彼は料理ができない
(※SSタイトル)

季節は移ろう秋の最中
食を求める欲求は、生そして命を求める欲求に他ならず、
限りある食材へ限りない情熱を注ぎ、明日への糧と成すごとく、
二人して手に手を取り合い、ともに未来を分かち合った――
ある、少年少女の記録

と、思ったら大間違い

†††††††††

「それでは、特訓なのです」
 少女の声が室内に響く。
 
 淡々とした、それでいて熱意の込められたその声に従うよう、無意識に伸びたディーの手は軍服の襟元を正す。
 ここは賢人会議の街に二棟ある、魔法士の子供たちが集団生活を営む『学校』という名の施設内、子供たちの食事を提供するために設けられた調理用の部屋である。
 時刻は午後九時を少し回ったところで、就寝時刻に近いため子供たちはベッドの置かれた大部屋に戻っている。子供たちのグループごとに割り当てられた大部屋には自主性を尊重するため施錠などはされないものの、夜中に部屋を抜け出しているのが見つかったら監督役のサクラからきついお灸を据えられることになっている。そのため、今この部屋にはディーと少女の二人だけしかいない。二人きりの空間である。
 少女の名前はセレスティ=E=クライン。『セラ』という愛称で皆から親しまれている賢人会議の魔法士だ。子供たちからはもっぱら『セラおねえちゃん』と呼ばれている。その呼び名のとおり子供たちにとっては年長にあたるのだが、それは学校の中だけでの話で。ディーより一回りも二回りも小さなその容姿は、まだまだ幼い印象をぬぐいきれていない。
 そんなことをぼんやり考えていたのを気取られてしまったのか、セラが眉尻を少し吊り上げて睨んできた。
「ディーくん。ちゃんと聞いているんですか?」
「――えっ? あ、ああ……聞いているよ、セラ」
 向き合ってはいてもディーのほうが頭一つ分以上高いため、上目遣いになってしまうセラの睨みにはどうにも迫力が足りない。むしろ、その小柄な容姿に相まった可愛らしさを助長する一要素にしかなりえない。
 しかし、そんな感想を億尾に出してしまっては、余計にセラの怒りを買い事態をややこしくしかねない。ディーはうっかり生返事をしないよう細心の注意を払い笑顔になって対応する。それは日頃、真昼がサクラの余計な怒りを買ったときに使われる常套手段だ。その使い勝手は折り紙つきである。
 だが、
「む。ディーくん、そんな笑顔で誤魔化そうとしても無理です。駄目です。つまり無駄です」
「え? あれ?」どうやら愛想笑いと見破られたようだ。真昼に比べればまだまだ修行が足りないらしい。
「はー……ディーくんの愛想笑いはぎこちな過ぎてバレバレなのです。真昼さんに比べたらカメとすっぽんです」
「いや、それってあんまり差がないような」
 ディーは、過去に学校の授業で使われた電子図鑑の記録映像を思い返す。
「その微小な差にこそ神さまが宿るということですよ」
 人差し指を立てつつ少しだけ得意げになって話すセラへ、ディーは人差し指で頬をかきながらレベルの低い愛想笑いを返すほかない。
「まあ、今のディーくんに必要なのは笑顔の練習ではありません。今は――こっちの特訓ですから」」
 立てていた人差し指をそのまま動かしてセラが指し示すのは、二人の間にある調理台。そこにはカーボンスチール製のボウルや包丁などの調理器具に、合成全卵や小麦粉に砂糖などの食材が並べられている。
 そこでディーは前へと目線を移し、調理台を挟んだ向こう側に立っているセラの姿を改めて確認する。
 セラは今、黒を基調にした賢人会議の通常服の上に、贅沢にフリルをあしらった純白のエプロンを身に着けていた。腕にはエプロンと同色のダブルカフス、頭にはカチューシャタイプのヘッドドレスをつけ、ブラウスの襟元を飾る十字型のブローチがワンポイントになっている。この衣装は、いったいどこから調達してきたのか真昼が用意したものだ。彼の持っていた戦前の記録映像の一つで、この衣装を身に着けた妙齢の婦女子が喫茶店らしき場所でかいがいしく働いている動画を以前に紹介されてから、セラは調理場に立つとき必ずこの衣装を身に着けるようになってしまったのだった。
 確か真昼はサクラの分の衣装も用意してあると言っていたが……今の今までサクラがこの服を着ていたのを見たことはない。代わりに、なぜか左の頬を真っ赤に腫らした真昼なら見たことがあったが。
 その一方で、ふとディーは目元を下方に移し自分の衣装を確認する。軍制服に簡素な淡緑色のエプロンを付けただけのその姿は、セラと比べて色々と差がありすぎるように思われて仕方ない。少なくとも、カメとすっぽん以上には。
 そんなディーの内心はとりあえず無視するように、セラがぽんと手を叩いて合図にする。
「それでは、始めましょう」
「……うん」
「ディーくん。返事をするときは『はい』ですよ」
「あ、ごめん」
「『ごめん』じゃなくて、今は『はい』です。もしくは『イエス! ユアハイネス!』、と」
「………………はい、セラ」
 とりあえず、この後で真昼には、セラに無闇やたらと戦前の記録映像――特に2Dアニメーションの類――を視聴させないように頼んでおこう、と。そう胸に誓いながら、ディーはセラに気づかれない程度に嘆息するのだった。




†††††††††

 セラによる家事教室が開かれるようになってから数ヶ月が経ち、賢人会議の魔法士たちは炊事や掃除に洗濯など全員がある程度の技術を修めるようになっていた。
 いや、『全員』と言うには語弊がある。
 ディーだ。
 軍事演習指導など他の作業に忙殺されていたため、ディーは今まで家事教室に通っていなかった。彼が賢人会議の幹部であったことも家事教室通い免除の理由の一つに数えられる。
 しかし、賢人会議をとりまく状況が変わってきたことで――ディー1人だけが満足に家事もできないという状況になったことで――とうとうディーにもお鉢が回ってきたのだ。「一応お皿くらいは洗った事がある」ではお話になりません、と。事ここに至り、本日セラから直々の呼び出しを受けて調理室まで足を運ぶことになったのである。

 そも、ディーは家事ができない。
 まるで、できない。末恐ろしいほどに、できない。
 その家事スキルは壊滅的と言って差し支えないレベルなのである。

(……マサチューセッツにいたときは、クレアが全部やってくれて、手伝いさえさせてくれなかったからなぁ) 
 騎士剣ならいざ知らず、ほとんど握ったことさえないお玉を手に、ディーは昔を思い返す。
 この世に生を受けてからこの方、シティ・マサチューセッツのファクトリーにいた頃は姉のクレアが、マサチューセッツを離反しメルボルンへと隠れ住んでいた時期は保護者の黒沢祐一が、賢人会議に合流してからは家事全般に堪能な構成員である天樹真昼が、そしてもちろんセラがいたために、ディーはこれまで家事に携わる機会がほとんどなかった。否、まったくなかったのだ。皆無であった。
 だが、それも今日までのこと。
 これからセラによる家事教室の特別補修を受けることで、家事無能の汚名を返上するのである。今日はその第一歩になるのだ。
 ぐっと右手のお玉を握りこみ、決意を新たにするディー。
「あ。ちなみに今日の料理ではそのお玉は使いませんよ」
 そしてその新たなる決意をいきなりくじかれるディー。
「あ、そうなんだ……えーと、それじゃあ、今日は何を作るのかな?」
「はい。今日は簡単なケーキを作ります」
「ケーキ、ね。それって、子供たちのリクエスト?」
「はい。明日は子供たちの戦闘訓練がありますからね。それが終わった後で使おうと思います」
「そっか。勝ったチームのご褒美用ってことかな。あ……でも、それだとやっぱり負けたチームが気の毒だね」
 以前に比べれば遥かにマシになったとは言え、まだまだ生産資源に余裕があるとは言いがたいのが賢人会議の街の実情である。日々の食事ならともかく、ケーキのような嗜好品となると子供たち全員に行渡らせるのは難しい。となると、どうしても勝ったチームと負けたチームの間で不平不満が生じてしまうだろう。
 頭を悩ませるディーに、また人差し指を立ててセラが言う。
「あ。その心配には及びません」
「え? 何か名案があるのかな」
「はい!」
 そして自信満々にセラは
「負けたチームにはディーくんの作ったケーキを出しますので」、と宣言する。
「なるほど、買ったチームにはいつもどおりセラのケーキが出されるんだね。でも……それってつまり、僕の作るケーキって、もしかしなくても罰ゲーム扱い?」
「そうなるかどうかはディーくんしだいですよ」
 ちっちと立てた人差し指を振って意味ありげな視線を送ってくるセラに、ディーはただただ戦慄する。
 確かに名案だとは思う。そういうことなら少しくらい失敗しても結果オーライになるだろう。食材が限られている状況の中で、リスクを背負わず料理の練習ができるのは好都合だし素直に嬉しい。
 それでも――ディーの心は少しばかり傷つき、邪念のないセラの笑顔が更なる追い討ちをかけるのだった。

†††††††††

「さあ、そろそろ始めますよ」
 すっとセラが宙に手をかざすと、その軌跡から立体映像ディスプレイが浮かび上がった。淡い緑の燐光で構成された光学素子フレーム内には、これから作ることになるケーキのレシピが表示される。レシピの最上段には、『ファンメイにもできる☆チョコレートケーキの作り方』というタイトルがあった。
「まずはチョコレートを溶かすところからですね。ではディーくん、テンパリングをお願いします」
「てんぱ……りんぐ??」
 セラの口から発せられた聞き慣れない単語に、ディーの頭上に疑問符が乱立する。
「あ、テンパリングというのはですね、チョコレートを」
「いや、大丈夫だよ、セラ。『テンパる』っていう言葉は戦前の記録映像で覚えていたからね。その言葉から類推するに――」
「ちっとも大丈夫じゃないです。言葉の響きから正解を当てにいかないでください。そして、テンパっているのはまさに今のディーくんですよ」
 懸命に未知の単語へ挑もうとするディーに対し、冷ややかな眼差しと口調で3段ツッコミをするセラ。
「テンパリングというのは、細かく刻んだ板チョコをお湯で溶かす工程のことです。分かりましたか?」
「あ……なるほど。つまり、チョコレートを刻んで溶かせばいいんだね。それくらいなら僕にもできるよ」
 セラからやり方を聞き、ディーは意気揚々と包丁を手に取りチョコレートへと向き合う。
「そうですね。簡単な作業ですからね。簡単な作業ですから――チョコレートを刻んだ後で、一緒に切り刻んだまな板はちゃんと取り除いてくださいね」
「あ、そうか。このままだと、溶かす段階で木片がチョコレートに混入する危険性があるからね」
「………………」
 ふっとセラが天を仰いだのに、気づかないままディーは刻まれたチョコレートからついさきほどまでまな板だった木片を取り除いていく。
 まな板の成れの果てがすべて再処理工場送りのボックスへと移され、ケーキ作りは次の工程へと進む。
「それじゃあ、チョコを溶かすよ」
「待ってくださいディーくん。お湯を張ったボウルにそのままチョコレートを入れたら、できるのはチョコ湯です。それは決して溶かされたチョコレートではありません。お湯を張ったボウルにチョコレートのボウルを入れるんです」
「あ、そうか。チョコレートにお湯を注いでも、薄味のチョコレートにしかならないからね」
「………………」
 そっとセラが目頭を押さえるのに、気づかないままディーは火をかけたお湯のボウルに刻んだチョコレートの入ったボウルを入れる。
 ボウルの中で、危うくチョコ湯になる運命を逃れたチョコレートにバターが投入され、湯煎によってゆっくりと溶かされていく。
「ここで合成全卵から分けておいた卵黄と小麦粉を入れて……少し冷ましてからまた溶かして――はい。これでテンパリングは終了ですね」
「わぁ、きれいにできたよ。うん、ここまでは順調だったね」
「………………そう、ですね……」
 嬉々とした表情を浮かべるディーに、ふぃっと目線をそらしながらセラは、ディーが作業をしていた間に固く泡立てておいた卵白をボウルの中身と混ぜ合わせていく。
「さて、後はこれを型に流し込んでオーブンで焼けば完成なのですが……」
「あ。もうそれだけで完成するんだ。だったらその仕上げは僕がやるよ」
 爽やかな笑顔を向けながらセラの持つボウルへと手を差し出すディー。
 しかし
「………………」
「? どうしたの、セラ」
「いえ、なぜかは分かりませんが……いえ、分かるような気もしますが、とにかく嫌な予感がします。いえ、むしろ嫌な予感しかしないと言いますか」
「?? セラ、君が何を言っているのか分からないよ」
 笑顔から一転して戸惑いうろたえるディーに、淡々とセラは答える。
「それは失礼しました、ディーくん。嫌な予感というのは、つまりアレです。ディーくんの滅亡的料理スキルをかんがみるに、このまま無事にケーキが焼きがあるわけがないと思うのです。必ずこの後で、オチ的な何かが起きるはずなのです」
「それは本当に失礼なんじゃないのかな、セラ……」
 がっくりと肩を落としながらも、セラからボウルを受け取ったディーは、その中身を用意しておいたケーキの型に流し込む。
「とにかく、何が起こってもおかしくはないんです」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。僕なりに気をつけて焼くから」
 セラが遠まわしに止めるのを振り切って、ディーはオーブンへと型を入れ、レシピに記されたとおりの焼き時間を設定してスイッチを入れた。


 あ……ありのまま、今この調理室で起こったことを地の文に書くぜ!
『ディーはケーキを焼こうと思ったら、いつのまにかケーキはH・R・ギーガー調のクリーチャーになっていた』
 な……何を書いているのかわからねーと思うが、作者本人も何が起こったのかわからなかった……。
 頭がどうにかなりそうだった……超展開だとか即オチSSだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を以下略


「――まあ、何が起こってもおかしくないって、わたし言いましたからね」
 と。オーブンから出現したチョコレート色のグロテスクなモンスターを前にして、すべてを諦めたような遠い目をしながらセラが呟く。
 ここは悲鳴のひとつも上げるべきところなんじゃないかと思いながらも、隣の少女があまりにも淡々としているためどう反応していいか分からないディーは、
「えーと、じゃあ……どうしようか、コレ」
 とりあえず、現場の判断をセラへゆだねることにした。
「そうですね。それでは、代わりのケーキは私が作りますので、そっちの不思議生命体はディーくんがちゃちゃっと料理しちゃってください」
「……え? 『料理』って」
「はい、『料理』です。きしゃーっとかふしゅるるるとか不気味なうめき声を上げたり、触手がびくんびくんってしたりしてますけど、もとはケーキの材料でしょう? ればできます」  
「……今、さらっと恐ろしいセリフを聞いたような気が」
「断じて気のせいです♪」
 そこで今日初めての笑顔を見せたセラに、それが笑顔であるにもかかわらず、全身が総毛立つのを感じたディーはくるっと背を向けて不思議生命体へと対峙する。見れば見るほどにおぞましい醜悪な姿をした、存在自体があらゆる意味で謎の怪物よりも、今は、後ろで鼻歌交じりにチョコレートを刻んでいる少女のほうが遥かに怖かった。
 そして身震いを一つだけ。
 包丁を騎士剣・陰陽に持ち替えて、ディーはI−ブレインを起動させる。
(――《森羅》制御文法二・七一番。――問:抑制機構一・二・三・四・五・六番解錠 是/非)

 こうして、セラの家事教室・料理編――その第2ステージが幕を上げるのであった。

 

 ちなみに、ケーキの材料から出現した不思議生命体は、『料理』の後でディーが美味しくいただきました。
 否、いただかされました。本日のセラの金言・「食べ物を粗末にしてはいけません」によって。

 めでたしめでたし
――以上。2010年度WB同盟・秋の企画SSでした。
ちなみに、タイトルを略すと「はがない」になりますが、某MF文庫とはまるっと関係ありません。あしからず。

SSのテーマは『食欲の秋』ということで。当初はセラ主観の話を作ろうと思っていたのですが、いつの間にかディー寄りの視点で物語が進んでましたよ。とはいっても、セラが主演であることには違いありませんが。
ディー主観で二次創作小説を書いた経験はあまりなかったので新鮮でしたね。

セラもディーも、基本は二人ともボケなんですよねぇ。漫才をやるには不向きな二人です。
今回はディーにツッコミ役をやらせてみましたが、なるべくディーらしいツッコミになるよう気を遣いました。
ディーはイケメソですからね。ツッコミするにも絶叫したり号泣したりしないんですよ。イケメソはそんなことしないんです。
――え? 錬? いや、だってホラ、錬はイケメソじゃないですしww

内容は、序盤はWBしてたようですけど後半になるにつれ暴走度合いがひどくなっていきまして……ラストはヒドいオチに^^; WBファンからうっかり殺されないよう、月のない晩は命を大事にせねばなりませんねぇ。