最終章

「Life goes on」



























―――己に胸を張る為に―――



























目覚めとは、水底から浮かび上がっていく感覚にも似ている。

それまで断線していた機能に次々と火が入っていき、僅かな倦怠と共に体が活動を再開する。

I−ブレインが回転を始め、周囲情報並びにコンディションチェックを開始。



―――即座に反応、頭上に視界擾乱物体ひとつ。接近速度秒速1,4m。質量2,1kg。



「錬さん朝ですよ――――――っ!」

「ぅわぁぁぁぁぁぁッッッ!?」

飛び起きると同時に半秒前まで錬の頭があった場所へ振り下ろされる、柄のついた丸い物体―――フライパン。

ばふり、と枕に叩き込まれたそれが音を立てる。

音だけで判断するなら可愛いものだが、枕じゃなくて錬の頭に当たっていたらどんな音を立てていただろう。

「……フィ、フィア……えーっと、これは一体何のまね?」

冷や汗をかきながら目の前の天使の少女に問う錬。

間違ってもフィアはこんなことを自分からする子ではない―――あ、結論出た。

「―――もとい。誰にこんなことしろって言われたの?」

「え、あの……やっぱりいけなかったですか?」

「……ごめん、そこでやっぱりダメなのかなって思ったらやめてくれる勇気を持って欲しかったな僕は。――― で、誰の差し金」

目を丸くしてからしゅんとなるフィアをうっかりかわいいなーと思ってしまったのは秘密である。

しかし今はとりあえず追及しなければ。

大分一般常識が身についてきたとはいえ、まだフィアは少しの油断で突拍子も無いことをやらかしてくる。今のよ うに。

フィアは上目遣いにこっちを二秒ほど見てから、言った。

「ええと――――――」








―――『Id』の崩壊より三日。

あの日集ったメンバーは各々の道を再び歩き始めていた。

サクラ、ディー、セラ、真昼は再び『賢人会議』として姿を消し、イルと月夜はそれを追う立場としてシティ・モ スクワの復興にあたっている。

ファンメイとエドはシティ・ロンドンへ戻り、リチャードの下で色々と世話になっているらしい。

クレアはシティ・マサチューセッツに戻ると言っていたが、何やら意味深な顔をしていた。

ヘイズは何時も通り、ハリーと共に世界の空を今も飛び回っているのだろう。

祐一も同様に行方知れずだ。

あの戦いなどまるで無かったように、皆元通りの鞘に納まっている。



―――けれども、変わったこともある。



一つは空に開いた幾つかの穴。

『アルターエゴ』爆散の置き土産なのか、果てまたリューネやウィズダムが馬鹿みたいな砲撃をばかすか撃ちま くったせいかは分からないが、ユーラシア大陸上空に『雲』の切れ目が幾つか観測されている。

その部分では太陽光プラントが稼動するに十分、とは言いがたいが、7、8割の稼動には十分な太陽光が差し込ん でいるらしい。

上空を周回する『アルターエゴ』でドンパチやらかしたということは、世界を巡りながらドンパチやらかしていた ということだ。

『Id』の強襲によって多大な被害を受けたシティは互いに新しく不可侵条約を締結。

"穴"より差し込む太陽光をエネルギー補充策としてマザーシステムの一部を代替わりさせることにしたらしい。



―――そして、








「ええと――――――リューネさんが」

やっぱりかあんにゃろう。



リューンエイジ・FD・スペキュレイティヴ。

ベルセルク・MC・ウィズダム。



世界を名乗る二人の兄妹は、今この町で暮らしているのだ。



























           *

























顔を洗い、朝食をとると錬は一人で散歩に出た。

フィアは弥生の元へと診療の手伝いに行っているため、横にはいない。

別に何をするとでもなく、その辺を歩き回るつもりだった。

ジャンク屋の川那、丁度そこにいた久川老人に会釈して通り過ぎ、ぷらぷらと歩いていく。



この町は、何も変わっていない。



珍妙な二人の兄妹が住み着いたことを除けば、あの『Id』との戦いなんて何も影響を与えていないようだ。

きっと、『Id』という言葉を聴いた人は世界で100人もいないんだろうと思う。

遥か天上で行われた、世界を決める戦い。

どうしようもないくらいにフィクションじみたあの記憶は、僕らだけが覚えていればいい。

そう思いながら、町を歩いていく。

通りを越え、路地を抜け、足の向くままに。



着いたのは、崩壊した地下街だった。



「…………そう、だっけ」

『アルターエゴ』へ向かう道。ここはラヴィスのゴーストハックによって崩落したんだった。

軌道エレベーターへの道は塞がれている。

瓦礫の山を前に錬は数秒立ち尽くし――――――



「どうしたの、錬」

「何やってんだお前?」



後ろからの声に、振り返った。

「リューネ、ウィズダム」

果たして彼らはそこにいた。

長い黒髪を腰の辺りで束ね、空色のワンピースを着たリューネと、何故か茶色の着流しを着ているウィズダム。

「なに見てんだ?」

「ん……ちょっとあっちまで行こうかなぁって」

「そっか。いつだったか花壇があるって言ってたね」

瓦礫の向こうを覗き込むように、手を額に当てるリューネ。

「んだが派手に崩れちまってんなァ。根こそぎ吹っ飛ばすか?」

「やめてお願い」

そんなことをされたら軌道エレベーターごと倒壊してくる可能性すらありうる。

とはいえ、今まで使っていた入り口が使えなくなってしまったことには変わりない。

やれやれ、と踵を返して肩を落とそうとしたとき






「―――後悔してるか?」






背後からの台詞に、体が強張った。

弾かれたように振り返る。

そこには、挑発的な目つきを顔に貼り付けたウィズダムがいた。

「……どういう意味?」

「どーもこーもねェさ。お前、ここに来るまでまさかこんなことになってるとは思いもしなかったろ? あるいは 覚えてなかったかどうか知らねぇが」

にやにやと笑いながら、彼は続ける。

「あの戦いをお前らは尊い思いを胸に戦い抜いた。そりゃ結構。んで? そりゃ何の犠牲も払わなかった、と同義 じゃぁねぇよなァ?」

いつだって、気づくのは後からだ。

「シティ・シンガポールは完全崩壊。モスクワ・マサチューセッツは半壊だったか。ほれほれ、これだけでもどう よ?」

お前らは好き勝手どんぱちやらかして終わりだが、周りはどうなると。

ウィズダムはそう問うていた。

「ヒーローが戦ってる足元で、踏み潰されている人がいる。誰かが無茶を貫き通せば、そのとばっちりは回りに来 るもんだ」

リューネは何も言わずにこちらを見ている。

「んで? どうだい天樹錬。お前のせいじゃないが・・・・・・・・・・お前らのやらかしたことで・・・・・・・・・・・・多くの犠牲も出ている・・・・・・・・・・そこん とこに後悔は―――」

「ウィズダム」

鋭く遮った。

にやにやと笑みを顔に貼り付けたままのウィズダムを錬は静かに見つめ、










「――――――本気で言ってる?・・・・・・・・

「――――――ンなわけねぇだろ・・・・・・・・










ウィズダムはお手上げだ、とばかりに両腕を上げ、こちらの肩を叩いた。

「んなこと気にしてたらキリがねぇだろうが。でもまぁ、お前もちったぁ分かってきたじゃねぇか」

「お兄ちゃんと同類にはなってほしくないケド」

横からリューネのツッコミが入る。

「でもそうね。後の犠牲を気にして今を躊躇することは無駄以外の何ものでもないわ」

気合が足りないのよ気合が、と言うリューネ。

……後のはなんか違う気がするけど。

「恐れてもいい、怖がってもいい。だが躊躇して立ち止まり、後悔だけはするな」

「うん……分かってる。分かったよ。後悔したら、踏みつけてきた人に泥を塗っちゃうもんね」

それだけは、やってはいけないことだ。

たとえ失敗し多くのものを犠牲にしてしまっても、後戻りだけはしてはいけない。




「犠牲が出ない方法なんて、きっと無い。でも、それを理由に足を止めることは負け犬の道よ」



…………そうだ。

突き抜けたものは、踏みにじった者に対して胸を張らなければならない。

それは勝者の義務である。

だから、ここまで我を押し通してきたのだ。

『Id』の悲しい現実、その何もかもをこちらの都合だけで踏みにじって、滅ぼしてきたのだ。

「今回は上手く行った。次はどうだろうな?」

こちらを試すような、ウィズダムの視線。

何が言いたいかは分かってる。



こっちが踏みにじられる側に回る可能性も十分あるのだ、と



世界を名乗る狂人は何の感情も宿さぬ目でこちらを見ていた。

「意気込みだけでどうにかなると思うなよ。伸ばした手が振りほどかれることなんぞ、ザラにあるだろうさ」

「―――うん」

知ってる。

知ってる。

知っている。





「気持ちだけじゃ、叫ぶだけじゃ、どうにもならないなんて知ってる」





無力を知った。

無情を知った。

現実を知った。





「助けられない人だっている。声が届かない悪い人だっている。どんなに頑張っても叶わないことだってある」





人は聖人に非ず。

人に性善は在らず。





「痛いほどわかってるよ。この世界はあまりにも不平等で――――――」





かみさまなんていやしない。

たすけて、ってさけんでも、こたえてくれるひとなんてけしつぶのかず。





「残酷で、悲しくて、どうにもならないことばかりで……」





フィアの涙。

祐一の過去。

月夜の後悔。

真昼の過ち。

ファンメイの悲しみ。

ヘイズの別れ。

ディーの葛藤。

セラの恐れ。

クレアの絶望。

エドの孤独。

サクラの苦しみ。

イルの痛み。





……一体、誰がその暗闇を晴らしてやれるのだろう。





「どんなに強く願ったって。どんなに狂おしく祈ったって。無情に一蹴されてしまうことばかり」





シティ・神戸。

世界樹。

リューネ。





……そうだ。これまでに望んだ結末になったことなんて、一回も無かったじゃないか。














「――――――でも」














地を踏みしめる足に力を込める。

天を見据える瞳に光を宿らせる。





―――数え切れない痛みがあった。



―――流しきれない涙があった。



―――抑えきれない悲しみがあった。



―――辿りつけない理想があった。



―――打ち勝てない戦いがあった。



―――助け出せない命があった。



それでも、それでも――――――














「それでも、――――――足は止めないって、誓ったから」














どれだけ辛かろうと。

どれだけ苦しかろうと。

ずっとここまで、歩いてきたのだ。

正しいか間違っているかなんて関係ない。

正しかろうと、間違っていようと、この思いは、決して過ってはいないのだから。








「…………言うなぁ、お前」








気がつけば、珍しいものを見るような目で見られていた。

リューネもウィズダムも、珍獣でも見るような目でこっちを見ていた。

「え、あ、な、なに?」

なんだか自分がものすごく大きなことを言っていたような気がして、錬はかぁっと顔が赤くなるのを感じた。

「いやー、言うもんだねぇヘタレだったお前が」

「そ、そんな懐かしむくらい僕のこと知らないでしょ!?」

「よかったね、錬」

「それはどういう”よかった”なの!?」

涼しげな風が吹き抜けていく。

崩れた地下街を通ったために爽やかになったであろう風が、錬たちの髪を揺らしていった。

その流れを目で追えば、行き着く先は灰色の空。

暗い雲に覆われた、一面の曇天。

けれども僕らは知っている。

あの空の向こう側には、確かな美しい青が広がっていることを。

それはただそこにある、ずっとずっと変わらないものであることを。








「――――――ねぇ、錬」

「最後に一つ、聞かせてくれや」

「ん……なに?」

「多分、お前これからまた死にそうな目にあったり、辛くてヘタれそうなことにどんどん出会ってくだろう」

「そんな苦しい目にあいながら、これから錬は、何を想いながら暮らしていくの?」








茨の道はこれからだ。

力尽き倒れることもあるだろう。

でも、










「あはは。そんなの簡単だよ」

「ほぅ、なんだそりゃ?」










辛い現実に歯を食いしばり、負けそうになっても、泣きそうになっても―――――――――


































「――――――”Life goes on”それでも生きていかなきゃ、ってね――――――」















Thanks for reading!!