■■剏龍様■■

Wizards Brain 外伝 〜魔法使いの涙〜 act.2『MARIA』


 少年は、今日も空を見上げている。
 高度二万メートル。世界を覆う灰色の雲は、人類を未だ極寒の世界に閉じ込めている。
 その哀しき空を見上げ一人、少年はそっと空を見上げていた。









「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 少年が立っていたのは、とある道の上だった。
 まだ何も知らない少年が何も知らない足で何も知らない夢を見ながら辿り着いたこの場所は、しかし決して幸福な場所とは言いがたかった。
「・・・・・・・・・・・・また、空を見ているの?」
 不意に後ろからかけられる声に振り向いた少年の眼に、飛び込む鮮やかな金色。
「・・・・・・レノア」
 少年は、金色の主。その繊細な髪の主の名を、口にする。
「・・・外にはあまり出ないほうがいい。君は、ただでさえ追われるかもしれない立場だ」
「あら、大丈夫だと匿ってくれたのは何処の誰かしらね、聖。私はシティにとって在ってはならない魔法士よ? 存在しないものを追うものはいない、とは誰の台詞かしら?」
 金髪の女性―――レノアはそう言って笑う。眩しいほどに輝いている、そんな笑顔に、少年も思わず顔をほころばせた。
「だが、それでも用心に越したことはない。僕と貴女は助け合いながら今を在る。レノア・ヴァレルにとって重要でない不要な警戒を、そのついでに行っているだけだよ」
「そうね―――事実、この前も来たのよね。私がたとえ存在しないものであっても、こうして確定の存在たる私がこうしている事実は、矛盾を生じさせるから」
「その通り。そしてそれを撃退したのも事実。そして撃退したが故に存在が明るみに出るのも事実。『追っ手』は来ずとも、『抹殺者』は確かにやってくる」
 しかし、その笑顔は現実から出るものであるが故に、現状を直視するものでもある。二人の笑顔は、短い間の安らぎの具現としての行為。
「・・・・・・行こうか。ここはじきに伝えられる」
「・・・・・・・・・そうね。ごめんなさい、また聖に負担をかけるわ」
「問題ない。貴女ははその代わりに、僕に魔法士の、世界のことを教えてくれた。そして僕に、『光使い』としての力を教えてくれた。それで充分だよ」
 少年は、そう言って十二個の、握りこぶし大の正八面体を身の回りに出現させる。
「D−3よ、今日も宜しく頼む」
 そう言って、彼は空中に浮遊した。遅れること数秒、レノアもそれに従う。
「この力をくれたのは貴女だ。『光使い』としての生みの親とも言うべき存在も貴女だ。故に僕は貴女を守ろう。貴女が安息を得る、その時まで」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 レノアは無言のまま、少年を見つめた。
 その瞳から、一筋の雫が線を描く。
「・・・・・・貴女が戦いたくないのなら、僕が戦う。貴女が安らいでいないというのなら、僕は険しさをもってそれを与えよう。だから、僕が望むのは唯一つだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 返すように少年はレノアの涙を見つめ、
「貴女には、来る未来に希望を見てほしい」
 そんな願いを、口にした。
「・・・・・・・・・・・・!」
 レノアの滂沱がより強く深みを増す。
 涙で濡れた顔を隠すでもなく、彼女は嗚咽をすら共に流し出す。
「その涙が、いつか真の安らぎで飾られる時が来ますように」
 少年の優しい眼差しを受け、レノアは何度も頷いた。
 しゃくりあげながら、声ならぬ声で、少年への感謝を述べる。
「・・・・・・あり・・・がとう、ありが・・・とう。聖」
 その言葉を風に残し、二人は、溶けるように姿を消した。





 少年―――聖とレノア・ヴァレルが出会ったのは、このときより数日前。二一八七年一月一日のことだった。
 レノア・ヴァレルは、その日も、シティの軍の眼を恐れるように、その逃亡の日々の最中に居た。
 大気制御衛星が暴走し、世界が遮光性気体の雲に覆われた暗き白銀に塗りつぶされてから既に半年以上を数え、兵器としての自分に嫌気が差して軍を脱走してから数日。
 レノアは、その道中で奇妙な反応をI-ブレインに捉えた。
(高密度情報制御を感知―――進路前方にて個体情報消滅――――否、異常なし)
 聞き覚えのない異常なメッセージが脳内を駆ける。
 情報体が消滅したのは間違いないと認識したのに、今となってはそんな事実はありえないとしか感じられない。微妙な違和感。しかも、その違和感すら段々と薄れつつある。
 さらにおかしいのはI-ブレイン残る記憶すらも断片的になっているということ。
 I-ブレインに確かに残る情報構造体消滅の記録は、それ自体が無かった事実であるかのようにその存在を薄めつつある。
「何なのかしら・・・・・・・・・・」
 レノアは、その異常を確かめようとかすかに残る記憶を頼りに現場へと急ぐ。
 I-ブレインにより質量分布を視覚に映し出し、通常視覚をカット。
 複数の質量物体へ近づくにつれ、その動きが明らかになる。
 I-ブレインも、そこにいくつかの人間大の質量の存在を認識している。内の数人には手に剣のような反応すらある。いや、これは間違いなく騎士剣の反応だ。
 と、言うことは、
―――魔法士戦闘?
 その可能性が表出する。
 質量が現れたり消えたりしているところから見るに、炎使いもいるだろう。
 そして、その質量の向かう先には、一つの質量が存在している。
 その内、視認が可能な距離に近づき、その様子がはっきりと捉えられると思しき距離になってから、レノアはI-ブレインを制御して視覚を復活させる。
 途端、その戦況を一瞬で理解した。
「・・・ぐっ!」  信じ難い光景だった。
 一人の炎使いの体が吹き飛ばされる。
 しかし、それはその炎使いに激突した一人の騎士による結果。
 炎使い、騎士、人形使いからなる魔法士数名が向かう先は一つ。彼らの包囲の中心にいる、一人の少年だった。この距離からだと視認が難しいが、長髪なため、少女かもしれない。
 炎使いが、半透明の鎖で少年を絡めとろうとし、騎士は通常の数十倍速で少年に斬りかかり、人形使いの生み出す巨腕がその援護をする。
 それぞれ二名ずつによる少年への連携攻撃。それも、完全包囲。
 レノアの友人の騎士らでも、あれを攻略するには手間取りそうな完璧な連携だった。
 それも当然か。その魔法士たちの服装は、間違いなくシティ・南アフリカのもの。
 魔法士戦術において、連携という概念をマニュアル的に取り入れた初めのシティだ。そのチームワークは、僅か六名のチームですら四個大隊に匹敵するとも言われている。
 そして、制服が示すのは彼ら一人一人がカテゴリAの上級魔法士であるということ。
 レノアが少年の立場だったら、既に殺害なり捕縛なりされている。
 しかし、そんな状況に在って少年は彼らを逆に翻弄していた。
 間違いなく、そんなことが出来るあの少年は魔法士だ。だが、能力が解らない。
 騎士剣も持たずに騎士のように異常な速度で運動し、敵炎使いと質量まで全く同じ鎖を作り出し、さらには敵人形使いが使役する腕を数本使役しているように見える。
 そして、しばらく観察を続けるうちに、その認識に間違いが無いことに気づく。
 おかしい。
 レノアは心底そう思っている。南アフリカの魔法士たちは、レノアに気づかないほど少年に集中していて、それなのに少年一人を捕らえ切れない。
 少年もおかしい。
 レノアは目を疑い続ける。少年は間違いなく、騎士・炎使い・人形使い三つの能力を使用している。
 その上、
「ば、馬鹿な!!」
 騎士の一人が絶叫するような異常を少年は引き起こす。
 騎士が持っているのは、二人とも汎用騎士剣『冥王三式』の一振り。
 レノアの友人も愛用していた剣なので、見るだけでもその詳細は解る。
 問題はそこではない。問題なのは、少年のほうだ。
 少年は、今まで徒手空拳で戦闘行動を行っていた。それに間違いは無いはずだ。事実、数秒前の映像を引き起こしても、少年はその手に何も持ってはいない。もちろん、そんな質量も存在していない。
 その筈なのに。
「なぜ、お前が『冥王』を・・・・・・!」
 少年の手には、今確かに『冥王三式』が存在している。
 騎士の絶叫が終わると同時、炎使いの体が傾いだ。肩より渋く鮮血が、隣にいた人形使いの視界を朱に染める。
 レノアも、鮮血によってその炎使いに気づき、同時に、剣を振りぬいた姿勢でその後ろに立つ少年に気づく。
「なっ・・・・・・!?」
 何故、少年があそこにいるのか解らない。
 何せ、何の情報制御も使われた様子がないのだ。それなのに、少年は一瞬で炎使いを一人斬り倒していた。
 次瞬、もう一人の炎使いの体が傾いでいく。
 これで、炎使いが全滅。つまり、チームワークに重大な穴が開くことになる。
 驚きも何かも無視して、再度陣形を組み立て直そうとする騎士は立派だったが、既に勝敗は決していた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 陣形を組み立て直すべく声を上げた騎士を、無言のまま少年は切り倒す。
 中枢ともなる騎士が一人倒され、完全に崩れた統率の隙をついて、人形使いに肉薄。
 己もろとも『腕』で少年を撃破しようとする人形使いを肘打ちで昏倒させ、それと同時に少年の『腕』が騎士へと踊りかかる。
 その騎士が情報解体により攻撃を処理している刹那に、もう一人の人形使いが袈裟に斬られて戦闘不能に陥った。
 倒れ臥した仲間たちに意識を奪われることナノセカント。その刹那どころか六徳にも満たない意識のずれの内に、少年は消えている。
「ど、どこに・・・・・・」
 視線をめぐらせる騎士の背後。
 そこに、球体状の揺らぎをレノアは見て、その瞬間勝敗が完全に顕になる。
 傾いでいく騎士の体。地面にヴェーゼを打つ肉の音。
 紅い中心に立つ少年だけが無傷なまま、戦闘は窮鼠の勝利に終わっていた。
 信じがたい目の前の一過。
 レノアは、ソレを見て一瞬の自失。しかし、すぐに我を取り戻し、現状を計算する。
 まず、シティ・南アフリカの魔法士たち。
 彼らは残らず昏倒及び死亡の状態と推測。特に炎使いの体から流れ出た血液質量は、既に元体重から計算して全体の三分の二。助からない。
 あとの数名は恐らく軽傷。
 昏倒状態からも、そう時間を刻まずに復活するだろう。
 そして、少年。
 あれだけのことを為した少年は、いまだ平然と屹立したまま。
「・・・・・・・・・!?」
 では無かった。
 少年の姿が、瞬時に消え去っている。
(どこに・・・・・・)
 慌てて脳内に質量分布図を呼び起こすが、
「誰ですか、貴女?」
 遅かった。
 レノアが飛びのくようにして後ろを振り返ると、そこには先ほどの戦闘をこなしていた少年の姿。
 いつの間に、どうやってか、少年は『魔法も使わずに』レノアの背後に気配なく出現していた。
(何なの、この子・・・・・・!)
 油断なく、レノアは少年を見つめる。
 外見的な年齢は、十四、五と言ったところだろうか。声は高く、綺麗なソプラノ。流れるような黒髪は烏の濡れ羽色とでも形容すべき美しい漆黒で、腰の辺りまで伸びている。もしかすると、少女なのかもしれない。
 だが、昨今では遺伝子レベルから合成された生まれついての魔法士も存在するため、外見的な特徴は当てにならない。
「貴方は・・・・・・誰?」
 自分でも間抜けた質問だと思いながら、レノアは問うた。
 答えが返ってくるとは期待していない。もしも、少年がシティの追っ手だとしたら自分は殺されるだろうが、そうだとしたら先刻の質問の意図が分からない。
「僕の名は・・・・・・徳永 聖。魔法士、『神使い』―――」
 しかし、そんなレノアの危惧など何処吹く風とでも言うように、少年は至極あっさり質問に答えた。
 新たに生まれた疑問はあったものの、これで少年が追ってではない可能性はさらに高まる。
「貴女の・・・・・・」
「は・・・?」
 そうやって、頭の中に考えをめぐらせていたレノアに、唐突に声がかかる。
「貴方の名は? 人に尋ねたら自分も答えるというのが礼儀で、礼儀を解さない人物というのはよい人間ではないと、父親アチェーツに教わりました」
 余りに唐突に、思いもよらぬ質問をされたレノアの思考は一瞬硬直したが、すぐに少年が他意なくただ尋ねただけであることに気づき、答えた。
「私は、レノア。レノア・ヴァレルよ」




―――それが、神の子供と光使いの、初めての出会い




続く





<作者様コメント>
二話目、恐ろしく間を空けて再来。
非才の愚者はすぐ忘れられるくせに風化した頃に戻ってくるから性質が悪いww
そんなこんなで駄文をお届けします。
つまらん文章でお目汚し申し訳有りませんが、刃を心に重ねて耐えて頂けると幸いです。




<作者様サイト>
逸話境界〜anecdotes demarcation〜・・・・・・・・・我がサイトです。変なサイトですが見てみてください。

◆とじる◆