■■神無月様■■

紅蓮の魔女と黒衣の騎士
―Happy Life―
第二部



毎日が――美しかった

傍らで、優しく微笑む――愛しい君

君と作り上げていく――些細な幸福の、結晶の日々

それは――いつまでも続くと思っていた


――この『完璧な世界』で――


「あっ、おはよう、祐一。」
窓から差し込む人工的な朝陽が部屋を照らす。
そんな中、白いエプロンに身を包み、雪は朝食の準備をしていた。
「ああ、おはよう。」
優しく微笑みながら祐一が言う。
雪は、彼のその微笑みが、自分だけにしか見せないものだということを良く知っていた。
でも、その事はあえて口にはしない。
そんな事言ったら、照れくさいからって、二度と見せてくれなくなるわよね。
「相変わらず早いな。」
リビングのアンティークなテーブルに、きっちりと折り畳まれた新聞を広げながら呟く。
「たまには、もう少しゆっくり寝てみたらどうだ?」
「うん。でも、なんかクセになっちゃってるみたいで。それに――――」
焼きたてのハムエッグをテーブルに置くと、雪はとても柔らかい笑みを浮かべながらこう言った。
「早く起きないと、一日がもったいないじゃない?」
首を傾げながら問い掛ける彼女の姿は、活き活きとしていて、それでいてとても愛しく感じた・・・。
「それもそうだな。」
「でしょ?」
はにかんだ雪は、おもむろにエプロンを外し、傍にあるイスへと置く。
いい表情をするようになった・・・。
ここ最近、彼女の笑顔を見るたびにつくづく思う。
昔、彼女がまだ『紅蓮の魔女』と呼ばれていた頃は、笑っていてもどこか無理をしている部分があった・・・。

でも、一ヶ月前から―――――

二人で軍を退役し、平穏な生活を選んでから―――――

雪は、こんなにもいい表情を見せてくれるようになった・・・。
本当にこれでよかったのかと思うことも、時折あった。
でも。
屈託の無い彼女の笑みに、これでよかったのだと確信できる。
「さ、冷めないうちに食べましょ。」
「ああ。」
「いただきます♪」
少しオーバーな言い方に苦笑しながら、祐一は新聞を畳んだ。
「いただきます。」

今日もまた、美しい世界が、一日の始まりを告げた。


朝食の終ったリビングには、先程まで満ちていたトーストの香ばしい香りに代わり、コーヒーカップから漂う、雪の入れてくれたコーヒーの甘い香りが満ちていた。
祐一は目の前に置かれたカップを手に取り、傾ける。
苦味と共に、ふわりとした甘い香りが、口の中に広がった。
「どう?」
「・・・・・・・・・。」
聞いてくる彼女の方に目をやり、微笑みながら静かに頷く。
「よかった。」
雪は満足そうに笑うと、自分の分のコーヒーにミルクと砂糖を一つずつ入れ、自らの口へと運ぶ。
「ん。上出来。」
「今度、入れ方教えてくれないか?」
「う〜ん、どうしようかしら?」
純粋に聞いた祐一に、彼女は悪戯っぽく笑いながら答えた。
「そんな事言って、本当は教える気なんかサラサラ無いんだろ?」
「ウフフッ、当たり前じゃない。私の役割が無くなっちゃうもの。」
そうしてしばらくの間、他愛の無い話をしながら、二人は食後のティータイムを楽しんだ。
傍らでは、もう何十回と聞いた「ジーン・ダリア」の名曲――――


『パーフェクト・ワールド』

歌姫は歌う。
たとえすべてを失っても
明日に望みがもてなくても
青い空があり
緑の草原があり
そして――――――

愛する人が傍にいれば、それだけで世界は美しい

と。
確かにそうだった・・・。
見上げる空が、たとえ偽りの蒼(あお)だったとしても。
生い茂る草が、たとえ草原に程遠いものだったとしても。

君がいれば、確かに世界は美しかった・・・・・。


曲のフレーズが、段々とフェードアウトしていく・・・。
「・・・さて。」
やがて曲が終ると同時に、祐一は自分と彼女のコーヒーカップを手に取り、そのまま台所へと足を進めた。
うまいコーヒーを入れるのが雪の役割なら、入れたコーヒーカップを洗うのは祐一の役割。
雪は彼が台所に入るのを見届けると、席を立って部屋の掃除を始めた。そしてカップを洗い終えた祐一は、洗濯をしに洗面所へと向かう。

穏やかに過ぎていく、いつもの日常。
変化の無い、退屈なこの毎日。
ゆったりと、しかし静かに流れていく時間。

そしてその中に見つけた――――――小さな幸せ。


   『完璧な世界』は、確かに二人の下に存在していた・・・。


でも・・・・・

軍を退役してから半年。
二人の平穏な生活は、相も変わらずに過ぎていた。
ただ。
今日は、いつもより少し、違っていた気がする・・・。
朝、用事があった祐一は、午前中の間家を留守にしていた。家路についた彼が、自分の家を数十メートルにまで捉えた時。
家から、一人の女性が出てくるのが目に入った。
「あれは・・・。」
白髪交じりの頭髪に、少々痩せ気味の頬。
壮年に入っても整ったその顔は、自分の一番身近にいる女性の面影が残っていた・・・。
真冬に設定された快晴の青空似合わない、軍服を着た女性―七瀬 静江―。
祐一も良く知る人物だった。いや、知らない訳が無い。
彼女はあの雪の母親≠ネのだ。知るなと言うほうが無理な話だろう。
静江は祐一に気付く様子も無く、道を曲がって、環状リニアへの道を一人歩いて行ってしまった。
離れていたのでよく解からないが、心なしか、目の周りが多少赤みを帯びていた気もする・・・。
何か、あったのだろうか・・・?
思ってみるが、本人はもう大分遠くになってしまっている。流石に追おうとは思わず、祐一は、雪が待っているはずの家へと脚を進めた。

でも・・・・・『完璧な世界』は・・・思わぬ所から、綻び始めていた・・・。

「ただいま。」
玄関に入ると同時に、黒いブーツと黒いロングコートを脱ぎながら言った。これ自体はかつての神戸で正式に採用されていた軍服では無いが、それでも祐一がこれを着て街を歩いているだけで、周囲からは視線が集まる。
『黒衣の騎士』の『英雄』伝説は、未だ健在のようだ。
この世界のどこにも、『英雄』はいないというのに・・・。
脱いだ靴を揃え、コートを壁に掛け終えると、祐一はまっすぐにリビングへと向った。先程まで静江がいたからだろう。テーブルの上には、二つのコーヒーカップと、茶菓子が置かれていた。
雪の姿が見えなかったので台所を覗き込む。
「・・・・・・・・。」
無言のまま、彼女は洗い物をしていた。
しかしその視線はどこかを見つめ、動かぬ白い手は、流れたままの水に打たれていた・・・・・。
「雪・・・?」
その声にはたと我に帰った雪は、祐一の方へ向き直ると、何も無かったかのように微笑んだ。
「あっ、おかえり祐一。今帰ったの?」
「・・・?ああ、まぁな。」
一瞬、笑った雪の表情に、どこと無く昔の違和感を覚えつつも、普通に返事を返す祐一。
「誰か、来てたのか?」
あえて人名を出さずに聞いてみる。
「うん。ついさっきまで、母さんが来てたの。」
テーブルに置かれていたカップを片付けながら、至って普通に、彼女は答えた。
「別に用は無かったみたい。近くを通ったから、寄ってみたって。」
泡の立つスポンジでカップを擦りながら、彼女はこちらが聞いてもいない事を話す。
何となくだが、いつもの雪らしくなかった・・・。

思えば・・・この時気付くべきだった・・・。
そうすれば――――――

あんな事には、ならなかったかも知れないのに・・・・・・・。

「さて、お腹空いたでしょ?今お昼の準備するから、待ってて。」
カップを洗い終えると、彼女はそのまま昼食の準備を始めた。
すると。 彼女が冷蔵庫から材料を取り出すより早く、エプロンを装着した祐一が、材料を手にまな板の前に立っていた。
「手伝うよ。」
そう言った彼の姿があまりにも良く似合ってて、雪は一瞬噴き出しそうになるのを必死に堪えた。
何度見ても、これだけは慣れそうに無い。
「あら、珍しいじゃない?」
「そうか?」
言いながら淡々と野菜を切っていく。雪が食器棚から器を取り出す。
それは、いつも通りの、昼の風景だった。

二人だけの賑やかな昼食も終わり、コーヒーを飲みながら一息ついていた時。
不意に、祐一が口を開いた。
「・・・そうだ。」
「?」
突然切り出した彼に、雪は「どうしたの?」と目だけで聞く。
「雪、来週誕生日だろう?」
「えっ・・・?」
予想だにしていなかった祐一の言葉に、咄嗟に壁に貼ってあるカレンダーに目をやった。I−ブレインの脳内時計を起せばそれで済むのだろうが、それではつまらないという理由と、一日一日を目で追っていくのがいいという彼女の理由でつけていたのだが―――
そのカレンダーには一つだけ、赤いマジックで囲まれた日付があった・・・。
「覚えてたの?」
祐一に目をやると同時にそう口にする雪。その表情には、感激に似た驚きが浮かんでいる。
「酷いな。」
肩を竦めながら続ける。
「誰よりも大事なお前の誕生日だ・・・忘れる訳が無いだろう。」
「祐一・・・。」
「・・・・・・・・。」
少々照れくさかったのか、祐一は視線を逸らすようにコーヒーをゆっくりと喉の奥に流し込む。
「まあ・・・そういう訳だ。だから・・・」
そっと飲みえたカップを置くと、改めて彼は雪を見つめて言った。
「だから・・・プレゼントでも、見に行かないか・・・?」
「えっ?今から?」
「ああ。駄目か?駄目なら別に・・・」
「今度でも良い。」と、言おうとした祐一よりも早く、雪はイスから既に立ち上がっていた。
「いいわ。行きましょ♪」
「ん・・・?おっ、おい・・・!カップは・・・!?」
「いいの。そんなのは帰ってきてからでも出来るでしょ?」
即断即決。
自分よりも大きい祐一をグイグイと引っ張り、玄関に掛けてあった彼のロングコート持たせると、自分も純白のロングコートを羽織る。
玄関を出ると、徐に雪が祐一の腕に自分の腕を絡める。
祐一は何とかそれを逃れようとするが、がっちりと固定されたその細腕はほどけそうに無い。
諦めて二人連れ立って歩くと、誰もが羨む、理想の男女がそこにいた。


「あ!ねぇ祐一、私これがいい。」
「え・・・?」
プレゼント選びの途中、そう言って彼女が指差したのは、木目の美しく浮かんだテーブルのセットだった。
一瞬呆気に取られた祐一だったが、すぐにその表情は笑みを含んだ呆れ顔に取って代わる。
目敏くそれに気付いた雪が、絡めた細腕で引っ張った。
「何がおかしいのよ?」
「ん?いや・・・」
一端雪の方へ視線を向け、またその視線を彼女が指差したテーブルへと戻す。
祐一は言った。
「随分と所帯じみてるな、と思ってな。」
何気無い彼の一言に、彼女は聞き捨てなら無いといった様子で頬を膨らませた。整った雪の小顔が、愛らしく変わる。
「何よそれ〜!どういう意味よ?!」
雪にとっては精一杯の怒りの表現なのだが、祐一にとってその表情は、愛らしい以外の何物でもない。
それを見てからかいたくなるのは、どうやら人の性のようだ。
「どういう意味って、言った通りの意味以外何があるんだ?」
「ふ〜んだ!どうせ所帯じみて老けた女ですよ私は!」
言いながら雪は、絡めていた腕を放してそっぽを向いてしまった。
予想通りの行動に思わず笑いそうになるが、流石にやりすぎはよく無いと思い謝罪する。
「悪かった。謝るよ。」
「・・・ホントに謝る気ある?」
どこと無くまだ笑いが入っている声に、彼女が聞き返す。
「ああ、もちろん。」
「・・・じゃあ―――」
そこまで言って、ようやく気を取り直した雪が祐一に向き直った。そして初めにやったのと同じように、目の前にあるテーブルを指差す。
「はぁ・・・。」
諦めたように祐一がため息を吐くと、苦笑を浮かべながら一つ頷く。
「わかったよ。」
「ならよろしい。」
「少し待っててくれ。」
踵を返して歩き始めた祐一は、店内にいる店員を呼び止め、手早く手続きを済ませるとすぐに戻ってきた。
「一週間後、家に届くそうだ。」
「ウフフッ、じゃああのテーブルで祝えるのね。」
「ああ。楽しみだな。」
「うん。」
店を出た後、他に欲しいものは無かったのかと聞いてみたが、結局彼女はあのテーブル以外は何もいらないと言い、そのまま二人で、もと来た道を帰った。

一週間後―――――。
夜。
二人は届いたばかりのテーブルを挟んで向かい合っていた。
組み立てたばかりの真新しいそのテーブルからは、何とも形容し難い新品の匂いがする。
しかしその匂いも、今はその上に並べられた手料理からたちこめる香りに掻き消されていた。
そして、テーブルの中央に置かれたバースデーケーキ。その上に歳の数だけ立てられたロウソクの炎を、雪が吹き消す。
火が消える時の独特の匂いと共に、炎が煙へと姿を変えた。
「誕生日おめでとう、雪。」
「クスッ、ありがと♪」
言いながら、シャンパンの入ったグラスを鳴らす。
一口含んでグラスを置くと、どちらからとも無く笑い声が漏れた。
二人だけの、小さな誕生パーティー。
それはとても華やかで。
それはとても楽しくて。
そしてそれは―――――

とても幸せで・・・。


「なぁ、雪・・・。」
「ん?なに?」
庭に出て空を見上げていた祐一に、不意に呼ばれた雪は、自分も徐に庭に出て行った。
小さな庭の中央に立って夜空を見上げる彼に習い、上を見上げる。
映像で出来たシティの空には、冬とは思えない程、無数の宝石が散りばめられていて、満月がこちらに顔を向けていた。
ふと、足音に振り返った。
そして―――――
スッ・・・。
「えっ・・・。」
左手の薬指に嵌められたモノに、一瞬思考回路が停止した・・・。
指にぴったりと嵌められた銀色に光るソレは、冷たい満月の光を、とても暖かく跳ね返している・・・。
それは・・・・・・

「俺と、結婚してくれないか・・・?」

たった一言。
それは、紛れも無い、婚約指環だった・・・。
「・・・・祐・・一・・・。」
ずっと待ち望んでいた彼の言葉に、胸の中がいっぱいになる。
息が、詰まりそうだった・・・。
目の奥から、熱いものが流れ落ちてきそうだった・・・。
でも・・・。
泣いちゃいけない・・・。
だって、今はとても幸せなんだもの。
なのに・・・
「雪・・・。」
「・・・・・・・・・。」
何故か。
涙だけ流れて、言葉が出てこなかった・・・。
思わず彼に抱きついて、思いっきり抱き寄せる。
「祐一・・・。私で、いいの・・・?」
何とか頑張って、その一言だけ聞いた。
すると祐一は、私の事を抱き返して、こう言ってくれた・・・。
「いいや・・・俺は、雪じゃないと、駄目なんだ・・・。」
とても暖かくて、優しくて、嬉しくて、幸せだった・・・。
やがて、どちらからとも無く、互いの顔を見つめる。

満月が、二人のシルエットを、一つに重ねた・・・・・。


だが―――――。

幸せな生活は、長くは続かなかった―――――。

『完璧な世界』は、音も無く崩れ始めていた―――――。

永遠なものなんて―――――。

本当に無いのだろうか―――――。


終わりがくることが決まっている幸福―――――。

どれだけ努力しても絶対に変えられない未来―――――。


『紅蓮の魔女』と『黒衣の騎士』は―――――。

限りある未来に―――――。

何を望み―――――。

何を、夢見るのだろうか―――――。
            



<続く>


神無月様よりいただきました。

うぎゃー!!
こっ恥かすぃーッッ!!!
かなり悶えながら読みました。
おもしろかったー!
祐一、意外と恥かしい奴ですね(笑)
そして、「まだ、結婚してなかったんかい!」と
つっこんでみました。

<作者様コメント>
どうも神無月です。
第一部に続いての第二部です。
一部に続いてあまり良い作品ではありませんが、
読んでくれた方々、感謝ですm(_ _)m
初めと終わりを以前とほとんど同じにしてますが、
三部もこれと同じようにいこうと考えています。
それと、やたらと長いくせに、
シティの設定やら色々適当な感じですが、
なにとぞご了承の程を・・・(汗)
次回は・・・雪と祐一の幸せな生活もいよいよラストです。
何があるかは・・・次回を読んでください。
では、第三部で。

<作者様サイト>
なし

◆とじる◆