紅蓮の魔女と黒衣の騎士
―Happy Life―
第三部
どんなものにも――終わりがあるように
永遠なものなんて――無いのかもしれない
それでも――私たちはこの世界を信じたい
すべてを――失っても
明日に――希望が持てなくても
君がいれば――あなたがいれば
世界は――たしかに
―美しかったから―
―『完璧な世界』は―
―たしかにそこにあったから―
凍てつく吹雪は、世界の嘆き。
一面を覆う灰色の雲は、空の境界。
吹き荒れる風は、悲しみの想い。
「・・・久しぶりだな。ここに来るのも・・・。」
大地一面を覆う銀色の結晶。広大な雪原の只中で、男が一人、そう呟いた。
手には、一振りの騎士剣。
柄に象眼された真紅の宝石が、独特の光を反射していた。
漆黒の衣に包まれた男は、ミラーシェードを外すと同時に、雪で覆われた平原を見渡す。
「だいたい、一年ぶりぐらいか・・・。」
『黒衣の騎士』との異名を持つ男、黒沢 祐一は、言って地面へと屈み込み、その雪を右手で軽く払った。
現れたのは、鈍い光を放つチタン合金の残骸。
それはこの場所に、嘗て何かの建造物があった事を意味している。
『神戸シティ』
そう呼ばれていた一つの巨大国家は、一年前、呆気無いほどに、その姿をこの世から消した・・・。
ここに、過去のシティの面影は、もはや無い・・・。
祐一はその雪原を歩いた。
一歩。また一歩と、かつての神戸があった場所を踏みしめる。ブーツが雪を押し固める音が、サクサクと耳に響いた。
「・・・・・・・・。」
少し歩いて、不意に足を止める。
そこは―――――。
昔、二人の家が建てられていた場所だった・・・。
高さは随分と違うだろうが、位置的にはここで間違いは無い。
「ただいま。雪・・・。」
その声に、答える者はいなかった・・・。
祐一の声は、やがて吹き荒れる吹雪に凍え、消えていく。
そう。
十一年前のあの日。
彼女は――――――
雪は――――――永遠の眠りについたのだから・・・。
「・・・君が死んでから・・・・もう十一年か・・・・・。」
切なげに、哀しげに。
彼の口から漏れた呟きは、三度(みたび)白い吐息となって消えていく。
遠くを見つめる双眸には一体――――――。
何が、映っているのだろうか・・・。
それは、彼女が死ぬ三日前のことだった。
何一つ変わらない、いつも通りの一日だった。
朝食を終えて掃除を済ませ、一休みしていた時の事・・・。
不意に、自分達の部屋を掃除している、雪の姿が目に入った。部屋の入り口まで歩み寄り、色々な荷物を整理している彼女に声を掛ける。
「何してるんだ、こんな朝から?」
声を掛けた彼女の背中は、自分よりもとても小さくて、何故か、寂しげな感じがした・・・。
「えっ?うん。ちょっと部屋を片付けてたら、懐かしい物が出てきたから。」
一瞬驚いたように振り返った彼女は、自らの周りに散らかっている物を、慈しむように撫でながら言った。
二人で作った、たくさんの思い出が詰まっている数冊のアルバム。
勿体無いと言って彼女がとっておいた、素っ気無い記念品の数々。
軍に居た頃に授与された幾多の紙切れに、二人がその頃使っていた軍の制服。
そして――――――。
鞘に収められた、一振りの、長大な真紅の騎士剣。
『紅蓮の魔女』と呼ばれるきっかけとなった、最強の騎士剣『紅蓮』・・・。
思えば、雪はこの呼び名を嫌っていたな・・・。
傍らに置かれた騎士剣を眺め、不意にそんな事を思い出している事に気付く。
軍の士官養成学校に進んだ雪は、15歳の時に魔法士実験の被験者に志願し、自分と共に、『騎士』という道を選んだ。
そして―――彼女は誓った・・・。
自分の周りの、すべての大切な人たちを守るために、戦う
と。
あの時の凛とした彼女の表情は、忘れる事など出来ようも無く。
しかし、運命は時として残酷だった・・・。
世界を冬に閉ざしたあの事故が起きてほど無く、大戦が勃発。
兵器になるつもりなど無い。
雪の儚い想いを嘲笑うかのごとく、自分や彼女を始めとした魔法士達は、最強の兵器≠ニして否応無しに戦場へと駆り出された・・・。
大戦中、対魔法士戦闘において活躍した『騎士』という存在。
中でも『自己領域』という騎士の最強を支えた能力を生み出した七瀬 雪という存在は、特に英雄視されていた。
『最強騎士』 『紅蓮の魔女』 『英雄』
一人歩きする無数の虚名と伝説・・・。
それから逃げるように、雪はわずか一年で、軍を退役した。
わかっていたんだ。
殺した人々の多さで英雄かどうかが決まると言うのなら、この世には誰一人として英雄などいない・・・。
殺した人の多さで決まるもの。
それは『英雄』という存在ではなく。
ただの『殺戮者』という兵器だけだと・・・・・。
だからこそ、彼女は剣を捨てた・・・二度と同じ過ちを繰り返さない為に。
「・・・・・・・・・。」
口元に笑みを浮かべ、無言でアルバムのページをめくる雪。
剣を捨ててからの彼女は、今までに無いほどの明るさに満ち溢れていた。
だが・・・。
結局兵器となってしまった自分を、雪はずっと責め続けていた。
だから。
ここにある紙切れや制服。そして彼女の騎士剣は―――。
あの時誓った想いを忘れない為に、彼女が自らに課した枷だということを、俺はよく知っていた・・・。
その時だった。
不意にアルバムを閉じた雪は、傍らに置いてあった『紅蓮』の柄を握ると、自分の膝元にそれを置いて、まじまじと剣を眺めた。
「ねぇ、祐一・・・?」
「ん・・・?」
そして彼女は、こんな事を口にした。
「あんた、私の剣、使ってみない?」
「・・・・・?」
雪が言った言葉が、どういう意味を伝えたかったのか理解できず、思わず首を傾げながらこう言った。
「どうしたんだ?急に・・・。」
その問いに、彼女は此方を向かないで答えた。
「だから、使ってみないかって、聞いたの。」
そんな態度を取る彼女に違和感を感じた俺は、彼女に歩み寄りながら聞く。
「・・・どうしたんだ、雪・・・?何か、あったのか・・・?」
「いいから。どっち?」
「・・・・・・・・・。」
言われて差し出された剣を、剣先から柄の宝石までゆっくりと眺る。
俺は――――――。
『紅蓮』の鞘を、そっと押し返した・・・。
「・・・?」
雪の瞳を見つめ返して言う。
「おれには、使いこなせない。」
彼女の表情に、一瞬浮かんだ・・・寂しさの影・・・。
「・・・そっか。」
一言だけ呟くと、彼女は表情を取って代え、微笑みながら言う。
しかし・・・・・
「ごめんね。変なこと、聞いちゃって。」
「いや・・・。」
今の雪の笑顔は、何処と無くぎこちなかった・・・。
どうにも最近になって、彼女の態度や表情がいつもと違うことを、俺は感じていた・・・。
そして俺は、薄々だが勘付いていた。
雪が、自分に言えないような何か≠隠していることを・・・・・。
そして今。
さっきの彼女の態度に。
完全に、確証がついてしまった・・・。
今日こそ、聞かなければいけない・・・。
「雪・・・。」
「ん・・・?」
決意を固め、思い切って口を割る。
「・・・お前・・・・・俺に何か、隠してないか・・・・・?」
「・・・・・!?」
ほんの一瞬。
僅かに走った雪の動揺を、俺は見逃す事が出来なかった。
「やっぱり・・・そうなんだな・・・?」
「・・・・・・・・・。」
困ったような表情で口をつぐむ雪。
「雪・・・。」
俺は、右手を彼女の左肩に置いてそう言った。
すると―――――
「・・・・・・・・・(こくん)。」
ようやく一回、静かに頷いてくれた・・・。
雪に聞こえないくらいの小さな溜め息を吐き、できるだけ静かな声で彼女に聞く。
「・・・何を・・隠してるんだ・・・・・?」
「それは・・・・・」
しかし、そこまで言って雪は、俯いて首を横に振る。
「ごめん・・・言えないよ・・・。」
「お願いだ雪、言ってくれ。・・・それとも、そんなにも俺は頼りない存在か・・・?」
「違うの・・・!そういうことじゃなくて・・・ただ、その・・・・・。」
彼女は、かぶりを振って俺の言葉を否定した。
うつむいたまま、雪は何度も「ただ・・・。」という言葉を繰り返し、やがてまた、沈黙してしまう・・・。
「雪・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・わかった・・・・・。」
「えっ・・・?」
言いながら立ち上がった自分を、怪訝そうな顔をして見上げる雪。俺は、出来るだけ彼女に優しく聞こえるよう、静かな声で言った。
「言いたくない事を、無理矢理聞くのはただの横暴だ。こういう場合は、お前が言いたくなるまで待つしかないな・・・。」
「祐一・・・。」
「そのうち、言える時が来たら、言ってくれ。」
本当は、今すぐにでも話して欲しかった。だが、それではただ彼女に嫌な思いをさせるだけ。
そうして踵を返し、部屋を出ようとした。
そのとき
「待って・・・祐一・・・。」
「・・・?」
唐突に背へ掛けられた声に、ゆっくりと首から振り返る。
視界の先には、覚悟を決めたかのような強い光を宿す、雪の瞳があった・・・。
やがて彼女は――――――
「あのね、祐一・・・私ね・・・・・」
「・・・?」
―――こう言った。
「私・・・もう少しで・・・・・死ぬの・・・・・。」
「―――――――。」
頭の中が、真っ白になった・・・。
何も浮かばない思考回路を無理矢理起動させ、改めて雪を見る。
「・・・・・・・・・。」
儚げな表情で、無言のまま此方を見つめる雪が居た。
信じられない。
だけど・・・。
冗談でも、夢でもなさそうだった・・・・・。
「雪・・・・・」
口にするより先に、下を向いた彼女が首を振りながら話した。
「・・・別に、病気っていう訳じゃないの・・・・・。」
「じゃあ・・・どうして・・・・・?」
そうしてどうにか発したその言葉は、自分でも驚くほどに、震えていた・・・。
そして雪は・・・・・。
「・・・私・・・このシティの、『マザー・コア』になるの・・・・・。」
「・・・?!」
今度こそ、思考回路が停止した気がした・・・。
「祐一も、少しは聞いた事があるでしょ・・・?シティを永久機関にする為のシステム・・・。」
不意に、そのシステムの名称が浮かび上がる。
「『マザーシステム』・・・だと・・・?」
「・・・そう。」
『マザーシステム』
それは、『情報論理』に基づく熱学制御によって物理法則を超越し、シティを永久機関とするシステムのことだ。
計画だけは大戦前から存在していたものの、このシステムは、ある理由で今まで実行に移される事は無かった。
それは何故か・・・。
それは――――――
「・・・私は、そのシステムを動かす為のコア・ブロックである、『マザー・コア』にならなきゃいけないの・・・。」
そう・・・。
今まで実行に移されなかった理由がここにあった・・・。
『マザーシステム』を実行すれば、シティは永久機関として動くことができる。しかし、物理法則を超越する上では、当然コア・ブロックである演算素子が必要になってくるのは言うまでも無い。
つまり。
このシステムを起動する為には、コア・ブロックの演算素子として、魔法士の脳を必要とした為に、今まで計画は実行に移される事が無かったのだ。
なのに――――――
「・・・どうして・・・・・。」
無意識に、両の手が拳を作っていた。
喉をせり上がってくる言葉を飲み込もうとしてみたが、失敗した。
「どうしてお前が・・・そんな事を・・・!!」
しかし雪は、相も変わらずに下を向いたまま、俺の質問に答えた。
「ゴメンね、祐一・・・。でも・・・仕方が無いの・・・。」
「ふざけるな・・・。どうして・・・どうしてお前が『マザー・コア』なんかにならなきゃいけないんだ・・・?!」
一端溢れ出した言葉は、歯止めが効かなくなって怒涛のように流れ出る。
「・・・何で・・・何で・・・!」
「じゃあ、祐一・・・・・・」
「・・・?」
そう言われて顔を上げ、彼女の瞳を見た。その瞳には、とても哀しい感情が溢れていて、俺はただ目を背ける事しか出来なかった。
徐に、雪が口を開く。
「それって、私じゃなきゃ・・・誰でも良いって言うことなの・・・?」
「!?違う・・・!!そういう事じゃない!!俺が言いたいのは・・・ただ・・・ただ・・・・・!」
言いたいことがあるのに、言葉が浮かばない・・・。
「・・・祐一。」
「?」
不意に呼ばれ、顔を上げそうになるのを刹那で堪える。
構わず、彼女は続けた。
「あなたの言いたい事は、よく解かるわ・・・。でも―――――」
「・・・・・・・・・。」
「これは、私にしか出来ない事なの・・・。」
「でも・・・だからって・・・・・!」
「それだけじゃない!!」
俺の言葉を遮るように彼女が叫んだ。思わずハッとして、雪の顔を真正面から見据えてしまう。
そして射貫かれてしまった――――――。
彼女の、雪の目尻から流れる涙と、その潤んだ双眸に・・・・・。
「それだけじゃ・・・ないの・・・。」
「・・・雪。」
自分の中の何かを抑えつけるように、雪は両手を自分の胸に押し当てながら、時折しゃくりあげ、とてもよく澄んだ声で話した。
「兵器になるつもりなんか、無いなんて言っておきながら・・・結局、私は戦争で沢山の人を、殺したわ・・・。」
「・・・・・・・・・。」
彼女の痛々しい記憶に、慰めの言葉も、思い浮かばなかった。
「だから―――この程度の事で、詫びる事は出来ないかもしれないけど・・・せめてもの罪滅ぼしで、このシティの人達を、救ってあげたい・・・・・。」
それは。
どこまでも、限りなく純粋な。
彼女の想い。
自分が今、彼女のこの想いを潰そうとしていたのかと思うと、情けなくて、腹立たしかった・・・。
「それにね・・・祐一。」
「・・・?」
濡れた瞳に見つめられ、思わず視線を逸らしそうになるのを必死に受け止める。普段の勝ち気な彼女とは違い、今の雪は、すぐにでも折れそうな程に、儚く見える・・・。
その名の通りの、雪のように・・・。
「私だって・・・死にたくないよ・・・。」
その言葉がトドメとなったのだろう。
堰を切ったように、雪の瞳からは涙が溢れ、嗚咽が混じって途端に言葉が続かなくなる。
「雪・・・。」
そうして、彼女の名前を呼ぶのと、脚を一歩踏み出すのは同時だった。
無意識に、見かけによらず華奢な彼女の身体を、抱き寄せていた・・・。
「私だって・・・ずっと祐一と一緒に居たいよ・・・!」
「雪・・・。」
腕の中で、震えながらそう言ってくれた雪を、出来るだけ優しく、しかししっかりと抱きしめた。
「ずっとずっと・・・こんな風に、静かに暮らして・・・いつまでも、祐一と一緒に、生きたいよ・・・。」
その言葉を最後にして、彼女は、俺の胸の中で慟哭した・・・。
「・・・バカだな・・・。どうして・・・今の今まで、言ってくれなかった・・・?」
雪の頭を撫で、決して涙を流すまいと堪えながら、俺は彼女に言った。
「・・・ごめんなさい・・・・・。ホントに・・・ごめんなさい・・・・・。」
そう彼女に謝られて、俺はようやく、自分が犯した過ちに気付いた・・・。
違う・・・彼女が悪いんじゃない・・・。
そんな事にも気付けなかった、俺自身がバカだったんだと・・・。
知らず知らずの内に、雪はそのサインを出していたかも知れないのに・・・。
「ホントに・・・バカだな・・・・・。」
滲む視界は何も映していなくて。
最後のその一言は、彼女に聞こえないほど小さな声で、自らに呟いていた。
三日後
運命の日は、二人の想いを裏切るように、呆気無いほど普通にやってきてしまった。
いつも通りの目覚め。
リビングへと続く廊下を、ゆっくりと歩いた。
降り注ぐ朝の日差しは、人工なのに、とても柔らかで。
それでいて、やはり本物とはどこか違っていて・・・。
徐に、リビングの扉を開ける。
「おはよう、雪。」
自分が起きた時には、もう彼女は朝食を作っていて・・・。
「おはよう、祐一。」
振り返った彼女の笑顔は、忘れられるものではなかった・・・。
何故君は、そんな風に笑えたのだろうか・・・?今となっては、それすらも解からなくなってしまった・・・。
普段通りの朝食も終わり、また普段通りのティータイムが過ぎていく。
ジーン・ダリアは、今日も傍らで、『完璧な世界』を歌っていた・・・。
今までで二番目に美味しかった彼女のコーヒーは、苦味がきつく。それでいて、濃厚な甘い香りがした・・・。
過ぎ行く時間は穏やかで。
しかしそれでいて早く過ぎていく。
そして。
彼女は―――雪は―――。
「じゃあ・・・行くね・・・。」
訪れた、別れの時・・・。
「・・・・・・・・・。」
何も言えずに俯く俺を、彼女は、そっと抱きしめた・・・。
「元気でね・・・・・。」
「っ・・・。」
もうすぐこの声も、彼女の温もりも、想いも、全てが無くなってしまう・・・。
いっそのこと、彼女を連れて、ここから逃げ出してしまいたかった。
でも・・・・・
「じゃあ・・・。」
それは出来なかった。
「・・・ああ。」
そうすれば、雪が余計に悲しむ事が解かっていたから・・・・・。
やがて彼女は、神戸シティの軍の手によって、連れられていった。
何故俺は・・・彼女を送り出してしまったのだろう・・・・・。
今でも鮮明に覚えている、彼女の後ろ姿。
その背中には、何の憂いも、迷いも、不安さえも。
感じられなかった・・・。
叫べばよかったと思う。
もう一度、彼女の顔を見る為に・・・
雪、と。
数日後、最強騎士、『紅蓮の魔女』と謳われた七瀬 雪の葬儀は。
彼女の身内だけで、しめやかに行われた・・・・・。
後になって、『マザー・コア』となってしまった彼女と会う事が許可されたが、俺には会う勇気は無かった・・・。
会ってしまえば―――――
雪を連れ去ってしまう事が、解かっていたから・・・・・。
そして彼女の葬式が済んですぐに。
俺は―――
黒沢 祐一は―――
神戸シティを――――――後にした・・・・・・。
「やっぱり君は・・・・・最後の最後まで、本物の騎士だったよ・・・・・。」
吹き荒れる吹雪は、いつの間にか、しんしんと降る静かな雪へと変わっていた。
見上げた鉛色の空は、今日もまた、晴れる気配を見せてはくれない・・・。
「・・・それから十年間・・・。俺は、このシティから遠ざかった・・・・・。」
まるで誰かがそこに居るかのように。黒衣の騎士は、遠い目で空を見上げながら呟く。
「そして去年・・・。このシティは・・・完全に消滅した・・・・・。」
思えば、長い十一年だった・・・。
世界各地を回り、その場その場での絶望を見てきた・・・。
残り少ないプラントと燃料を巡り、何故ここまでするのかと思うほど、互いに人々を殺し合い・・・・・。
そして神戸のシティは、暴走し、こうして跡形も無く消えていった・・・・・。
沢山の事が、走馬灯のように脳内を駆け巡った。
それを見るたびに思った。
人間が居なくなれば、こんな醜い争いも、消えるのかと、
でも――――――
「・・・知ってるか?レノア・・・いや、マリアに、子供がいたんだ。」
ふと巡った脳内の映像に、懐かしい戦友の子供の姿が浮かぶ・・・。
「可愛らしいクセに、妙に勝ち気な女の子でな・・・。セラというらしい・・・・・。」
優しい微笑みを浮かべながら、彼は傍らに転がっている瓦礫に腰を掛け、一人虚空へと語り続けた・・・・・。
最近の事を一通り話すと、徐に立ち上がった祐一は、もう一度だけ、自分達の家があった場所を見上げた。
「・・・・・・・・・。」
数秒の沈黙。
やがて彼は踵を返し、もと来た雪原を歩き始めた。
いつの間にか、雪はだいぶ弱くなっていた。少し前まで吹いていた風はおろか、雪の粒まで段々と小さくなっている。
相変わらずに、地面の雪は、踏むたびにサクサクという音を響かせた。
「・・・?」
不意に、祐一の足が止まる。
見間違いだろうか・・・?
何か一瞬、数メートル先で光ったような気がしたが・・・。
気になって脚を進める。一歩一歩近づいていくごとに、今度ははっきりと、それが何なのか解かった。
足元にある瓦礫の上の、小さな物体を拾い上げる。
雪の光を反射していたもの。
それは――――――
「指環・・・。」
それは、少し黒ずんだ、シルバーの指環だった・・・。
見覚えのある形をした、とてもシンプルなデザインの、銀の輪・・・。
紛れも無い。
その指環は、あの時彼女に、雪に渡した指環だった・・・・・。
「雪・・・・・。」
銀のその指輪は、黒ずんでいても、しかしその光沢を失う事は無い。
恐らく一年前のあの日・・・何かの拍子で、この場所に投げ出されたのだろう。
祐一はその指環を握り締めると、傍にあった少々大きめの瓦礫を見つめ、刹那、『紅蓮』を抜き放った・・・。
(I−ブレイン起動。騎士剣「紅蓮」情報解体発動)
抑揚の無い声。
銀光が、きっちり九回煌くと同時に、瓦礫は、『紅蓮』の触れていない部分を残して塵となった。
そこには、鈍い鉛色をした、十字架が出来ていた・・・。
「・・・・・・・・・。」
剣を収め、徐に周囲を見渡す。そして祐一は、手近にあった細いワイヤーを手に取ると、指環を綺麗に磨き、それをワイヤーに通した。
できたのは、首に掛けるのにちょうどいいネックレス。
彼はその粗雑なネックレスを、ゆっくりと十字架に掛けてやった・・・。
ワイヤーに通された指環は、先程にも増して、銀光を煌かせている・・・。
「じゃあな・・・雪・・・・・」
一端そこで言葉を区切ると、祐一はもう一度、暗い寒空を見上げた。やがて視線を元に戻すと、決意を固めた表情と瞳で、彼は言った・・・。
「・・・全てが終ったら、また、ここへ迎えに来るよ・・・・・。」
そうして。
『黒衣の騎士』は。
雪原を歩き始めた。
自分がこれから歩む道。
それは、絶望だけの、荊(いばら)の道かもしれない。
さらなるものを失い、希望が持てなくなるほど、辛い道かもしれない。
でも―――
それでも人は、生きていかなくてはいけない。
すべてを失い。
明日に希望が持てなくとも。
この世界を信じ、いつか世界を暗天から解き放たなければいけない。
それが、彼女と誓った約束――――――。
この世界で一番、きれいなものを守るために――――――
「俺は・・・戦わなくちゃいけない。」
そうして、自分の道を歩み始めた『黒衣の騎士』を、十字架に掛けられた指環は、ただただ、静かに見送った・・・。
彼は気付いていただろうか・・・?
僅かに裂けた雲間から。
暖かく煌く陽光が、指環に降り注いでいた事に・・・・・。
『黒衣の騎士』は、『紅蓮の魔女』の想いを受け継ぎ――――
彼女との誓いを果たす為に――――
再び、戦いに赴いた―――――。
この世界のなによりもきれいだった――――――
――『完璧な世界』での、二人の思い出を胸に抱いて――
Fin
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