵があってこそ。

目を丸くしたファンメイが驚きの声を上げた。

「……いや。最早『Id』にそういう臨機応変な対応はできないのだろう。破られたものは破られた、そう認識し ているに違いない」

答えたのは祐一。

肩に担いでいた紅蓮を下手に提げ、険しい顔で前の戦いを睨んでいる。

「地上への侵攻もそうだ。もっと効率の良いやり方もあったろうに、”天意の宿り木”と守護者を送り込むだけ。 今考えれば、あれは『Id』の思考が酷く狭窄だったことを示していたのだろうな」

失敗した方法に需要は無く。

次々に使い捨てられるように消えていく。


悲しいまでのアポトーシス。

壊れてしまったが故に、それまで必死に追い求め、溜め込んできたものすらを自ら吐き出して――――――



「みんな! 自分の身は自分で守ってよ!」

「来るぜ、形振り構わぬ暴走がッ」



リューネの鋭い警告と、愉悦を含んだウィズダムの哄笑。

それに応ずるように、大地から無数の軍勢が湧き上がった。

彼我距離は100m。それだけの距離を置いておよそ500の”人型の何か”が顕現する。

いや、実際には何らかの通路が存在したのだろうが、この距離では地面から生えたようにしか見えなかった。

そしてさらに敵は増加する。

錬たちを囲むように、今度こそ地面から隆起する体長20m程の”天意の宿り木”、50体前後。

さらにいたるところから荷電粒子砲、迫撃砲などの銃座が首をもたげ、照準を開始する。

そして最後に重々しい駆動音と共に『Id』の機械群が時空間防壁「アルアジフ」を展開した。

かの最悪の戦艦、『アレイスター』が持つものと同じ防壁であり、先ほどウィズダムが使用したものの上位防壁で ある。

「あいつらはなんなの!?」

「『守護者』を作るプロセスで廃棄された素体どもだ! 脳はねぇがスペックはアドヴァンスドどもに迫る、気ぃ 抜くなよ!」

錬の問いにウィズダムが叫びを返す。

その、刹那。

『自己領域』によって接近してきたであろう騎士が12人、前に一歩出ていた錬とフィアと祐一に襲い掛かった。

「ッ――――――!」

いきなりか!

さしもの錬もこの突撃には反応が遅れた。

腰の『蒼天』に手を伸ばすも、それでは間に合わないとI−ブレインが告げている。

フィアを庇いながら窒素結晶の盾で攻撃を弾きつつ後退……最低二発は被弾する!

ここが既に死地だということを失念していた自分に歯噛みする。

何が決着はウィズダムたちに委ねられた、だ。

そんなこっちの都合は、狂った『Id』にとってなんの意味も持たない――――――!

腕一本を失う覚悟で迎撃の演算を行おうとした錬。

その眼前を紅と銀の閃光が舞い踊った。

「ぼさっとするな。こいつらは敵が見えたから突っ込んできた・・・・・・・・・・・・・・だけだ」

「捨て身ですらないってことですね……厄介だ」

振るわれし騎士剣は紅蓮と森羅。

横にいた祐一と、咄嗟に後ろから飛び込んできたディーの斬撃が、錬とフィアを襲う敵の攻撃を受け止めていた。

そして一拍遅れて錬の迎撃が完遂する。



(―――『炎神・百鬼』)



眼前に引き起こされた爆発と共に二人の騎士が吹っ飛んでいく。

残る十人の騎士はとんぼをきって後退、爆縮から逃れていた。

「セラ! フィアさんと一緒に身を守っていて……ッ!」

それを追撃せんとディーがさらに踏み込むが、しかし新手が次々と『自己領域』を纏って空中から出現してくる。

「ホント、無茶苦茶な……っ!」

刺突をかろうじて飛びのいて躱し、氷槍を叩き込んで後退させる。

しかしそれで一度に対応できるのは精々3人。

「っ――――――!」

氷槍で後退させ、『蒼天』で打ち払い、無理矢理に体を捻って回避して三手。

だが敵の素体は一太刀でも浴びせれば勝ちだとばかりに攻撃の手を緩めない。

攻撃する隙間があれば、たとえ仲間の脇の間からでも騎士剣を突き出してくるその戦い方に背筋に寒いものが走 る。

個々の戦闘能力は確かに高いが、戦法が単純すぎるため、先を読むことは容易い。

だが、その利点を食いつぶして余りあるだけの、絶望的な戦力差が存在した。

「錬! 上ッ!」

ファンメイの叫びに上空を振り仰いだことに瞬間で後悔した。

騎士が敵を仕留めようと自己領域で突貫をかけてくるのなら、炎使いや人形使いは何をしてくる――――――

「いかん、下がれ……!」

「言われなくてもだよ!」

見たくも無い。

上空を埋め尽くさんばかりの、炎弾と氷槍とゴーストハックの砲撃の嵐なんて……!

空が落ちてくるかのようだ。

総勢500人弱の魔法士による一斉射撃。

まだこちらに騎士素体が残っているというのに、構わず殲滅を優先させるというのか。

個体能力よりも、特殊能力よりも、どこまでも分かりやすく戦場を支配する法則―――火力。

迷っている暇はない。

『自己領域』を祐一とディーと一緒に発動して、皆を抱えてとにかく遠くへ退避しなきゃ―――!



(境界面に異常発生 『サイバーグ』強制中断)



だが衝撃。

突っ込んできた騎士の自己領域がこちらの自己領域の発動を阻害する。

なんでそこには頭が回るんだよ……っ!

ナノセコンドの時間単位で祐一とディーと目が合う。

自己領域を発動できたのはディーのみ。

今まさに半透明上の膜に包まれようとしている双剣の少年にいいから行けと目で合図する。

「祐一! こっちに……!」

今から逃げる術は無い。



(―――「アインシュタイン」 常駐)



だったらいっそのこと、『次元回廊』で切り抜ける……!

至近の騎士が放った刺突を強引に左腕を叩きつけて軌道を逸らした。

上腕骨に亀裂骨折、知ったことか。

上空砲撃の着弾まで、あと二秒。

予測着弾範囲、74m四方。

ここで祐一が纏わりつく騎士を二人切捨て、錬の横についた。

しかし尚も離脱を阻害せんと『自己領域』から敵が湧き出てくる。

まるで槍衾のようだ。

何があろうと相手を串刺しにしない限り止まらない敵軍。

気迫が見えないからこそ・・・・・・・・・・・、尚も恐ろしい。



―――ぱちん



「!」

今まさに短時間の戦線離脱も覚悟して『次元回廊』を発動させようとしたまさにその瞬間。

小さな音が響き渡った。

空の砲撃の雨に穴が空いていく。

雨霰とまさに降り注ごうとしていた弾幕の雨、それが消しゴムで消されたように消え去った。

―――情報解体!

となれば犯人は一人。



「いいタイミングだなお前ら! 真打ち登場だ!」

「何言ってんのよアンタは……」

「みんな、ぶじ?」



……いや三人。

エドの『覇城槌』ゴッドシルバーか何かで外殻をブチ抜いてきたのか。

三隻の機械鳥が颯爽と出現し、Hunter Pigeonから放たれた「破滅の領域」が弾幕を解体していた。

遅れてウィリアム・シェイクスピアがメルクリウスの槍の制圧射撃を敵軍に叩き込み始める。

「テメェが火力で制圧にかかるならそれ以上の花火を以ってこっちもやれってな!」

ヘイズの声。

そしてそれに応えるように怒涛の大規模情報制御が前から吹き上がった。



「ああ正論だ人喰い鳩。だがな、その程度で"火力"とかぬかしてんじゃねぇぞ……!?」



前方20m。

突っ込んできた騎士たちと錬たちの中間地点。

猛攻に手を焼いているうちに彼らのことを視界に入れている暇がなかった。

2分にも満たないこの間に、何をしていたのか。

その答えが目の前から吹き上がる。

「ウィズダム……!」

「真っ向勝負かと思ったらよォ……何俺ら素通りして他に喧嘩売ってくれてンだお前らはァァァァァッ!!」

瞬間、



(超大規模情報制御を感知)



”天意の宿り木”の構成をも凌ぐ、おそろしいまでのフラックスがこの場に顕現した。

「な、ぁ―――――っ!?」

この場にいる誰もが息を呑んだ。

かつて『ワイズ』での戦闘の比ではない。

これが、これがリューネと同じようにプログラム制限解除・『戦いの口上』を言祝ぎ終えたウィズダムの力か ――――――!

吹き上がる咆哮と共に『世界』が唸りをあげる。

単一の世界ではない。

ウィズダムは、複数の『世界』をここに顕そうとしている!







『轟く世界』リザントグローヴが周囲の大気を圧縮し、圧縮された空気は熱を生み出す。



『哭する世界』アブソリュートテンパーが発生した熱を統御し、電離させてイオン化。数万度のプラズマを発生させる。



『蠢く世界』ディストートレギオンが空間を閉鎖。プラズマ体が閉塞領域で加速し、放射線シャワーまでもが纏わりついた



『揺蕩う世界』ウェイバーフロゥが加速の向きを揃え、プラズマジェットが永久加速の輪に陥る。



『輝く世界』トワイライトグランスが時空間を圧搾。引き絞られた圧倒的なエネルギーは今正に解放を待つだけとなり、



『凍れる世界』フローズンハートが不変の空間を定義。それを”砲口”と化し――――――







「――――――末期の花火だ。派手に逝けや」







翳された掌から、”地上の太陽”が迸る――――――――!!!













「―――――――『七聖界・虐殺』セブンスヘヴン・メガデス!!!」












光爆。

熱核兵器にすら匹敵する極圧の光芒は、跡形も無く欲望の軍勢を消し飛ばした。

「続け。リューネ」

「言われなくても。フィア、ちょっと手伝って」

「は、はい?」

轟音と剛風に誰もが体を丸めて耐える中、空色の少女は平然と歩き、フィアの手をとった。

視線の先には、今なお不連続時空結界の中で顕在している『Id』。

「あの情報防壁は一種の絶対防御でね。一辺倒の攻撃じゃどんなに強くても突破できないの」

黄金夜更のアレイスターで知ってるでしょ? とリューネ。

そこへ生き残っていた銃座から荷電粒子砲が雨霰と降り注ぐが、

「へっへー! やらせないよッ!」

ファンメイが飛び込み、黒の水のカーテンで悉くを受け止める。

肉が焦げる匂いが立ち込めるが、ファンメイは苦痛を顔に出すことなくにかっと笑った。

瞬時にディーと祐一が『自己領域』を発動し、生き残っている銃座を片っ端から潰していく。

遠距離に生き残っているものを潰すのはセラの役目だ。

次々とD3が閃き、収束された荷電粒子砲が本家は自分のものだと主張するように銃座を貫く。

「くかかか、ここまでくると壮観だな」

やることがなくて手持ち無沙汰になっていた錬の横に、ウィズダムがやってきた。

「というよりは、ちょっと拍子抜け」

目の前の狂人というジョーカーがあってこそだが、それでもここまで一方的だと当ても外れよう。

真に脅威だったのは守護者と、そして、

「最初のあの良く分からない情報制御くらいだったかもね」

あの激情の伝播。

あそこでウィズダムが乱入してこなければ、それこそ全滅していただろう。

「アレは俺とリューネがいなくなってから開発されたヤツらしいんでよく知らねぇんだがな。とにかくなんでも強 制的に”感情”を制御・伝達するものらしいぜ」

「そんなことできるの?」

殺意や害意などを制御できれば同士討ちを容易く誘発することも出来るだろう。

「できるの? って馬鹿かお前。”空気を読む”って言葉くらい知ってんだろ?」

「うん……」

「じゃぁそれが答えだ。この世の全ては情報の海を介して存在している。”空気が読める”ってことは、情報の海 を介して流れ出た他者の感情に反応できるってことだろうが」

ということは、つまり、

「理屈は知らんが、事実があれば不思議でもなんでもねえ。感情を強制的に伝播させる情報制御があったっていいだろ」

ウィズダムはそこで言葉を切り、



「きっとな――――――伝えたいことでもあったんだろうよ」



どこか遠い目でそう言った。

「見ろやあの姿を。この『アルターエゴ』ごとアセイミで囲うなり、超長距離から爆撃するなり、まだ俺らを滅す る手段は幾らでもあるっつーのに自分の殻に閉じこもるあの姿を」

つ、とウィズダムの指が『Id』を指し示す。

「あれが現実から目を逸らしたヤツらの末路だ。完膚なきまでに叩き潰してやるのが手向けだろうよ」

その言葉に応ずるように、空色と金色の翼が翻った。

フィアをリューネが互い手を繋いで、祈るように立っている。

その前にはファンメイ。彼女たちへと向かう攻撃をことごとく黒の水の防壁で弾き飛ばす。

「さて、あの防壁は力でゴリ押し破りするにはちょっと厄介なの。なにせお兄ちゃんの『虐殺』にも耐えるぐらい だから」

かつての『黄金夜更』のときは、錬の「終わる世界」とヘイズの「虚無の領域」の二段撃によって撃破したもの。

今回はそれをさらに上回る情報密度で構成されているものだという。



「情報解体も対象が触れない”空間”というものだからダメ。―――なら、こういうのはどう?」



ぶわ、という音が聞こえそうなほど、二人の背中の翼のイメージが広がった。

リューネがフィアの手をそっと前方へ導く。

「物理の側から対抗できないのなら、情報の側から対処する。天使の能力持つ者二人、ゲシュタルト崩壊を気兼ね せずに全力を振るう”同調干渉”の力を思い知りなさい……!」

6対12枚のリューネの翼。

1対2枚のフィアの翼。

空色と金色が絡み合い、荘厳な紋様が情報イメージとして描かれていく。

あらゆる情報防壁を素通りし、情報の海の根源から対象を支配下におく「天使」アンヘルの能力。

そして支配下におき、改変した事象をそのものの基準とする「調律士」ワールドチューナーの能力。

情報の海を根本から操ることの出来る三つのカテゴリのうちの二つ。

「さぁ行くよフィア。これから成すのは誰も傷つけない最強の魔法!」

「は、はいっ!」

空色と金色。

それはまるで雲を突き破って太陽の光が差し込むようにも似た――――――










――――――『熾天満たす光輝の祈り』セラフィムコール――――――










瞬間、世界が切り離された。

世界の薄皮を思いっきり引っぺがしたような、形容しがたい錯覚。



<接続……遮断……アクセス不可――――――>



何をやったのか。

何が起きたのか。

その感覚が走り抜けていったかと思えば、『Id』を包んでいた時空間防御が消えうせていた。

破ったのではない。

自然消滅した、かのように見えた。

「なに、今の――――――?」

「I−ブレインを使ってみ」

驚愕する錬の横で、さらりとウィズダムが言う。

「分子運動制御でも使ってみろ。そしたら分かる」

「……?」



(「分子運動制御」常駐 「氷槍」発動―――エラー 分子運動制御不可)



「え?」

もう一度



(「氷槍」発動―――エラー 分子運動制御不可)



発動できない。

分子運動がもう予め手を加えられているわけでもないのに、空を掴むように情報制御の手ごたえが無い。

いや、というよりは――――――

「情報の海に……上手く繋がって、ない……?」

「そうだ、これがリューネの切り札。一時的に射程範囲内の情報の海へのアクセスを禁止する究極の魔法殺し、 『熾天満たす光輝の祈り』セラフィムコールだ」

ノイズメイカーは特殊な電磁波を放出することで魔法士のI−ブレインの活動を阻害し、結果情報制御を封じるも の。

しかしこれは違う。

他者のI−ブレインになんら干渉は及ぼさず、そしてそれがどんなにハイスペックであってもお構いなし。

情報の海へと繋がるチャンネルそのものを閉じてしまうという、まさに世界を支配する能力である。

「リューネから聞いたことねェか。魔法士として戦うなら・・・・・・・・・・アイツに勝てる人間は俺含めていねェってことだ よ」

殺すことでなく、制することが目的であるのなら。

どんな魔法士であろうと、この空色の少女に勝てる道理など無い。

そして全ての情報制御が禁じられた今、最早『Id』は身を守る術を全て失った。



「カーテンコールだ欲望の謳い手。抜け出せない輪の中から今解放してやんよ」



その中を、狂人が歩む。

不遜で、傲慢で、この世全てのものを睥睨するような、いつも通りの様子で、悠々と足を進めたウィズダムは、 『Id』の直前へと歩み寄った。



<…………我・ら・は・世界・を・観測――――――>



「…………救えねぇぜ頭でっかち共。テメェらは結局、最後までやり続けるだけの意思が足りなかったんだよ」

ウィズダムは胸の中から鎖を引っ張り出した。

その先には、異様なまでに針の多い、銀色の懐中時計がついている。

「終わらせるぜ。永遠の夢はここまでだ。永劫に閉じた思考の果て、せめて潔く消え果ろ」











――――――『無量百千載』オール・イン・ワン――――――











終わりが、始まった。

ウィズダムを中心として凄まじい量のフラックスが渦を巻き始める。

「って、なんで情報制御使えてんの――――――!?」

リューネとフィアの『熾天満たす光輝の祈り』で、情報の海へのチャンネルは全て閉じられているはずだ。

それなのに何故。

つくづくこの二人は”予想外”を突きつけるのが好きらしい。

ウィズダムが高らかに掲げた右手の先、銀色の懐中時計が光を反射する。

「……あそこから、情報の海へのチャンネルが繋がっていってます……」

「ど、どういうこと?」

「ぼくに聞かないでください……」

困惑する錬たち。

それをにやりと笑いながらウィズダムは言った。

「こいつは「キングダム」っつーデバイスだ。情報の海に存在を認識させないだけ・・・・・・・・・・・・・・・・ の、クソの役にも立たないデバイスなんだがね」

確かに物理的に存在するのに、情報として確認できないというそれだけのもの。

デバイスとすら呼べない、何の力も持たないもの。

「んだが―――今はそれが役目を果たす。情報の海に存在を認識されていなければ、そこからつながるパスを閉じ られる道理もない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一息。

「何があろうと不変。自らを確立させるが故に『王国』キングダム。しかしその実中身は空っぽ。玉座に収まる者を持たぬが 故に『王をキング唾棄するダム

そしてそれは、リューネの『熾天満たす光輝の祈り』の領域内部でのみ威力を発揮するだけのデバイスである。



―――剛風が、湧き上がった。



ウィズダムを中心に世界が書き換えられてゆく。

「なんという規模だ……全員固まれ。巻き込まれるぞ」

言われずとも。

緊張をはらませた祐一の警告に是非も無く皆は頷き、彼の元へ集合した。



<我・ら・を・破壊・する・の・か>



「ああ、する。夜は終わりだ。夢が醒めれば朝が来る。顔を洗えば目が覚める。いつものように、当然のように」

無量百千載。

無限の意味を持つ能力が周囲空間の情報定義を掌握する。

最早防壁を持たず、そして攻撃手段も全て失った『Id』には強烈過ぎる、あまりにも強烈過ぎるトドメ。


「物語の終わりはいつだってそう。死力を尽くした最後の一撃で締めくくられるのよ」

「それは古来より引き継がれてきた永遠の王道。悔いを残さぬよう、今の全てを清算して未来へ繋げるためだけの 自己満足だ」

「全てを出し尽くしてこそ、全てを燃やし尽くしてこそ、人は次に進める。全力を超えた先へ行こうと。明日もま た頑張ろうと思うことが出来る」


……自然と、拳を握り締めていた。

胸の中に何か言いようの無い熱を感じている。

初めて依頼を受けてそれを達成した時。

長い時間をかけてやっと軌道エレベータに花園を作れた時。

あのときと同じような興奮を覚えている。



「さぁ眠れ。――――――迷うなよ」



そうして、引き金は引かれた。

無造作に。

無慈悲に。

無感動に。

刹那の間隙が世界を静止させた後、




















「――――――『七聖界・無窮太極』セブンスヘヴン・アルティミットワン――――――」




















音も光も前触れも無く、ただ”ごそり”と、目の前に屹立していた『Id』の本体は、姿を消していた。

空間ごとぽっかりと。まるで、初めから何も無かったかのように。



















           *

























「………………」

目の前の『Id』があっけなく消滅して10秒近く。

錬たちはそのまま動けずにいた。

「これで終わり…………なんだよ、ね?」

「…………はい、多分…………」

「ディーくん、ほっぺつねっていいですか?」

「……え、あれ? 僕がつねられる側?」

「…………なんとも、終わりはあっけないものだったな」

目の前には、綺麗に球状に切り取られた『アルターエゴ』の大地。

つい15秒前までは、そこに確かに世界を滅ぼそうとした組織の首魁がいたのだ。

「互いに背反する情報定義を持つ世界を強引に起動することで限定領域内の情報の海を丸ごと” 自壊”させる絶技、俺の切り札だ」

得意げに指を鳴らすウィズダム。

その後ろからリューネが彼を追い越してこちらの前に立った。



「これで終わったわ。みんな、ありがとね」



簡素な言葉であったが、確かな感謝を感じられる言葉だった。

「私の、私たちの我侭もここでおしまい。『Id』は、『グノーシス』は消え去ったわ」

さっきまでの厳しい表情、目の前に立ちはだかるもの全てをブチ抜いていく雰囲気は既に無い。

やさしく微笑むリューネの姿が目の前にはあった。

「ありがとう。ただの喧嘩につきあってくれて。私だけだったら多分勝てなかった」

ぺこり、と頭を下げるリューネ。

「や……なんかリューネにお礼言われるとすごいこそばゆいって言うか……リューネで勝てないわけないと思うっ ていうか」

しどろもどろに応える錬。



「うぅん、それでもありがとう。―――それと、最後のお願い」



「え? なんて?」

ふと、聞き返してしまった。

なんでだろう。

はっきり聞こえたのに。

確かに耳に届いていたのに。



「そうだな。最後の頼みだ。ここまできたんだからつきあってくれ」



同じように、ウィズダムの声も遠くに聞こえる、ような……?

ウィズダムとリューネは寄り添い合うようにして『Id』があった場所へと歩み、そこから下を覗き込んだ。

「……?」

錬たちもつられて覗き込む。

果たして、そこは一つの部屋だった。

目測およそ5m四方程度。

ベッドが三つに、箪笥も三つ。

それだけの家具しかない殺風景な部屋が、そこにあった。

それらに積もった埃の高さが、この部屋が長い時間誰の手も入れられていないことを示している。

「なに……これ?」

「部屋、ですね……」

覗き込んだファンメイとディーが?マークを頭に浮かべる。

「ここが『アルターエゴ』の中心だ」

ウィズダムがつい、と指を動かす。

同時に部屋の四方の壁が吹き飛ばされ、横に視界が広がった。

5m四方の部屋を包むように、円周状の通路や廊下、施設などが露になる。

「『アルターエゴ』はこの部屋を中心に円を描くように色んな施設が作られている。ほれ、あれが『守護者』の培 養槽だ」

ウィズダムが指差す先の施設区画。

そこには複雑な機械群に囲まれた13の培養槽が存在した。

一番奥に二つ。それを囲むように四つ。少し離れて三つ。そしてさらに離れて四つ。

「ってことは、ここが――――――」



ウィズダムやリューネが生まれた場所、なのか。



「いんや違う」

「って、えぇ!?」

「正確には違うのよね。まぁいいけど別に」

「いいのかよ」

びしりと突っ込むヘイズ。

ウィズダムとリューネは意に介した様子も無く、飄々と部屋の中へと身を躍らせた。

「…………」

顔を見合わせること二秒半。錬たちも追って下へと降りる。

「流石に懐かしいな。あの時のままだぜ」

あの子ヒメだけがいないけどね。それも感傷か――――――さてと」

完全にこちらを置いてきぼりにして話を続けていた二人だが、くるりとリューネがこちらを振り向いた。



「さ、皆に最後のお願いだよ」



にっこりと笑顔。

けれども何故だろう。酷くそれが儚いものに見えた。

「そうだな。最後の最後の、ケジメづけだ」

呵呵、とウィズダムも笑う。

彼は部屋を横切り、周りを見渡し、

「ここには多くの廃棄された奴等の思い出が詰まってる。作られ、壊され、また作り直され、10年もの間のその 連鎖をずっと見てきた場所だ」

まぁ、周り閉じてるから厳密には見れねぇんだけどな、と続く。

覗きこめば、『守護者』の培養槽のある施設の奥には、未だ素体が入っているであろう培養槽が先が見えないほど 並んでいるのが分かる。



「天意―――『Id』の統括意識体が失われた以上、コイツらはもう緩慢に死んでいくだけだ。大半はまだ生きて すらいねぇんだが」

「だから皆にお願い。楽にしてあげて。最後は『Id』の息のかかった私たちじゃなくて、何の関係も無いみんな の手で送ってあげて欲しいの」



リューネとウィズダム、二人の頭が下げられた。

「俺達の最後の責任だ。『Id』をテメェの都合で潰したからにゃ、コイツらを解放してやらなければ我慢なら ねぇ」

「――――――」

顔を見合わせ、ああ、と誰かが息を吐いた。

ここにいるメンバーの誰もが、その考えを理解できた。

自由になりたいと。

自由にしてやりたいと。

その思いがどれだけ尊く、そしてどれだけ実現するのが難しいかを知っているからだ。



無言で、全員が動く。



丁度部屋の真ん中にいた錬を中心に、円を描くような陣形をとった。

続いてフィアが光の翼を震わせる。

全員のI−ブレインを仮想連結。能力の特性誤差は錬のI−ブレインを中央ホストとして経由させることで対応す る。



(情報連結)



同調能力による『終わる世界』エンドオブデイズの応用だ。

複数の能力特性を許容できる「悪魔使い」のI−ブレインを統括におくことで、異なるI−ブレイン同士の連結・ 並列を可能とする。

「荼毘に伏すなら、篝火は大仰な方がお前らの好みだろう?」

祐一。

「ったく、最後の最後まで無茶苦茶なことばっかだな―――」

ヘイズ。

「でも不思議です。まだ皆さんとは1週間と一緒にいないのに」

セラ。

「そんだけ濃いんだと思うのー」

ファンメイ。

「ま、確かにね」

クレア。

「ホント、まさかこんなことになるなんて思ってませんでしたよ」

ディー。

それぞれのセリフはばらばらの滅茶苦茶。

これからやろうとすることについて触れてる人の方が少ない。

でもそれが正しいカタチ。

ここに集っているのは似たような境遇を持つ者で、ぜんぜん違う立場の者。

一つ間違えばすぐにでも切り合いが始まるような、そんな関係。



「さってと、準備はいい?」



でも、それでも僕らはここまでやってきた。

互いに手を取り合い、背中を預けあい、戦い抜いてきた。

様々な思いが胸に満ちる。

これで終わりなんだなと。何かが予感を告げていた。

明日からは敵同士になるだろう。

この中の誰かに殺される人もいるかもしれない。



――――――それでも、今この胸に宿る”熱”の尊さは色褪せないと信じている。



思い描いた夢想が実現した。

何のしがらみも無く、ただこの人らと背中を合わせ、肩を並べることが出来たらどんなに痛快なことだろうと。

きっと誰もが一度は夢見た、どうしようもできなかったその夢が、叶った。









「――――――不謹慎だけど、ありがとう」









周りを埋める、廃棄素体の培養槽。

最早物言わぬ屍と化した、欲望の残骸たち。

かつては、君たちも夢見ていたはずなんだよね。

狂いだす前。

輝かんばかりの希望に満ちていたであろう時には、そう。

今はもう壊れてしまったけれど、その過去はちゃんと僕らが覚えていく。



(『能力融合』・『能力創生』を並列起動・・・・



餞の弔辞と共に、もうこの夢も終わらせよう。

思い出と温もり、心の中に残るものだけを持って、他は全て置いていく。



「そうだ―――その胸の中の”熱”を忘れるな」



ウィズダムの声。

I−ブレインを仮想連結しているせいか、酷く遠くからのように聞こえている。



「それさえあれば、なんだって越えていけるエネルギーになるわ」



リューネの声。

やっぱり遠くからに聞こえる。

二人はいつの間にか部屋の隅、三つ並んだ箪笥の前に立っていた。

右端にリューネ。真ん中にウィズダム。

まるでそれが自分の位置であるように。









「さぁ、夢を終わらせろ。ド派手に一発、打ち上げてやれ――――――」









(周囲対象空間完全掌握)



最早何のカテゴリの能力を発動させようとしているのかすら分からない。

天樹錬は一つの機械となって演算を中継する。

けれど、一つだけ分かっていることがあった。

今から打ち上げるのは弔辞の花火にして終末の祝砲。



…………ああ、だったら決まってる。



「――――――最終究極絶技」

流しきれない涙があった。

助けられない命があった。

どうにもならない事ばかりだった。

けれどそれでも、足は止まらなかった。

色んな過去を背負って、悲しいことや辛い思い出ばかりの人達が集まって、そんなの知ったことかと進んできたん だ。

そして今、目の前には結末の一つがある。

輝かしいまでの未来を夢見ながらも、狂ってしまった組織の残骸が。



送るものは葬送の華。

捧げるものは明日への誓い。



どちらも未来へ踏み出すための一歩である。

強く、強く、踏みしめていくための思い。



そう、その思いを届ける先はいつだって――――――
































「――――――『あの空の向こう側へ』ラストファンタズム――――――」


































お祭り騒ぎも、これでおしまい。