「力」


















(並列処理を開始 運動係数を55に設定)

体中の血が沸騰する。
――急げ!急げ!急げ!
今まさに剣が振り下ろされようとしているのが、55倍に引き伸ばされた時間の中ではっきりと、その刀身が反射する光までもが見て取れる。
前には祐一同じく疾走する祐一がいるが、並列処理を持たない彼は純粋に速度で一歩を譲っていた。
そして、ディーとヴォータンの間には距離という絶対的な差が存在する。
いくら同じ『自己領域』を展開し、さらに並列処理で身体能力制御を持とうが、それでも間に合わぬ距離とタイミングというのは、ある。
――射程距離に入った。
ディーの視界からヴォータンが斬撃の動作に入るべく自己領域を解除しようとするのが映る。
セラは何が起こったのかすら分からずに、鮮血の華を咲かせるだろう。
「・・・・・・・・・っ!!」
頭に浮かんだいやなイメージを振り払う。
まだだ!まだ諦めるな!
速く!もっと速く!ナノセコンドでも、少しでも体を前に出せ!
初めて自分の『自己領域』と『身体能力制御』の並列処理を”遅い”と思う。
生まれてからずっと機械的に、何の感動もなく暮らしてきた自分。
クレアと共に、自分に温もりと、人を思うことを教えてくれた少女。
自分の最愛の人、セレスティ・E・クラインが今、無防備な姿を刃の前にさらしている。


・・・・・・自分はあの時守ると誓った筈だ。


母親の死を乗り越え、より強くなることを選んだ少女を来る日まで守ることを。
遅い!遅い!遅い!こんなのじゃ間に合わない!
もっと速く!千里を駆け、目にも映らぬ、光のような速さを!
速く、とディーの思考とI−ブレインは叫びを上げる。
高ぶる思いは神経パルスとなり、I−ブレイン内を駆け巡り、その活動を強制的に促す。
そして、ディーは先ず先行していた祐一に追いつき、その横を駆け抜けようとした。
が、ここでついにヴォータンが自己領域を解除した。
現実世界の律動を取り戻し、セラに向かって振り上げられた剣を落とす。
「――やめろ!!」
既に現実の運動を取り戻しているヴォータンには聞こえる術が無いことを知りながらも、ディーの叫びは追いすがる。
祐一の横に並び、強く一歩を踏み出した・・・・・・そのとき!






――視界に、流れる残像。







「――!?」
左肩にいきなり衝撃。
一瞬で肩が外れる、骨が軋む。
全力で走っていた勢いプラス55倍の加速力などくらべものにならない速度で何かに体当たりをしてしまった。
腕が後ろに持っていかれるのを地面に叩きつけてこらえ、そのついでに慣性も殺す。
だが、今はそんなことよりも
「セラ――!!」
「はい?」


・・・・・・目の前に、小首をかしげたセラがいた。


「・・・・・・へ?」
目が点になる。
・・・・・・今、一体何が起こった?それに、敵は?!
そこではっと気づき、ヴォータンを探す。
見れば自分の前方に、大きく土が抉れたような跡があった。
そして、その延長線上に倒れ伏すヴォータンの姿が。
「・・・・・・何が・・・・・・起こったんだ?」
こんな一瞬で追いつけるほど、こんな刹那で止めに入れるほど自分と敵の距離は無かったはずだ。
それに自分は祐一の横から一歩を踏み出してから激突するまでの記憶が無い。
I−ブレインの戦闘記録を逆算しても、何も書かれていない。
「今のは・・・・・・?」
セラと背中合わせにフィアと共に立っていた錬がこちらににじり寄る。
「分かりません。」
そう、本当に分からないのだ。
・・・今、何が起きた?
後ろを向いていた錬とフィアは元より、セラも何も分からないと言う。
「わたしの目の前に何の前触れも無く出てきたんですよ?ディーくん。」
つまり、『自己領域』を解除していないということ、だ。
もとより自分の能力はそのタイムラグを解消すべくある代物だが、それでも万能ではない。
ディーのもつ並列処理というのは、『自己領域から攻撃に移るタイムラグを無くす』だけであって、
『自己領域』で接近戦を挑む場合、相手も一緒に取り込んでしまうことに変わりは無いのだ。
いくら身体能力制御を並列起動させていたとはいえ、反応くらいは騎士はおろか、人形使いですら可能だ。
くわえて、圧倒的な時空間認識力を誇る『光使い』、セラが言うならば誤認とは思えない。
だとすれば・・・今のは?



「――おいおい、なんだよ今の反則技はよォ?」



今までどおり、唐突にウィズダムの声がどこからか降り注いできた。
どことなく彼の声も動揺気味だ。
「・・・これでもう残りはお前だけだぞ。」
いい加減に観念したらどうだ?と続け、祐一。

「っは、馬ァ鹿。まだこの俺様がいるんだぜ?」

相も変わらず天井知らずの揺ぎ無い自尊心。
そこで、ディーはふとさっきの言葉を思い返した。
(・・・なんだよ今の『反則技』はよォ?)
・・・『反則技』?
確かにウィズダムはそう言った。
さっき起こったことがどういうことなのか、判っているのか?
あの、誰の目にも映らなかった、一瞬を。
「さっき、何が起こったのか分かったのか?」
気づいたときには問うていた。
一瞬ウィズダムの気配が揺れ、一拍おいて答えが返ってくる。

「あぁ、当然だろう?」

と、あっけらかんと肯定の意が。

「説明してやろうか?さっきお前があんだけあった距離を一瞬で踏破した現象の正体を。」

・・・踏破?
ということは、僕はあの距離を”物理的に移動した”ということか?空間転移とかではなくて?
でもそういうことならI−ブレインの運動記録に足の運動の履歴が残っているはずだけど・・・
ふと気がつくと、クエスチョンマークを浮かべて首をひねる自分を、横のセラが服の裾を掴んだまま
不思議そうに見上げていた。
どうやら自分は相当考え込んでいたようだ。セラの顔を見ると共に耳に音が戻ってきた。
それになんでもないよ、と頭を撫でてやる。
そして答えを得ようとウィズダムに向き直る。(どこにいるかはわからないが)
だが、問おうと口を開きかけたとき、答えは後ろからやってきた。

「――『自己領域』の”同時起動マルチタスク”。・・・・・・だろう?」

『紅蓮』を納刀し、ロングコートの裾を直した祐一から。
思わずディーは振り向いた。
「何ですって?」
自分の耳が確かならば今、『自己領域』の”同時起動”と聞こえたが・・・
横を見れば錬も小首を傾げて祐一を凝視している。
どうやらこの場で先ほどの状況を理解しているのは祐一とウィズダムのみのようだ。
「ついさっき、君は『自己領域』を纏った状態で俺の横を駆け抜けたな?」
”最強騎士”の講義が始まる。
「えぇ、確かに。」
そう、先ほど確かに自分はセラを守るべく祐一を追い越して走り抜けた。
自分は並列処理がある分、自己領域内でも祐一より早い行動が可能なためだ。
そして、あの奇妙な現象が起こったのは丁度自分が祐一を追い抜いたときだった。
それはI−ブレインの履歴を見直しても問題はなし、肯定の意を返す。
だが、
「それが・・・何か?」
祐一が何を言おうとしているのか、全くその意図が掴めない。
しかし祐一はそれには答えず、別な問いを放ってきた。
「聞こう。『自己領域』とは、何だ?」
「は?」
あまりにも直球な質問のため少々戸惑う。
だが生来の性格から素直に答えは返す。
「えぇと・・・”騎士が作り上げる自分にとって都合のいい物理法則を有する空間”です。」
まだ自分がW・B・Fにいたとき、なにかのテキストでそう読んだ覚えがある。
『最強騎士』の名を黒沢祐一が受け継ぐまで、かつてそう呼ばれていた大戦の英雄『紅蓮の魔女』、七瀬雪。
その彼女が生み出した、騎士を最強たらしめる所以。
周りの物理法則を作り変え、万有すら塗り替える究極の能力。
「では、それが”身体能力制御”と違う点は、何だ?」
表情を変えず、祐一は問いを重ねる。・・・・・・と。
「・・・・・・あっ!」
唐突に錬が叫びをあげた。
一拍のち、十分にその声が清閑を打ち破ってから慌てて口を手でふさぐ。
そして何故か周りを見渡してから手をぽん、と打った。
「・・・・・・・わかったか。」
口元を緩め、祐一が言う。
・・・・・・僕はまだわかってないんだけど・・・・・・
ともあれ、先ずは答えを返そう。
「身体能力制御は、自分の”身体”に働きかける内面的な能力。それに対して『自己領域』は――。」






――”空間”に働きかける力。






「――っ!」
頭に稲妻が奔ったようだった。
そうだ、何故気づかなかった?
身体能力制御は、自分の身体を対称にしている限り、おのずとその効果範囲は決まる。
だが、『自己領域』とは、”その空間に”自分にとって都合のいい物理法則を作り出す能力。
そして、自己領域を発動している時は、時間単位を改変しているので自分は、



”改変された物理法則の中で『普通に』動いているに過ぎない”



それが故に、自分は身体能力制御を『自己領域』の中で発動できるのだ。
そして、『自己領域』を纏った者が、同じく『自己領域』を展開させている者の効果範囲に入った場合、一体どうなるのか。
答えは簡単だ、片方の『自己領域』がもう片方にとっての”基準”となる。
そして、もう片方の『自己領域』が、”その中でさらに”物理法則を改変する。
つまり、先ほどの現象の正体は、こうだ。
先ず、祐一の展開した『自己領域』と、ディーの展開した『自己領域』は、改変した物理法則、プランク定数、時間単位が、”全く同じ”だったのだ。
共に世界最高クラスの能力を有するが故に起こった超低確率な偶然。これが第一の要因だ。
そして、ディーは祐一の『自己領域』内を”駆け抜けた”。
すなわち、祐一の展開していた『自己領域』内に自分も『自己領域』を広げて飛び込んだわけである。
祐一の『都合のいい空間』を基準とし、全くそこから同じものを内部に作り上げる。
これが二つ目の要因だ。
祐一が先ず、通常の空間、つまり錬達から見た普通の世界に、『自己領域』を作りだす。
ここで、『紅蓮』と絶対同調した祐一にとっては、錬達にとって光速の99%の速さが”基準”となるわけだ。
そしてさらに、ここへディーが飛び込む。
光速の99%を”基準”とした世界で、さらに光速の99%の加速を上乗せするのだ。
光速の0,99倍の0、99倍ではない。
光速の99%に加速された時間を『普通の時間の流れ』、つまり常日頃何も加速されていない”静止した世界”として認識し、
それにさらに光速の99%を上乗せするのである。そしてその上、それを”普通”と認識し、ここでまた
身体能力制御の55倍が加算される。
その加速度は最早天文学的。
ディーは先ほどの瞬間あらゆる法則がすべて屈したこの世の普遍にして絶対足る不動の定理のひとつ、
どんなに近づいても1になることはない0、9の連なりの象徴、『光の運動』を超えたのだ。
ただし、超えたといえどそれはほんの一瞬だ。
光速超過速度に達した瞬間、ディーの体は文字通り刹那の刹那で祐一の『自己領域』範囲を逸脱する。
だが、光速度を越えた運動にとって、一瞬あれば十分すぎる。
『自己領域』の相乗効果から抜けたディーの体はこれまた刹那にて運動エネルギーの大半を失い、つまりそのまま55倍の加速をもってヴォータンにぶち当たるのだ。
無論、ぶち当たったときの速度は限りなく光速に近い。
『自己領域』の展開が解除されていたらディーもまたピンク色の塊として地面に転がっていたであろう。
・・・・・・ってか、僕実は一歩間違えれば死んでた?
ぞぞ、と冷や汗が首筋を伝う。
一歩間違えれば、では無い。
半歩、いやそれこそオングストローム単位の誤差があれば、ディーの体は二つの『自己領域』の狭間、速度、時間単位の異なる空間に板ばさみになり、スパゲッティ現象を引き起こして塵と化していただろう。
・・・・・・ぞっとしないな、というかそんなことになってたら・・・・・・
――セラは、守れなかった。
・・・・・・偶然に、成功しければ、守れなかったのか・・・・・・。
拳を握り締める。
奥歯がぎちり、と音を立てて鳴った。
・・・歯痒い。
偶然に頼らなければ、自分の大切な人守ることすらできないのか・・・!
「・・・・・・ディーくん?」
「――っ!?・・・・・・あ、何?セラ。」
急にかけられたセラの声でディーは現実に引き戻された。
と、

「・・・・・・・・・・・・ひゃひほなにを?」

いきなり頬を引っ張られた。
セラが背伸びをして自分の頬を掴み、左右に伸ばしている。
ぐにぃ・・・・・・ぱちんっ。
小気味良い音と共に伸縮しきった頬が元の位置に戻る。
「・・・・・・えっと・・・・・・?」
・・・・・・どう反応していいのやら。
「あ、戻りました。」
「は?」
淡々と、今の行動に対する疑問を一切言わせぬよう、セラが言う。
「元のディーくんです。」
・・・え?
思わずセラの顔を凝視する。
「ディーくんは怖い顔してちゃ駄目です。」
「・・・・・・・・・」
真顔で、セラが言う。
「怖い顔ばかりしてると、本当に”そう”なっちゃいます。」
・・・・・・あぁ。
得心がいった。
この子は、案じている。
僕が、本当の”武器”にならないようにと。
安らぎを、忘れないようにと。
自分を守るため、『唯それだけの為に』、鬼にならないように、と
酷く年齢に比べて大人びた視線と目を合わせ、ディーは胸中で微笑む。


・・・・・・この子が、僕の”楔”だ。


戦いに身を投じるだけの存在にならぬよう、
かけがえの無い、あの『日常』を忘れぬよう、
自分を安らぎの世界に留めてくれる、”楔”だ。
セラがいるから、自分は『普通の安息』を手に入れられる。
・・・・・・かなわない、な。
もうこの言葉を思うのは何度目だろう?
そう思っても、やはり自分はこの子にかなわないと思う。
「ありがと。」
ぎこちなく微笑む。
セラが頬を緩める。
たったそれだけの疎通。
しかしそれは、ディーとセラにとっては何よりも確実なつながりだった。
・・・・・・だが、ディーたちは一つ忘れていた。
先ほど解いた『自己領域の連立起動』は、誰が”誰に”問うたか、ということを。
あっさりと祐一が看破してくれたおかげでそれに気が回らなかった・・・・・・というよりは完璧に忘れていたのだが。





「・・・・・・・・・おーい・・・・・・・・・」





・・・・・・音声だけでもはっきりとわかる、落ち込んだウィズダムの様子があった。



























コメントというか俺のこれってボヤ(以下略

お久しぶりです、ようやく次章を送ることができました。
・・・・・・学校の方で寺の参禅やらの強制参加があったばかりに・・・っ!
さらに加えてテストまで、倍率ドンさらに倍。
で、本当はこの章でウィズダム君の雄姿を出そうと思っていたんですが、あえなく失敗。
『自己領域』の複数起動について書いていたら楽しくなってきてついつい量が多くなってしまいました。
一応破綻は無いようにしましたがかなりでたらめっすから信用してはいけませんよ(誰もしねぇだろあんなの)
さて、次でようやくウィズダム君を出す予定です。(繰り下がっただけだが)
彼はとんでもなく強いですよーてかむしろ能力が反則的。
変換ミスに追われながら頑張ってゆきますー。
ついこのごろだと『機動戦士』って打ったら『鬼道先師』って出たり。・・・・・・どういう話じゃ。
        レクイエム